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同盟

朝の光で、目が覚めた。


鎧戸の隙間から、細い光が何本も差し込んでいる。隣は、もう空だった。触れてみると、敷布にぬくもりだけが残っていた。


身体を起こして、伸びをする。どこにも、痛みはなかった。


かわりに、昨夜の記憶が戻ってきた。


夜中に湯が運ばれてきたこと。桶の前に座らされたこと。そして、宣言どおり、あの人が本当に髪を洗ったこと。泡だらけの手つきは意外なほど丁寧で、頭の形を確かめるように、ゆっくりと。そしてその手はうなじの方へ行き——


「~~っ」


クラリスは、両手で顔を覆った。


一国の王に、髪を洗わせてしまった。しかも自分は、途中から気持ちよくなって、うとうとしていた。顔も身体も熱い。誰も見ていないのに、熱い。姉様たちが恋愛話で盛り上がっていたことを思い出し、今こそ相談したいと強く思った。


扉が叩かれて、飛び上がった。


「奥様、お目覚めですか」



ミラの声だった。朝食が届いているという。


麓の町から運ばれてきた朝食は、まだ湯気の立つパンだった。


クラリスの興味は即座にすり替わり、唾液が口に溢れ、身体に鳥肌がたった。身体の全て、髪の毛の先までもが暖かく美味しい食べ物を求めていた。


籠の布を開くと、焼きたての匂いがふわりと立った。ちぎると、白い中身が湯気を上げる。頬張った瞬間、思わず目を閉じた。


温かいものが、こんなにおいしい。



籠には干し肉のスープと、蜂蜜までついていた。町の人たちが、砦のために朝から竈を焚いてくれたのだという。二日前、この砦が守ったもののひとつが、あの竈の火なのだと思うと、パンの一切れがなおさら重かった。



支度をして、荷をまとめた。



対の石を、いちばん内側にしまう。空になった五つの石の包みは、少し迷って、それも荷に入れた。ルークに、ちゃんと報告しなければ。役に立ったことを伝えれば、褒めてくれるだろうか。高揚する気持ちを抑えきれない。




外に出ると、朝の光の中で、砦が動いていた。


戦のあとは、驚くほどの速さで片付けられていた。折れた矢は集められ、壊れた狭間には仮の板が渡され、丘の下では兵たちが列を組んで資材を運んでいる。


それでも、消えないものはあった。


胸壁の石に、黒ずんだ染みが残っている。丘の斜面には、焼けた梯子の骨組みが、まだ横たわったままだった。そして西の一帯——自分が作った沼のあった場所は、水が引きはじめて、暗い色の泥の帯になっていた。


その泥の中から引き上げられた人たちは、いま、地下にいる。


引き上げられなかったものも見える。


クラリスは、泥の帯から目を逸らしてはいけないとは思ったが、胃が縮こまり、胸の前で手を組んで祈ることしかできなかった。



「奥様!こちらです」


瞳を輝かせたニクラスに呼ばれて、丘を下りた。


丘の東側には、リアンツァ兵の野営が広がっていた。


深紅の旗の下、五百人が天幕を畳んでいる。その列に、湯気の立つ鍋が運ばれていくのが見えた。アルダーンの兵站が、リアンツァ兵に朝食を配っているのだった。


椀を受け取ったリアンツァの若い兵が、配っているアルダーンの兵に、何かぎこちなく言った。配ったほうも、ぎこちなく何か返した。それだけのやりとりだったが、八百年、その一言がなかったのだと思うと、湯気までが特別なものに見えた。


出立は、昼前だった。


アルダーンの八百と、リアンツァの五百が、同じ街道を東へ進む。


本来なら、リアンツァ軍は来た道を戻ればいい。北東の峠へ抜けるだけなら、王都を通る必要はない。それをわざわざ、二国の軍は並んで王都へ向かった。


クラリスは何人かの護衛に囲まれて列の中盤にいた。


先頭に立つジルヴェスターの背中は、疲れを感じさせないほど凛々しく、金色の髪は朝日に溶け込んでいた。



「同盟は結ばれた。それを、いちばん大きな声で言う方法だ」


出がけに、ジルヴェスターはそう言った。

リアンツァのチェーザレはジルヴェスターと並び、その後に参謀が続く。


「紙に書くより、布告を読み上げるより——二つの旗が並んで街道を行くのを、民の目に見せるのが早い」


最初の村に差しかかったとき、クラリスはこの様子を馬の上からこっそりとみる。


深紅の旗を見た村人たちが、家の中へ引っ込むのが見えた。戸の隙間から、こちらを窺っている。八百年、あの旗は敵だった。当然の反応だった。


けれど、先頭のジルヴェスターが速度を落とし、村人に向かって頷いてみせると——そして、その隣をリアンツァの旗が、剣を鞘に納めたまま静かに通り過ぎると——戸の隙間が、少しずつ広がった。


誰も、石を投げなかった。


村を過ぎるたび、それは確かめられていった。石は飛ばない。罵声も飛ばない。ただ、呆然と見送る顔、顔、顔。年寄りの中には、手を合わせている人もいた。何に向かって合わせているのか、本人にもわからないような合わせ方だった。


王都が見えてきたのは、翌日の夕方だった。


報せは先に届いていたらしい。城門への大通りは、人で埋まっていた。


「陛下だ! 陛下がお戻りだ!」


歓声が、波のように押し寄せた。


西の砦を守り切ったこと。帝国の二千を打ち破ったこと。そして——リアンツァが、味方として駆けつけたこと。全部が、もう街中を駆け巡っているのだった。


先頭のジルヴェスターが、馬上で手を上げた。


いつもの、完璧な微笑だった。戦塵にまみれた甲冑の上に、その微笑だけが澄んでいて、通りの窓という窓から黄色い声が降ってきた。花が投げられる。子供が兵の列に沿って走る。


そして、その隣。


「よお! 出迎えご苦労!」


チェーザレは、完璧とは程遠かった。


馬上から気安く手を振り、投げられた花を片手で受け取っては、近くの娘に投げ返す。八百年憎まれた国の王太子とは思えない屈託のなさに、通りの人々は面食らい、それから、つられたように笑い出した。


「リアンツァの……あれが、リアンツァの」


「助けに来てくれたんだろう、西の砦を」


「聞いたか、五百騎で帝国の横っ腹を——」


クラリスは、馬の上から、その光景を見ていた。


一年前、自分はこの通りを、通った。

誰も知らない三番目の姫として、灰色の城へ向かって。


いま、同じ通りを、二つの旗が並んで進んでいく。


八百年ぶんの何かが、この夕方、音もなく変わっていくのを、クラリスはずっと見ていた。


八百年の歴史が変わった瞬間だった。




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