妻を亡くしたエルフ
サフィロム暦1002年、シンダイヤ王国の全冒険者ギルドに「セリアッソの討伐及び、拉致された人々救出の協力要請」という依頼書が張り出された
リーズという畑作が盛んな小さな地方の崖の上に、ポツンと佇む小さな石造りの家で、こじんまりとした葬式が行われていた。その葬式に参列している人々は涙を目に溜め、時にそれを流しながら「ナーシャ」という老女との別れをしみじみと悲しむとともに、大往生を遂げたその老女のことを讃えあっていた
そんな人々の中に一際、悲しみと感謝と愛おしさで胸を一杯にしたエルフの男がいた。少ししわが目立ち始めたが、荘厳で端正な顔立ちで、見るもの全ての目を奪う金色の長髪を綺麗に後ろで束ね、透き通る様な白い肌をしたエルフの男は、亡骸となってしまった女の夫だった。その男は老女の穏やかな亡骸を前に、静かに涙を流しながら最後の別れの言葉を告げる。妻への感謝を噛み締めるようにゆっくりと
老女は崖の上に掘られた穴の中で火葬された。それからしばらくして葬式が終わり、参列者達はエルフの男に慰めの言葉を残し、去っていった
妻と二日前まで過ごした家に一人残された男は、寝室の椅子に座っていた。寝室が酷く冷たく感じるのは、妻の遺体が腐敗しない様に氷魔法を施していたからだろうか。男は妻が死んだベットを見つめ、妻の最期を回想していた
最期の瞬間は二人で思い出に耽ったりしながら穏やかに迎えることが出来た。それは、そのエルフである男も、人間である妻も、これが最期の時だということを悟っていたからだろう
「アレイ、私が死んでも幸せでいてね。生きて生きて生き続けて、私の知らない景色を見てね。それであなたも死んだら、その話を聞かせて、、、」
老女は死ぬ間際、男の名前を呼び、そんな言葉を残した
その言葉はエルフの男、アレイに「最愛の人がいない世界」で生き続けないといけない、という呪いを与えた。その呪いは「ナーシャが死んだら自分も死のう」と考えていたアレイにとって、そして、これからあと300年は生きるであろう長命な種族であるエルフのアレイにとって、どんな呪いよりも苦しい呪いであった
(私はこれから何を幸せに思い生きればよいのだろうか?)
ナーシャと出逢って70年余りは、「ナーシャの幸せは自分の幸せ」であり、自分の幸せは全てそこから来るのだとアレイは確信していた
実際は勿論そんな事は無いのだろう。生きていれば、独占する幸福も必ずある
しかし、そんな幸福はナーシャとの幸せと比べたら、アレイにとってあまりに些細な事だったのだ
だから、ナーシャがこの世にもういない今、アレイが幸福感を得られる事は無いのかもしれないのであった
生き続けなければならないという呪いをかけられて、尚且つ幸せを感じることが不可能かに思えるそのエルフはこれからどう生きるのか、、、
その生き方が決定したのは、5ウォル(およそ9kg)ほど体が痩せてしまった十日後だった。それはその十日間ベットの上で水以外の物を口にせずにほとんど寝ていたからである。その日、埃がほのかに溜まり始めた寝室で無気力に起床したアレイの体は、エネルギーの蓄えをほとんど消費し、死ぬ寸前であった。そのまま死んでしまったら、自分は必ず後悔する、という事をアレイの潜在的な直感は理解していたのであろう。その直感はアレイに行動を起こす合理的なきっかけを与えた
(誰もしたことが無い危険な旅をしよう。その過程なら容易に死ぬことができるし、死んでもナーシャに愛想を尽かされることはないはずだ)
行動を起こすと決めた瞬間、脳は身体が出していた幾つもの信号に気づいた
(体も洗いたいし、歯も磨きたい、なにより何か食べないと)
アレイは泥酔しているかの様な千鳥足で、冷凍室に向かう。向かうのが冷蔵室でないのはアレイの家に冷蔵機能のある魔道具や部屋は無いためだ
冷凍室の前まで、到着したアレイは冷凍室のドアを弱弱しく押し開け、真っ暗で凍えるような寒さの冷凍室に入る
アレイは寒さ耐性を持つため、普段はここに入ってもなんてことはないのだが、今日は体が弱っているせいか、あまりの寒さに震えあがる
(うぅぅ、さむ。なんでも良いから食べ物を、、、)
アレイは冷凍室のすぐ右手にある物体を手に取り、一目散に冷凍室を出る。それから手に取ったものを確認して気分を悪くする
(うわ。ビックキャタピラの幼体じゃないか)
でも、もうあの寒い所に身を一瞬でも入れたくないし、手に取ってしまったからには仕方が無いので体に入れることにする
(もう丸焼きでいいや)
活力のある時ならそんな選択は絶対にしないが、切ったり、鍋に水を汲んで煮るなどの「焼く」以外の動作をする気力はアレイには残っていない
台所に辿り着いたアレイは鍋にビックキャタピラの幼体を入れ、体力は限界だがマナは溢れるほど残っているので、魔法で火を出し、鍋を熱する
少しして解凍され始め、その溶け出た水でビックキャタピラの幼体は意図せず水煮にされる
それからもうしばらくして、ビックキャタピラの幼体に完全に火が通ったので、火魔法を止め、少しの間丸焼きを放置して冷ます
皿に出すのも一苦労なので、まだ熱いが手で頭とお尻を持ち、かぶりつく
かぶりついた瞬間、アレイの口の中に「ぐにょり」という触感と、「さわさわ」という産毛による触感が広がり、それから付随するように青臭さが脳天を突き抜け、思わず吐き出しそうになる
しかし、世の中では一応、食用可能なことが証明されているので、吐き出しそうになるのを必死に我慢し、それ以上嚙まないようにして一気に飲み込む
この飲み込みによって、悲しみまでは飲み込むことはできなかったが、アレイの中で「死ぬための旅」への踏ん切りがついたようだ
(早急に食べ終わって旅の支度をするか)




