20.継続は力なり
朝だった。
火山には今日も、穏やかな時間が流れている。
地中ではマグマがゆっくりとうねり、その熱が洞窟全体をやわらかく包んでいた。岩の隙間には昨日咲いた赤い花が、小さく揺れている。
《信仰値:微増》
(また増えた)
朝になるたび、胸の奥が少しだけ温かくなる。
もう偶然ではない。
(朝の挨拶、か)
ヒナノが火山へ礼を言うようになってから、毎朝少しずつ信仰が増えている。
一気に増えるわけじゃない。
けれど、昨日より今日。今日より明日。
ちゃんと積み重なっている。
(そういえば前世でも、毎朝コーヒー飲みながら仕事に向かってたな)
眠い目をこすって、駅まで歩いて、コンビニで同じコーヒーを買う。
あの頃は何気ない習慣だった。
毎日同じことの繰り返しで、特別な意味なんてないと思っていた。
でも今になってみると、そういう小さな積み重ねが、自分を形作っていたのかもしれない。
「ぷる!」
コロが元気よく跳ねた。
ぴょん、と洞窟の床を跳び、そのまま俺のコアへぺたりとくっつく。
(お、朝の挨拶か?)
「ぷる!」
(真似しててかわいいな)
なんだか少し嬉しくなる。
コロは満足そうに跳ね回ると、昨日咲いた赤い花の前でぴたりと止まった。
「ぷる?」
(食べるなよ)
「ぷる!」
返事だけはいい。
信用はしていない。
その時だった。
赤い花のすぐ隣。
岩の隙間から、小さな芽が顔を出した。
(……あ)
細い芽がゆっくり伸び、やがて赤い蕾をつける。熱を受けて花びらが開いた。
二輪目だった。
《火山環境:微成長》
(増えた)
ほんの少しの変化だが、確かに山は育っている。
赤い花が二つ並ぶだけで、洞窟の景色が昨日とは違って見えた。
(信仰も増えた。花も増えた。コロも元気)
「ぷる!」
(だったら俺も、ぼーっとしてる場合じゃないよな)
盗賊団との戦いで思い知った。
この洞窟は、コアまでの道が短すぎる。
あと少しで、あの団長は俺の心臓みたいな場所まで辿り着いていた。
(さすがに玄関開けたら心臓です、みたいな構造は不用心すぎる)
前世のアパートでも、もうちょっと防犯意識はあった。
いや、自分の体をアパート扱いする日が来るとは思わなかったけど。
(少しずつ洞窟の中を広げてみるか)
俺は山の内側へ意識を伸ばした。
岩の硬さや熱の流れ、地中に走る細い裂け目が、以前よりはっきり分かる。
信仰のおかげだろうか。
弱い部分を見極めてそこに熱を通し、ゆっくり温めてから冷ます。
ぱきん。
小さな音がした。
洞窟の壁に細いひびが入る。
(おお)
成功した。
さらに少しだけ熱を流す。
ぱき、ぱきぱきっ。
壁の一部が崩れ、小さな石が床に転がった。
「ぷるっ!?」
コロがびくっと跳ねる。
(ごめんごめん。今のは実験だから)
「ぷるぅ……」
(そんな目で見るな。目ないけど)
コロは抗議するように、転がった石をぺしぺし叩いた。
かわいい。
いや、作業に集中しろ、俺。
俺は慎重に熱を操り、洞窟の壁を少しずつ削っていく。
一気に広げるのではなく、小さな横穴や曲がり角を作り、少しずつ空間を増やしていく。
(よし。ここは安全確認用の空洞って感じだな)
侵入者がすぐコアへ辿り着けないようにする。
さらに細い溝を作れば、熱や蒸気を流すこともできるだろう。
(せっかくなんだし、ダンジョンっぽく改造しちゃおうかな)
考えるだけで少し楽しい。
前世でも拠点づくりが好きだった。
まさか今度は、自分自身を改築することになるとは思わなかったけど。
(ついでに、新しい地脈も見つけられるといいな)
この山の中には、まだ知らないものがいくらでもある。
眠る熱や流れていない水、未知の鉱石。
それらを見つければ、山はさらに変わるはずだ。
コロも賛成するように跳ねた。
「ぷる!」
(よし。今日から少しずつやっていこう)
俺は初めて、自分の内側を自分の意思で作り替え始めた。
◇ ◇ ◇
ヒナノは家の前に出ると、まず火山の方角を向いた。
朝日を浴びた山は、今日も静かにそこにある。
恐ろしい山。
近づいてはいけない山。
村ではずっと、そう言われてきた。
けれどヒナノにとって、その山はもう違う。
母を助けるための赤葉草をくれた山。
自分を魔狼や火蜥蜴から守ってくれた山。
そして、何度お礼を言っても足りない相手だった。
ヒナノは両手を胸の前で合わせる。
「おはようございます、火山様」
ぺこりと頭を下げた。
「今日もよろしくお願いします!」
家の中から、母が顔を出す。
「毎日言うの?」
「うん!」
ヒナノは笑顔で振り返った。
「ありがとうは、一回じゃ足りないもん!」
母は少し驚いたあと、優しく笑う。
「そうね。きっと、お礼を言われる方も嬉しいわね」
「えへへ」
ヒナノは照れくさそうに笑うと、薬草籠を抱えて歩き出した。
その姿を、近所の人たちがちらちらと見ている。
まだ誰も、火山を完全に信じているわけではない。
けれど、以前のように顔をしかめる者も少なかった。
ヒナノの母が少しずつ元気を取り戻している。
その事実だけは、村人たちにも見えていた。
◇ ◇ ◇
「ほっほっほっ!」
陽気な笑い声が、朝の村に響いた。
振り向くと、ガンゾウが歩いてくる。
今日も小脇には、小さな鼓を抱えていた。
「よい挨拶じゃの」
ガンゾウは満足そうに頷くと、火山へ向かって胸を張った。
「よし、わしも!」
小脇に抱えていた鼓を肩へ担ぐ。
ぽんっ。
「おはようございます火山様ー!」
元気いっぱいだった。
朝の静けさが、一発で吹き飛んだ。
村人たちが一斉に苦笑する。
「また始まった」
「爺さん、朝から声がでかいなぁ」
「火山様もびっくりするだろ」
ガンゾウはまるで気にしない。
もう一度、鼓を鳴らす。
ぽんっ。
「今日もよい一日になりますようにー!」
楽しそうだった。
ヒナノも思わず笑う。
「おはようございます!」
すると、その様子を見ていた小さな男の子が、真似をした。
「おはよー! 火山さまー!」
「こらっ!」
母親が慌てて抱き寄せる。
「変な真似しないの!」
「えー。ヒナノ姉ちゃんも、ガンゾウじいちゃんも言ってるよ?」
「それは……そうだけど」
母親は困ったように火山を見た。
昔なら、すぐに叱り飛ばしていただろう。
けれど今日は、少しだけ言葉に詰まった。
ガンゾウだけが大笑いする。
「ほっほっほっ! よいよい! 挨拶は元気が一番じゃ!」
朝の村は、少しだけ賑やかになった。
そして、少しだけ火山を見る目が変わり始めていた。
◇ ◇ ◇
《信仰値:微増》
(え)
また増えた。
(今のタイミング?)
理由は分からない。
でも今日は、いつもより少しだけ多い気がする。
コロも嬉しそうに跳ねた。
「ぷる!」
(なんかあったのかな)
もちろん、ガンゾウが鼓を鳴らしていたことなど知るはずもない。
(ログインボーナスが増えたみたいで助かるけど)
俺は首をかしげるしかなかった。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ。
ヒナノは家の前で赤葉草を干していた。
母の薬にするため、葉を一枚ずつ丁寧に並べていく。
「これで大丈夫かなぁ」
赤葉草は火山の熱を帯びた薬草だ。
強く炙れば効き目が落ち、湿ったままだと扱いにくい。だから風通しのいい場所で慎重に干していた。
その時だった。
ひゅうっ。
少し強い風が吹く。
「あっ!」
一枚の赤葉草が、ふわりと宙へ舞い上がった。
ヒナノは慌てて追いかける。
「待ってー!」
薬草は軽く、風に乗って転がり続ける。
(あっ)
信仰の糸越しに、その様子が微かに伝わってきた。
(また始まった)
見ていて飽きないが、赤葉草は大事な薬だ。
俺は山の麓へ、ほんの少しだけ熱を送った。
地面をなぞるように温め、薬草の手前でやわらかな上昇気流を作る。
舞い上がった赤葉草が向きを変え、そのままヒナノの胸へ戻った。
「わっ」
ヒナノは両手で受け止めた。
きょとんと薬草を見てから、火山を見上げて笑う。
「ありがとうございます」
(いやいや)
俺まで少し照れてしまう。
(そんな大したことじゃないって)
でも悪い気はしなかった。
大きな力より、こういう細かな使い方の方が難しい。
けれど今の俺には、それができた。
(守るって、こういう使い方もあるんだな)
山は壊すだけじゃない。
熱で風を生み、薬草を返すこともできる。
そのことが、少しだけ誇らしかった。
◇ ◇ ◇
夜。
村が静まり返る頃、ヒナノは窓を開けた。
遠くの火山は、夜空の下で黒い影になっている。
怖いはずの山。
けれどヒナノには、その影が大きな背中のように見えた。
母は昨日より少し元気になっている。
食事の量も、ほんの少し増えた。
その姿を見られただけで、今日一日は十分幸せだった。
ヒナノは静かに頭を下げる。
「火山様」
優しい声だった。
「今日も、ありがとうございました」
その祈りが届く。
《信仰値:増加》
(またか)
思わず笑ってしまう。
火山なのに。
毎日「ありがとう」をもらっている。
なんだか不思議な気分だった。
その時、視界の端へ新しい文字が浮かぶ。
《継続祈願を確認》
《巫女契約条件:2/7》
(おっ)
少しだけ進んだ。
どうやら毎日の積み重ねは、ちゃんと意味があるらしい。
コロが嬉しそうに跳ねる。
「ぷるっ!」
洞窟では、二輪の赤い花が静かに揺れていた。
俺はその花を眺めながら、今日作ったばかりの横穴へ意識を向ける。
細い通路と小さな空洞。
まだ頼りないが、昨日まではなかった場所だ。
(よし。もう少しだけ広げてみるか)
俺は地中へ熱を流した。
岩の弱い部分を探り、慎重に削っていく。
すると横穴の奥で、何か別の流れを感じた。
(……ん?)
マグマとも温泉とも違う、もっと深く古い熱の気配。
《新規地脈反応を確認》
《接続可能距離まで、あとわずか》
(おいおい)
思わず笑う。
(本当に見つかるのかよ)
二輪の赤い花が淡く光る。
その根は、いつの間にか横穴の奥へと伸び始めていた。
読んでいただきありがとうございます。
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