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【火山転生】目覚めたら火山そのものだった〜マグマの力で最強の聖地を作ったら、麓に国ができていました〜  作者: 尾の長い虎(てぃが)
第一章:建国編

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26.火山と村の総力戦

 左目を潰されたオーガは、それでも逃げなかった。


 地中へ伝わる重い足取りは、まだ村の前に留まっている。


 むしろ、傷を負う前よりも激しい殺意が、残された魔物たちへ広がっていた。


「グオオオオオッ!」


 オーガの咆哮に応じ、森の中で様子を窺っていた魔物たちが再び走り出す。


(片目を潰されても、指揮を続けるのか)


 怒りに任せ、自分一人で突っ込んでくるかと思った。


 だが、オーガは配下を先に動かしている。


 正面から押し寄せる群れ。


 壊れた右側の柵を狙う群れ。


 さらに大型の魔物が、オーガの左側を守るように並び始めた。


(自分の死角まで、すぐに補ったか)


 片目を失っても、あいつの知性は失われていない。


 むしろ傷を負ったことで、こちらを完全な敵として認識したらしい。


 俺は神器を通じ、ヒナノへ意識を送った。


(オーガの左目は見えていない。左側から攻めろ。ただし、一か所へ固まるな)


『……左』


『……見えない』


『……固まるな』


 やはり、届くのは断片だけだった。


 ◇ ◇ ◇


「オーガは左側が見えていません!」


 ヒナノが火山様の声を伝えた。


「左から攻めてください! でも、一か所へ集まらないで!」


「聞いたな!」


 村長はすぐに槍を掲げる。


「三人ずつに分かれろ! 左から仕掛け、振り向いたら退け!」


 村人たちが散開した。


 正面に立つ者が槍を突き出し、オーガの注意を引きつける。


 その間に、別の三人が死角となった左側へ回り込んだ。


「今だ!」


 三本の槍が、オーガの脇腹へ突き出される。


 穂先は皮膚へ食い込んだが、深くは刺さらない。


 分厚い肉に阻まれ、浅い傷を残しただけだった。


「グオッ!」


 オーガが棍棒を振り回す。


 左側の村人たちは、攻撃が届く前に散った。


 その隙に、今度は正面から矢が放たれる。


 何本もの矢が、オーガの胸や肩へ突き刺さった。


「効いているぞ!」


「そのまま囲め!」


 声を上げた村人へ、オーガが踏み込む。


「二度鳴らせ!」


 村長の指示を受け、ガンゾウが鼓を叩いた。


 ぽんっ、ぽんっ!


 後退の合図。


 村人たちは深追いせず、すぐに距離を取る。


 直後、オーガの棍棒が振り下ろされ、先ほどまで村人がいた地面を砕いた。


「止まるな! 次は後ろの組が左へ回れ!」


 村長の声に従い、別の者たちが動き始める。


 レンも村の中を走り回っていた。


 短い亜麻色の髪は汗と土に汚れ、呼吸も荒くなっている。


 それでも足を止めない。


 ヒナノから神託を聞き、村長へ伝える。


 村長の指示を前線へ届け、再びヒナノのもとへ戻る。


 折れた木槍は腰に差したままだ。


 今のレンが担っているのは、魔物を倒す役目ではない。


 ヒナノと、村人たちを繋ぐ役目だった。


「ヒナノ、次は?」


「待って。今、火山様のお声が……」


 ヒナノは胸元の神器を握る。


 黒銀色の結晶は、今にも消えそうな赤い光を放っていた。


 オーガの一撃を障壁で防いだ影響か、火山様の声も先ほどより遠い。


『……右』


『……多い』


『……下がれ』


 ヒナノは村の右側を振り返った。


 壊れた柵の向こうで、十を超える小さな影が動いている。


「右側から、また来ます! 数が多いです!」


「分かった!」


 レンはすぐに村長のもとへ走った。


 オーガだけに気を取られるわけにはいかない。


 巨大な親玉と戦っている間にも、その配下は村の弱い場所を狙い続けていた。


 ◇ ◇ ◇


 村人たちは、よく戦っている。


 片目を失ったオーガの死角を突き、決して一か所へ固まらない。


 配下の魔物が近づけば、俺の作った岩壁や窪みを利用して足を止める。


 そこへ槍を並べ、矢を集中させる。


 だが、決定打がない。


 槍も矢も、オーガの分厚い皮膚を深く貫けない。


 俺も、村人たちが近くにいる状態では大きな攻撃を使えなかった。


(このままじゃ、先に村人が限界を迎える)


 ヒナノの神器も弱っている。


 レンの走る速度も、少しずつ落ちていた。


 ほかの村人たちも同じだ。


 一晩中戦い続け、すでに何人も負傷している。


 このまま小さな傷を積み重ねるだけでは、こちらが先に力尽きる。


(オーガを倒すには、人がいない場所へ誘い出すしかない)


 俺は周辺の地下へ意識を広げた。


 村の正面に作った二本の岩壁。


 その間には、家も畑もない細長い空間がある。


 地下には、古井戸へ繋いだ水脈の枝が細く伸びていた。


(ここなら使える)


 地下水へ一気に熱を加えれば、高温の蒸気を噴き上げられる。


 さらに左右と背後の岩盤を隆起させれば、オーガの逃げ道も塞げる。


 ただし、近くに人間がいれば、蒸気へ巻き込まれる。


(あいつを岩壁の間へ誘い込む)


(入ったら、全員そこから離れさせる)


 言葉にすれば簡単だ。


 問題は、この作戦を断片的な神託だけで伝えなければならないことだった。


 俺は伝えたい内容を、何度も強く思い描く。


(ヒナノ。オーガを正面の岩壁の間へ誘え)


(入ったら全員を離れさせろ。地下の水を熱する)


『……オーガ』


『……正面』


『……誘え』


『……皆……離れろ』


『……水』


『……熱』


(頼む。分かってくれ)


 ◇ ◇ ◇


 途切れた声を聞き終えたヒナノは、正面の岩壁へ目を向けた。


 オーガが最初に破壊した壁。


 その後ろへ、新たに火山様が隆起させた壁。


 二つの岩壁に挟まれた場所には、細長く開けた地面がある。


「ヒナノ!」


 レンが息を切らしながら戻ってきた。


「火山様は、何て?」


「オーガを、正面の岩壁の間へ誘えって」


「それから、水と熱……」


 ヒナノは地面を見つめた。


 村の古井戸へ水を届けたのも、火山様だった。


 ならば、地下に水があることも、その流れを操れることも知っている。


「たぶん、地下の水を熱するつもりなんだと思う」


「水を熱する?」


「何が起こるかまでは分からない。でも、火山様が大きな力を使おうとしてる」


 二人は村長のもとへ向かった。


「オーガを、正面の岩壁へ誘い込めと火山様が仰っています」


 ヒナノは聞こえた言葉を、一つずつ説明する。


「全員を離れさせてから、地下の水を熱するつもりだと思います」


 村長は正面の岩壁を見た。


 続いて、村人を棍棒で追い払うオーガへ目を向ける。


「確かなのか?」


 ヒナノは神器を強く握った。


「全部聞こえたわけではありません」


 その答えに、周囲の村人たちの表情が強張る。


 ヒナノ自身にも、迷いはあった。


 一つ解釈を間違えれば、村人を危険な場所へ誘導してしまうかもしれない。


 それでも、聞こえた言葉だけを繰り返すのが巫女ではない。


 火山様の意志を受け取り、人へ繋ぐ。


 そのために、彼女はここに立っている。


「でも、私はそう感じました」


 村長はしばらく黙っていた。


 神託は完全ではない。


 ヒナノの解釈が間違っている可能性もある。


 それでも今まで、彼女の言葉に従った場所では必ず火山の力が働いた。


 何より、ほかにオーガを倒す手段はない。


「その神託に賭ける」


 村長は周囲の者たちを集め、素早く指示を伝えた。


「オーガの左側から攻撃し、正面の岩壁へ誘い込む」


 続いて、ガンゾウへ顔を向ける。


「鼓を一度鳴らしたら攻撃。二度で後退」


「うむ!」


「三度鳴ったら、何があってもその場から離れろ」


「承知した!」


 ガンゾウは鼓を強く抱え直した。


「レン。お前は全員へ作戦を伝えろ」


「分かった!」


「ヒナノは村の中央へ下がれ」


 ヒナノは首を横へ振った。


「オーガは、私を狙っています」


「だから下がれと言っている」


「私が見える場所にいれば、岩壁の方へ来るかもしれません」


「ヒナノ!」


 レンが声を上げる。


「また自分を囮にする気か!」


「一人では行かないよ」


 ヒナノは村長と、周囲に集まった村人たちを見回した。


「みんなと一緒に、火山様のところまで連れていく」


 村長は険しい顔のまま、ヒナノを見つめた。


 今までなら、危険だからと押し切っていただろう。


 だが今のヒナノは、守られるだけの少女ではない。


 火山の言葉を受け取り、村の命運を左右する巫女だった。


 村長は短く息を吐く。


「岩壁の手前までだ。それより先へは出るな」


「はい」


「レン。ヒナノから離れるな」


「言われなくても、そのつもりだ」


 ◇ ◇ ◇


(ヒナノが前へ出てる?)


 俺の攻撃範囲へ、ヒナノの足音が近づいてくる。


 その隣にはレンもいた。


(いや、待て。オーガを誘えとは言ったけど、自分が囮になれとは言ってないぞ!)


 俺は慌てて意識を送る。


(危険だ。そこから離れろ!)


『……ヒナノ』


『……危険』


『……離れろ』


「大丈夫です」


 返ってきたヒナノの声には、隠し切れない恐怖が混ざっていた。


 それでも足を止めない。


「一人ではありませんから」


(そういう問題じゃないんだが!)


 言い返そうとしても、まともな文章は届かない。


『……無茶……するな』


 今度は、それだけが届いた。


 ヒナノの感情が、少しだけ柔らかくなる。


「火山様も、無茶をしないでくださいね」


(俺は火山だから多少はいいんだよ!)


 しかし、もうオーガがヒナノの動きに気づいていた。


 残された右目が、神器の赤い光を捉える。


 喉の奥から、低い唸り声が漏れた。


 オーガは周囲の村人を振り払い、ヒナノへ向かって歩き始める。


(来た)


 ここからは失敗できない。


 俺は正面の地下へ意識を集中させた。


 細い水脈から水を引き込み、オーガを誘い込む場所の下へ溜めていく。


 周囲を岩で固め、蒸気の逃げ道を地表だけに限定する。


 まだ熱は加えない。


 早く温めれば、地面から立ち上る湯気で罠に気づかれる。


(もう少しだ)


 村人たちがオーガの左側へ回り込んだ。


 ぽんっ!


 ガンゾウの鼓が鳴る。


 一度。


 攻撃の合図だ。


「今だ!」


 矢と石が、オーガの潰れた左目側へ集中する。


 肩や頬へ攻撃を受けたオーガが、怒りに任せて棍棒を振り回した。


 ぽんっ、ぽんっ!


 二度の合図。


 村人たちは棍棒が届く前に後退する。


 左側から攻撃されては逃げられる。


 正面へ向けば、また左側から矢が飛んでくる。


 オーガは少しずつ、二本の岩壁の間へ誘い込まれていった。


 だが、途中で足を止める。


 残った右目が、左右の岩壁を見比べた。


(気づいたか?)


 オーガは罠を疑っている。


 それ以上進まず、配下を先に向かわせようと喉を鳴らした。


 その時。


 岩壁の向こうへ、ヒナノが姿を現した。


 昇ったばかりの朝日を受け、黒銀色の神器が赤く輝く。


「私はここです!」


「ヒナノ、煽るな!」


 レンが慌てて腕を引いた。


 オーガの右目が大きく見開かれる。


 自分の左目を奪うきっかけを作った巫女。


 絶望していた人間たちを、再び立ち上がらせた少女。


 その姿を前に、怒りが警戒を上回った。


「グオオオッ!」


 オーガが岩壁の間へ踏み込み、ヒナノへ向かって走り出す。


「来るぞ!」


 村人たちも一斉に後退した。


 俺は地中へ響く足音を数える。


(まだだ)


 オーガの近くに、村人が四人。


 三人。


 二人。


 最後まで残っていたヒナノとレンが、岩壁の外へ飛び出した。


(今だ!)


『……今』


「ガンゾウさん!」


 どんっ、どんっ、どんっ!


 三度の鼓が、村中へ響き渡った。


 全員退避の合図。


 俺は地下へ溜めていた水へ、一気に熱を流し込んだ。


 ◇ ◇ ◇


 最初に響いたのは、地面の奥から聞こえる低い音だった。


 ごごごごごっ。


 オーガの足元で土が盛り上がる。


 左右と背後から岩盤が隆起し、巨体の逃げ道を塞いだ。


 オーガは棍棒を構え、背後の岩壁へ向き直る。


 その瞬間。


 足元に走った亀裂から、白い蒸気が噴き上がった。


「グオオオオオッ!」


 高温の蒸気が、オーガの巨体を包み込む。


 赤褐色の皮膚がさらに赤く染まり、突き刺さっていた矢の羽根が焦げていく。


 オーガは棍棒を振り回す。


 だが蒸気に視界を奪われ、岩壁へ何度も打ちつけるだけだった。


「火山様の攻撃だ!」


「今だ! 矢を放て!」


 蒸気の外から、猟師たちが一斉に矢を放つ。


 村人たちも石を投げ、長い槍を岩壁の隙間から突き出した。


 矢が肩へ刺さる。


 槍が脚へ傷をつける。


 石が残った右目の近くをかすめ、オーガは片手で顔を守った。


 さらに蒸気が噴き上がる。


 オーガの片膝が、ついに地面へ落ちた。


 巨大な棍棒も、その手から滑り落ちる。


「効いている!」


「このまま押し切れ!」


 村人たちの声が重なった。


 ヒナノが火山の声を繋ぎ。


 レンが指示を運び。


 ガンゾウが合図を鳴らし。


 村長が人々を動かす。


 村人たちは槍と矢を放ち、俺はそのすべてが届く場所を作る。


 誰か一人の力ではない。


 火山と村の、総力戦だった。


 ◇ ◇ ◇


(いける)


 オーガの動きが鈍っている。


 岩壁にも亀裂は入っていたが、まだ壊されていない。


 もう一度、地下水へ熱を送り込めばいい。


 今までより強い蒸気を噴き上げ、その巨体を完全に焼く。


 それで仕留められる。


(これで終わりだ)


 俺は地脈から熱を集め始めた。


 その時。


 オーガが残った右目を、村の中央へ向けた。


 片膝をついたまま、大きく息を吸う。


 そして、短く区切るような咆哮を三度放った。


「グオッ! グオッ! グオオオッ!」


 森の中に残っていた魔物たちが、一斉に動き出す。


 だが、オーガを助けるためではない。


 正面の岩壁を大きく迂回し、村の中央へ向かっている。


(狙いは……避難場所か!)


 負傷者。


 老人。


 子ども。


 戦えない者たちが集まっている場所。


 以前送り込んだ斥候に、位置まで調べさせていたのだ。


 自分へ攻撃が集中すれば、守りが薄くなることも分かっていた。


 オーガは自分が逃げるため、残った配下をすべて切り捨てようとしている。


(ふざけるな)


 熱は、すでにオーガの地下へ集まっている。


 このまま解放すれば、あいつを仕留められる。


 だが、村の中央へ向かう魔物を止める力が足りなくなる。


 神器は消耗している。


 村人たちも、オーガを囲むため前へ出ていた。


 避難場所の守りは、あまりにも薄い。


(あと少しなのに)


 オーガは片膝をつき、罠の中でもがいている。


 今なら倒せる。


 今を逃せば、二度とこの機会は来ないかもしれない。


 それでも、答えは決まっていた。


(……しょうがない)


(先に村だ)


 悔しくないわけではない。


 ここまで追い詰めた相手を逃がすかもしれない。


 けれど、オーガを倒すことが目的ではない。


 ヒナノたちを守るために戦っているのだ。


 俺はオーガの足元へ集めた熱を引き戻した。


 そして、村の中央へ向かう魔物たちの進路へ、地中を通して一気に流す。


(ヒナノ! 残った魔物が避難場所を狙ってる!)


『……皆』


『……奥』


『……危険』


『……守れ』


 ◇ ◇ ◇


「避難場所が狙われています!」


 ヒナノが叫んだ。


「残った魔物が、全部そちらへ向かっています!」


 村人たちが一斉に振り返る。


「オーガはどうする!?」


「後だ!」


 村長は迷わなかった。


「戦えない者たちを守れ! 村の中央へ戻れ!」


 村人たちはオーガへの攻撃を中断し、避難場所へ向かって走り出す。


 レンも駆け出そうとしたが、ヒナノがふらついたことに気づいた。


「ヒナノ、掴まれ!」


「でも、レンも急がないと……」


「一緒に行くんだよ!」


 レンはヒナノの腕を自分の肩へ回し、走り始めた。


 避難場所へ続く道には、すでに小型の魔物が迫っている。


 ヒナノは胸元の神器を握った。


「お願い……もう一度だけ」


 赤い光が弱々しく広がる。


 だが、人一人を覆う大きさになる前に揺らぎ、火の粉となって消えてしまった。


「もう、障壁は……」


「だったら、火山様と俺たちが止める!」


 レンはヒナノを近くの女性へ預け、腰へ差していた折れた木槍を抜いた。


 その直後。


 魔物の群れの前で、地面が激しく隆起した。


 ごごごっ!


 群れを左右へ分けるように、一本の岩壁が生まれる。


 進路を塞がれた魔物たちが、驚いて足を止めた。


 そこへ村人たちが駆けつける。


「槍を並べろ!」


「一匹も通すな!」


 岩壁の左右へ、槍を持った者たちが並んだ。


 先頭の魔物が飛びかかる。


 レンの父親が槍で受け止め、隣の男が横から突く。


 レンも折れた木槍を構え、村人の隙間を抜けようとした小型の魔物を押し返した。


 その後ろでは、ガンゾウが鼓を打ち鳴らしている。


「踏みとどまれ! あと少しじゃ!」


 ぽんっ、ぽんっ!


「火山様と巫女様がついておる! ここを通すでないぞ!」


 俺は地表へ熱を送り、魔物の足を止める。


 村人たちは動きの鈍った魔物を、一体ずつ確実に仕留めていった。


 火山。


 巫女。


 村人たち。


 すべての力が、避難場所の前へ集まっていた。


 その間に。


 オーガの足元から、蒸気の勢いが急速に弱まっていく。


 ◇ ◇ ◇


 オーガは、その瞬間を逃さなかった。


 落としていた棍棒を拾い上げ、亀裂の入った岩壁へ叩きつける。


 一度。


 二度。


 三度目の一撃で、岩壁の一部が崩れ落ちた。


 オーガは狭い隙間へ肩を押し込み、力任せに岩を押し退ける。


 焼けた皮膚から煙を上げながら、罠の外へ転がり出た。


「オーガが逃げる!」


 猟師の一人が弓を構える。


「追うな!」


 村長が制止した。


「今は村の中だ! 残った魔物を倒せ!」


 オーガは配下を振り返らなかった。


 自分の命を繋ぐために突撃させた魔物たちを残し、森へ向かって走り出す。


 左目は潰れている。


 全身には火傷と矢傷。


 片脚も深く傷つき、走るたびに巨体が大きく傾いていた。


 それでも、足を止めなかった。


 ◇ ◇ ◇


(逃がすか!)


 村の守りへ意識を残したまま、俺は地脈を通じてオーガを追った。


 森へ向かう重い足音。


 その進路へ、残った熱を送り込む。


 オーガの足元で土が赤く焼けた。


「グオッ!」


 傷ついた脚が熱へ沈み、巨体の均衡が崩れる。


(もう一度!)


 次に足を着く場所を陥没させる。


 オーガは転びかけながらも、棍棒を地面へ突き立てて耐えた。


 そして、また走る。


 火山領域の境界へ近づくほど、俺の力は弱くなっていく。


 地面を温めることはできても、深く陥没させられない。


 岩を持ち上げようとしても、途中で崩れてしまう。


(あと少し、届けば……)


 無理に力を伸ばせば、村側へ繋いだばかりの地脈が不安定になる。


 しかも、村の中ではまだ魔物との戦いが続いていた。


 ここでオーガだけへ意識を集中させるわけにはいかない。


 最後に一度だけ、届く限りの熱を送り込んだ。


 オーガの傷ついた脚が焼け、足取りがさらに乱れる。


 それでも倒れない。


 火山領域の境界を越えた瞬間、重い気配が急速に遠ざかっていった。


(……逃がした)


 確実に追い詰めた。


 あと一歩だった。


 悔しさは残る。


 だが追撃を優先していれば、避難場所へ魔物が到達していたかもしれない。


(村を守れなかったら、何のために戦ったのか分からないからな)


 俺は遠ざかる足音から意識を外し、村へ戻した。


 ◇ ◇ ◇


 指揮するオーガが消えると、残された魔物たちの動きが変わった。


 それまで一つの意思で動いていた群れが、急にまとまりを失う。


 避難場所へ向かい続ける魔物。


 森へ逃げ出す魔物。


 進む方向を見失い、その場で足を止める魔物。


「深追いするな!」


 村長が村人たちへ命じた。


「柵の内側にいる魔物だけを倒せ! 森へ逃げるものは放っておけ!」


 村人たちは数人ずつ固まり、残った魔物を追い詰める。


 最後まで抵抗していた一体が倒れた。


 森へ逃げる足音も、次第に遠ざかっていく。


 やがて。


 鳴子の音が止まった。


 魔物の唸り声も消えた。


 残ったのは、負傷者の呻きと、崩れた家から上がる細い煙だけ。


 誰も、すぐには動かなかった。


 一晩中握り続けていた槍を、手放せない者。


 魔物がいた場所を呆然と見つめる者。


 戦いが終わったことを信じられず、森を警戒し続ける者。


「……終わったのか?」


 誰かが呟いた。


 村長は森を見つめたまま、しばらく答えなかった。


 逃げた魔物が戻ってこないことを確かめるように、静かな森へ目を凝らす。


 やがて、ゆっくりと槍を下ろした。


「見張りは残せ。負傷者を運べ」


 疲れ切った声だった。


 それでも、誰にでも聞こえるようにはっきりと告げる。


「村は、守られた」


 その言葉が届いた瞬間。


 村人たちの間から、一斉に力が抜けた。


 地面へ座り込む者。


 隣にいる家族を抱き締める者。


 緊張が切れ、声を上げて泣き始める者。


 避難場所から出てきた母親が、泥だらけの子どもを抱き締める。


 負傷した男のもとへ家族が駆け寄り、何度も名前を呼ぶ。


 ガンゾウは震える手で、鼓を持ち上げた。


 ぽんっ。


 いつもより弱い、かすかな音が響く。


「勝ち鬨には、少し静かすぎたかのう……」


 そう言ったガンゾウ自身の目にも、涙が浮かんでいた。


 ヒナノはレンの肩を借り、遠くの火山へ顔を向けた。


 顎の辺りで揺れる短い黒髪は、汗と土で頬へ張りついている。


 胸元の神器は、ほとんど光を失っていた。


 それでも最後に一度だけ、温かく脈打つ。


(みんなで、守った)


『……守った』


 断片的な声。


 ヒナノは神器を両手で包み込んだ。


「はい」


 壊れた柵。


 焼けた藁。


 傷ついた村人たち。


 失われたものはある。


 痛みも、恐怖も残っている。


 それでも母も、レンも、村のみんなも、ここにいる。


「火山様と、みんなで守りました」


 ◇ ◇ ◇


(逃がしたか)


 オーガを倒せなかった悔しさは、まだ残っている。


 次に現れた時、今日よりも強くなっているかもしれない。


 もっと多くの魔物を連れてくる可能性もある。


 俺の地形操作や、ヒナノの神器への対策まで考えてくるだろう。


(面倒な相手に覚えられたな)


 正直、嬉しくはない。


 もう少し頭の悪い敵でいてほしかった。


 けれど今、村にはヒナノがいる。


 レンがいる。


 傷つきながらも、家族のもとへ歩いていく村人たちがいる。


 俺が守りたかったものは、まだここにあった。


(なら、今はこれでいい)


 完全な勝利ではない。


 だが、ただ恐れられていた火山と、小さな村の人々が力を合わせ、初めて掴んだ勝利だった。


 ◇ ◇ ◇


 片目を失ったオーガは、北へ向かって森を進んでいた。


 左目の奥が、心臓の鼓動に合わせて激しく痛む。


 焼けた皮膚。


 傷ついた脚。


 全身に残る矢傷。


 失われた配下。


 それでも、足を止めることはなかった。


 オーガが来た北の地には、灰と黒い岩しかない。


 灰滅火山の麓では草木が育たず、獲物も少ない。


 わずかな水場を巡り、魔物同士が奪い合う。


 弱い者は食われ、傷ついた者は捨てられる。


 だから、南へ進んだ。


 森に住む魔物を力で従え、人間の村を潰す。


 そして、その先に広がる土地を奪うために。


(ユタカナ、ダイチヲ……)


 南には水がある。


 獲物がいる。


 草木が育ち、熱と命に満ちた土地がある。


 本来なら、すべて自分のものになるはずだった。


 力さえあれば、奪えるはずだった。


 オーガは足を止め、残った右目で南を振り返る。


 木々に遮られ、すでに村は見えない。


 それでも、顎の辺りまで黒髪を切った少女と、赤く輝く神器の姿が目に焼きついていた。


(アノ、ミコ……)


 あの少女がいなければ、人間たちは恐怖に屈していた。


 声を繋ぐ者がいなければ、村と大地が一つになって戦うこともなかった。


(アノ、ダイチノ、チカラ……)


 岩が動いた。


 水が噴き上がった。


 地面そのものが、自分を殺そうとした。


 オーガには、それが何なのか分からない。


 山なのか。


 人間の神なのか。


 あるいは、大地の奥に潜む巨大な魔物なのか。


 だが、次は知らずに挑まない。


(ツギハ……ソナエル)


 あの巫女さえいなければ。


 あの大地の力さえ封じられれば。


 今度こそ、あの豊かな土地を奪える。


(モット、ツヨイ、ムレヲ)


 まず、あの巫女を潰す。


 次に、大地の力が届かない場所から攻める。


 そして今度こそ、豊かな土地を自分のものにする。


 オーガは再び歩き始めた。


 灰滅火山へ続く、北の森へ。


 残された右目に宿っていたのは、敗れた獣の恐怖ではない。


 敗北から学び、次の戦いを考える冷たい執念だった。

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