チーノ君の家へ
毒殺の準備が整った今、あとは魔物個体のホーンラビットが毒餌を食べるのを、近くの草陰にじっと隠れて待つだけなのだが、アレイが心配しているのは、他の生き物がその餌を食べてしまうことだった
小さな生き物が餌の表面を舐めたり齧ったりしたりしても良いように、ビンの中の落ち切らなかった幾つかの虫の死骸を重ねているため、それらの生き物たちが死ぬ確率はかなり低いし、大きな生き物がその餌を丸呑みしても、死なない程度の毒量には調整してある。ただ、ホーンラビット程の大きさの生き物がそれを食べてしまうのは防がなければならない。それとホーンラビットが二頭以上で食事をしに来た時も、その場から逃がさなければならない。一頭だけその場に留めておくことが出来れば良いが、そんな便利な魔法も技も無いため、また隠れて待たなければならない
(この依頼を受けたのは間違いだったかもな)
思った以上に時間が掛かりそうなこの依頼を受けたことをアレイは後悔していた
そして、アレイの後悔を悪い意味で裏切らないようなかなりの時間を、草陰に隠れてじっとしていると、アレイの焦りを嘲笑うかのように、心配していた状況になってしまった
匂いに釣られてか偶然か、目の赤いホーンラビットが二頭、高く跳躍して餌から僅かの地点に着地したのだ。そして、二匹は餌の前に小さい跳躍で移動する
その様子を見て、すぐさまアレイは二頭の魔物個体のホーンラビットの前に身を晒けだす
アレイの姿を見ると、いや、見る前に二匹のホーンラビットは餌を口にすることなく、跳んできた方向に大きく跳躍し、逃げていく
(まあ、一口食べたくらいだけなら大丈夫だと思うけど、それでも、食べる前に逃げてくれてよかった。でも、もう夕方か)
アレイは無駄な殺生をせずに済んだことにホッとする一方で、煌球の赤橙色が暖かく、しかし淋しく草木を照らす時間になってしまっていることに気を落とす
(そろそろ、引き上げるか。チーノ君の家に行かないといけないし)
そう思うものの、アレイは往生際悪く、少しの間草陰に隠れながら毒餌付近に目を光らせるが、結局赤い目をしたホーンラビットが現れることはなかった
さすがに、そろそろ東の空が黒く染まり始めると、アレイは諦め、火魔法で加熱し、毒餌を無毒化する。そしてこんがりと焼けた元毒餌を今日の自分の夕餌にして処理する
(それほど味は悪くないな。でも、朝も夜も虫を食べるのは精神的に来るものがあるな)
様々な虫が混じっているため味にばらつきはあるが、全体としてはそれ程悪い味ではないようだ
アレイは栄養豊富な食事を終えると慌てて荷物をまとめ、アーチャの町の中心部にあるクラストロ家の邸宅に向かう
アレイがホーンラビットを安楽死させようとしていた場所は、エンビン大草原のほんの入り口で、アーチャの町からそれほど離れていない。しかも、アーチャの町は人口も3000人程度と少なく、それに呼応して町の大きさもこじんまりとしているので、チーノのいるクラストロ家の邸宅まですぐに行ける
(魔物個体のホーンラビットを狩猟できなかったのは残念だったけど、チーノ君の遊び相手をする依頼があったのは幸運だったな)
クラストロ家の邸宅までの道中、アレイはそんなことを考えながら歩いていた
2年ほど前に、ナーシャに頼まれた香水をアーチャの町まで買いに来た時、小腹を満たすために寄った屋台で二人の駆け出し冒険者が話しているのをアレイは聞いた
「お前、ガルシュ様のガキのお世話の依頼受けれたんだってな」
髪をキノコの形に綺麗に切りそろえた臆病そうな男に、もう一人の男が話しかける
「うん。噂通りすぐに終わる簡単な依頼だったよ」
「いいなぁ。俺なんて町に植えられている木の手入れの依頼で、3日間も掛ったんだぞ。で、どんな依頼だったんだ?」
「ただ、冒険者になる前の冒険の話を話して、それから、」「はい。お待ち」
そこまで聞いたところで、注文していた焼き串が出来上がったので、アレイはそれを受け取ってその場をあとにした
それから、そんな話はすっかり頭の隅で埃を被っていたのだが、依頼書の束をペラペラと捲っていた時に目に入り思い出したのだ
(でも、冒険者になる前の冒険の話なんてなんで聞きたいんだろう?まあ、人によって様々な楽しみ方があるから気にすることではないか)
アレイは頭に浮かぶ疑問に埃を被せ、更に歩みを進め、この町の大きさに似つかわしくない程大きい、錆が少し目立ち始めた黒い門の前に到着する。その奥に目を向けると二階建ての石造りの荘厳な建物がある
「チーノ君の遊び相手をしに来た者なのですが」
アレイは大きな門の横に凛々しく佇む二人の若い門番に、依頼を受けた時にギルド受付で貰っていた紋章を見せながら声を掛ける
二人の門番は一瞬顔を見合わせると、そのうちの一人が精一杯の力を込め、門を押し開けて、前屈みの姿勢から再び美しい姿勢に戻し早歩きで邸宅に入っていく
そして、取り残されたもう一人の門番は全身に力を入れて門を閉めるとアレイに、「少々お待ちください」とだけ言い、真っ直ぐに前を向いてしまった
(こういうのも気まずいんだよな)




