23.襲撃の予兆
森に集まる足音は、夜が明けるまでにさらに増えていた。
新しく繋がった地脈を通じ、俺は絶えず森の地下へ意識を伸ばしている。
四本足で駆ける軽い振動。
岩でも引きずっているような、重い足取り。
二本の足で地面を踏み、時折立ち止まる何か。
種類も大きさも違う。
それなのに、争いが起きた気配は一度もなかった。
新たに森へ入った魔物は、迷うことなく群れの中央へ向かう。
そこで一度足を止めると、まるで持ち場を与えられたかのように動かなくなった。
(こっちが備えてる間に、向こうも戦力を集めてるってことか)
群れの中央に居座る重い気配は、夜の間もほとんど位置を変えていない。
そこへ魔物が一体加わるたび、周囲の足音がわずかに動く。
まるで中央にいる何かが、集まった魔物を一体ずつ確かめ、配置を決めているようだった。
(随分と統率が取れてるな)
何を待っているのか。
いつ動き出すのか。
それが分からない以上、俺も警戒を解くわけにはいかない。
とはいえ、森だけを見張っていても村の守りが強くなるわけではない。
俺は警戒線へ意識の一部を残したまま、村の周辺へ感覚を広げた。
朝から、同じ道を何度も往復する足音がある。
村から外へ向かう時は軽く、戻ってくる時は重い。そのたびに、容器の中で水が揺れるような細かな振動が地中へ伝わってきた。
(防火用の水を運んでるのか)
水桶を用意していることまでは分かっていた。
だが村の井戸だけでは、普段の暮らしに使う分まで足りなくなるのだろう。
山とは反対側にある水場と村の間を、大人も子どもも繰り返し行き来している。
(水なら、あるんだよな)
新しい地脈と一緒に見つけた地下水だ。
問題は、その水が村から離れた地下空洞に溜まっていることだった。
(村まで水路を通せないか?)
俺は地脈を辿り、村の地下へ意識を伸ばした。
新しい地脈から分かれた細い枝が、山側にある村の端近くまで続いている。
その周辺を探ると、地表から真っ直ぐ落ち込む古い縦穴が見つかった。
底には朽ちた木片と湿った土。
さらに下には、枯れかけた細い水脈が残っている。
おそらく、今は使われていない古井戸だ。
地下水をそこへ繋げれば、村の中で水を確保できる。
ただし、勢い任せに岩盤を壊せば、水と一緒に土砂まで流れ込む。
最悪の場合、井戸どころか周囲の地面まで崩れかねない。
(村を守るための水で、村を陥没させました)
(……さすがに格好がつかないな)
俺は地下水の溜まる空洞から、古い水脈へ向かって細い亀裂を作り始めた。
岩へゆっくり熱を染み込ませ、膨張したところで周囲の冷たい岩へ熱を逃がす。
ぴしり。
岩盤の内側に亀裂が走った。
だが、一度に大きく割ってはいけない。
作るのは、指一本分ほどの細い隙間だ。
そこから少しずつ亀裂を延ばし、水が緩やかに流れる傾斜を作っていく。
(溶かすんじゃない。割って、繋いで、流れを作る)
火山の力だからといって、何でも燃やせばいいわけではない。
むしろ今必要なのは、大噴火とは正反対の細かさだった。
コロは俺が何をしているのか気になるらしく、水路になる亀裂の横を跳ね回っている。
「ぷる! ぷるる!」
(そこ、もうすぐ水が来るぞ)
「ぷる?」
直後、最後の薄い岩壁が割れた。
冷たい地下水が亀裂へ流れ込む。
「ぷるるるるっ!?」
水流に押されたコロの赤い体が、水路の脇をくるくると転がっていった。
(だから言っただろ!)
俺は慌てて岩を隆起させる。
盛り上がった柔らかな岩壁が、転がってきたコロを、ぽすんと受け止めた。
「ぷるぅ……」
(怪我はないか?)
少し潰れていた体が、ぷるんと元の形へ戻る。
どうやら無事らしい。
コロは何事もなかったように起き上がると、水へ向かって得意げに体を反らした。
(まさか、今ので手伝ったつもりなのか?)
「ぷる!」
(その自信はどこから来るんだよ)
地下水は細い亀裂を通り、枯れかけた水脈へ流れ込んでいく。
だが、途中で流れが急に鈍った。
(詰まったか?)
探ってみると、土と小石が水路の一部へ押し寄せている。
このまま水を流し続ければ、圧力が溜まり、別の亀裂へ水が噴き出すかもしれない。
俺は水路の入口を岩で狭め、いったん流量を落とした。
それから詰まりの周囲へ細い熱を流し、小石だけを砕く。
土砂が水に押され、古い水脈の方へゆっくりと流れていった。
(危ない危ない)
水を通すだけでも簡単じゃない。
流れが強すぎれば壊れる。
弱すぎれば届かない。
途中で水が漏れていないか。
地盤へ余計な圧力がかかっていないか。
一つずつ確かめながら、少しずつ水路を広げていく。
やがて水の先端が、古井戸の底へ到達した。
乾いていた土が濡れ、黒く色を変える。
岩の隙間から一滴、また一滴と水が染み出した。
それはやがて細い流れとなり、静かに井戸の底を満たし始めた。
(よし)
火を噴く山が、村へ水を届ける。
前世の俺が聞いたら、たぶん冗談だと思うだろう。
でも、これも火山にできることだ。
壊すだけではない。
地中を巡る水を見つけ、必要な場所へ送り届けることもできる。
◇ ◇ ◇
「ヒナノ、少し待って」
水の入った桶を持ち上げようとしたヒナノが、その重さによろめいた。
隣にいたレンが、すぐに桶の取っ手を掴む。
短い亜麻色の髪が、汗で額へ張りついていた。
「だから、一人で持つなって言っただろ」
「でも、半分くらいなら持てると思ったの」
「持ち上がってなかったじゃないか」
「ちょっとは持ち上がったよ」
「指二本分くらいな」
レンは呆れたように言いながら、桶の片側をヒナノへ持たせた。
「二人で運ぶぞ。それなら文句ないだろ」
「うん。ありがとう、レン」
二人が桶を運び始めた時、村の山側から子どもの声が響いた。
「井戸から水が出てる!」
近くにいた村人たちが、一斉に声のした方へ振り返る。
「井戸って、あの古井戸か?」
「水なんて、とっくに枯れてるだろ」
半信半疑のまま、人々は村の端へ集まっていった。
そこにあるのは、長く使われていなかった古い井戸だった。
以前は少量の水が取れたものの、数年前からほとんど枯れ、今では重い蓋を置かれたまま放置されている。
その底から、聞き慣れない水音がしていた。
村人が二人がかりで蓋を外す。
薄暗い井戸の底。
昨日まで湿っているだけだった土の隙間から、澄んだ水が静かに湧き出していた。
一滴。
また一滴。
朝日を反射した水面が、暗い井戸の底で淡く輝いている。
「こりゃあ……地下の水脈が戻ったのか?」
「昨日までは何もなかったぞ」
「地震も起きてないってのに、急にどうして……」
村人たちが戸惑う中、ヒナノは遠くに見える火山を振り返った。
「火山様……?」
その声に応えるように、長い白髭を揺らしながらガンゾウが進み出る。
古井戸を覗き込み、次いで火山を見上げると、小脇に抱えていた鼓を肩へ担いだ。
「火山様からの水祝いじゃ!」
ぽんっ。
「水祝いってなんだよ」
「今作った!」
「井戸のそばで騒ぐな。お前が落ちるぞ」
「落ちたら火山様に助けてもらう!」
「まず俺たちが助けることになるだろうが!」
張りつめていた村人たちの間に、笑いが起きた。
その横で、村長は井戸の縁へしゃがみ込む。
汲み上げられたばかりの水を木椀へ取り、色や匂いを慎重に確かめた。
「まだ飲むな」
村長の声で、浮き立っていた人々が静かになる。
「しばらく水を出し、濁りが消えるか確かめる。問題がないと分かるまでは、防火用の水として使う」
村長は立ち上がり、周囲を見回した。
「空いている桶を持ってこい。井戸の周囲に沈みや亀裂が出ないかも、交代で見張れ」
「火山様へのお礼はどうするんじゃ?」
「火山様の仕業かどうか、わしには分からん」
村長はそう答えたが、火山を否定する言葉は続かなかった。
もう一度、井戸の底を覗く。
「だが、必要な時に水が戻ったのは事実だ」
そして、遠くの火山へ目を向けた。
「今は、この水を無駄にしないことを考えろ」
村人たちは一斉に動き始めた。
空だった桶が運ばれ、井戸から汲み上げた水で次々に満たされていく。
先ほどまで遠い水場へ向かっていた者たちも戻され、柵の近くへ水桶を並べ始めた。
村を守るための水が、必要な場所へ届いたのだ。
◇ ◇ ◇
水を汲み上げるたび、井戸へ落とされた桶の振動が地下へ伝わってくる。
どうやら、無事に使ってもらえたらしい。
(よし。火山式水道、開通)
まだ流量は多くないが、今までより水運びの手間は減るだろう。
井戸の水位が下がれば地下から補充されるよう、水路の太さも調整してある。
(山を掘れて、敵を探れて、水まで引ける)
(俺、思ってたより高性能な火山になってないか?)
「ぷる!」
そばでコロが跳ねる。
(お前も自分の手柄だと思ってるだろ)
「ぷるる!」
どうやら、そのつもりらしい。
(まあ、転がりながら水路の安全確認はしたか)
「ぷる!」
(胸を張るな)
夕方になると、村からいつもの温かな気配が届いた。
ヒナノの祈りだ。
山へ入ることを止められてからも、祈りが途切れた日は一度もない。
今日も村の中から、俺へ感謝を向けている。
◇ ◇ ◇
村の端で、ヒナノは火山へ頭を下げていた。
「火山様、お水をありがとうございました」
古井戸の周囲では、今も村人たちが水を汲んでいる。
満たされた桶は、柵の近くや避難場所へ運ばれていった。
「いただいたお水で、みんなと一緒に村を守ります」
ヒナノは胸の前で両手を合わせる。
「だから火山様も、気をつけてくださいね」
俺に具体的な言葉までは届かない。
それでも、感謝と心配が混ざった優しい温かさが、地脈を通じて流れ込んできた。
洞窟に咲く二輪の赤い花が、その祈りを受けるようにかすかに揺れる。
《信仰値:増加》
《継続祈願を確認》
《巫女契約条件:4/7》
(また進んだ)
あと三つ。
何が起きるのかは分からない。
だが契約が成立すれば、今よりもヒナノと強く繋がれるはずだ。
(それまで何もなければいいけど)
そう思った直後。
森へ伸ばした警戒線の一本へ、細い振動が触れた。
(……来た)
群れではない。
一体だけだ。
四本足の軽い魔物が、森の中をゆっくりと進んでくる。
だが、村へ真っ直ぐ向かっているわけではなかった。
柵から一定の距離を保ち、村の周囲を回っている。
鳴子が設置されている場所では足を止め、別の方向へ移動する。尖った杭が多い場所も避けていた。
(こいつ、村の守りを調べてるのか?)
やがて魔物は、鳴子の少ない場所を見つけた。
足音を殺すように、慎重に柵へ近づいていく。
そこは、俺の火山領域がぎりぎり届く場所でもあった。
(見つけたぞ)
俺は地表近くの岩へ、細い熱を送り込んだ。
魔物が前足を置いた瞬間、地面の温度を一気に上げる。
熱に驚いた魔物が、横へ飛び退いた。
その後ろ足が、鳴子へ繋がる縄を強く引く。
からん、からん、からんっ!
けたたましい音が、静かな村へ響き渡った。
「魔物だ!」
見張りの声が上がる。
戦える大人たちが武器を取り、柵へ走った。
魔物はすぐに身を翻し、森の奥へ逃げていく。
レンも木槍を握って駆け出そうとした。
「レン、持ち場を離れるな!」
父親の声が飛ぶ。
レンの足が止まった。
悔しそうに森を見る。
それでも追いかけず、命じられていた避難路の前へ戻った。
幼い子どもを連れた母親たちが、中央の家へ向かってくる。
レンは木槍を握り直し、その前へ立った。
誰かを守りたいなら、勝手に飛び出してはいけない。
父親から教えられたことを、今度は守った。
魔物の姿は、すでに森へ消えている。
残された足跡を猟師たちが調べると、魔物は村へ近づく前に、柵の周囲を大きく一周していたことが分かった。
「腹を空かせて迷い込んだのなら、食い物の匂いへ真っ直ぐ寄ってくる」
村長は森へ続く足跡を見据えた。
「こいつは柵を見て、杭を避け、鳴子の少ない場所を探した」
「なら、何をしに来たんだ?」
村長は低い声で答えた。
「偵察だ」
周囲の空気が凍りつく。
「村を襲う前に、こちらの守りを調べに来た」
◇ ◇ ◇
翌日、村の防備はさらに変わった。
斥候が近づいた場所へ新しい鳴子が吊るされ、杭の向きも調整される。
柵の内側には戦う者が移動しやすい通路が作られ、水桶は一か所へ集めず、村の各所へ分けて配置された。
ヒナノは薬師たちを手伝い、薬や清潔な布を避難場所へ運んでいる。
レンは父親とともに、柵を補強していた。
木槍を振るだけが鍛錬ではないと教えられ、慣れない手つきで縄を固く結んでいる。
俺も村人たちの動きに合わせ、地下へ伸ばした警戒線を組み直した。
村人たちには、俺の警戒線が見えない。
俺にも、彼らの言葉は聞こえない。
それでも地上と地下で、少しずつ守りが重なっていく。
その日の夕方にも、ヒナノの祈りは届いた。
《継続祈願を確認》
《巫女契約条件:5/7》
魔物の群れは、まだ動かなかった。
さらに一日が過ぎた。
三日目には、村の備えもおおむね形になっていた。
井戸の水で防火用の桶は満たされ、食料と薬も避難場所へ運び込まれている。
柵の補修も終わり、戦う者と避難を助ける者、それぞれの役割が全員へ伝えられた。
一方で、森は昨日まで以上に静かだった。
新たな魔物が加わる足音もない。
斥候も現れない。
鳥の羽音も、小動物が走る振動もなかった。
何も起きないまま時間だけが過ぎ、張りつめていた村人たちの間には、わずかに安堵の空気が広がり始めている。
だが、群れの中央にある重い気配は消えていない。
(帰ったわけじゃない)
魔物たちは、完全に動きを止めている。
まるで、何かが始まる瞬間を待っているように。
日が暮れると、ヒナノはこの日も火山へ祈りを捧げた。
特別な儀式はない。
供物もなければ、長い祈りの言葉もない。
ただ、自分で始めた挨拶を、今日も変わらず続けている。
「今日もありがとうございました、火山様」
ヒナノは静かに頭を下げた。
「明日も、みんなで頑張ります」
温かな感情が、細い地脈を伝って俺のもとへ届く。
《継続祈願を確認》
《巫女契約条件:6/7》
(あと一つ)
明日もヒナノの祈りが届けば、巫女契約の条件がすべて揃う。
(せめて、それまでは何も起きないでくれ)
そう思った直後だった。
森の中央から、これまでで最も強い振動が放たれた。
どん。
号令のような、一度の震え。
それまで動かなかった重い気配が、初めて村の方角へ位置を変えた。
続いて、森の各所に散らばっていた魔物たちが一斉に動き出す。
無秩序に駆けているのではない。
重い足音が正面へ進み、軽い足音が左右へ分かれる。
別の群れは大きく迂回し、村の側面へ回ろうとしていた。
地下へ張り巡らせた警戒線が、次々に反応する。
(来る)
増援を集め終えた。
村の守りも調べ終えた。
あとは、攻めるだけ。
森を埋め尽くす無数の足音が、夜の闇に紛れて村へ近づいてくる。
(明日まで待ってくれれば、助かったんだけどな)
どうやら、向こうにその気はないらしい。
(しょうがない)
俺は地の底を流れる熱を、村へ続く道の下へ集め始めた。
(こっちも始めるぞ)
数日続いた静けさは、そこで終わった。
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