決着
白銀の騎士を目を細めて見ていたラウレンツが門を開けさせたのは、日が完全に落ちる前だった。
「陛下と合流します。護衛は六騎」
そう言ってから、彼はクラリスのほうを見た。何か言われる前に、クラリスは口を開いていた。
「わたしも行きます」
「……でしょうな」
ラウレンツは、止めなかった。止めても無駄だという顔だった。
「ミラ、ニクラス。頼む」
西の切れ目——五枚目を埋められなかった、あの細い道を、一列で下りた。
沼の縁を通るとき、クラリスは息を呑んだ。
泥の中に、人や馬が埋もれていた。
腰まで沈んで動けなくなった帝国兵たちが、点々と、暮れていく光の中に取り残されていた。抵抗する力はもう残っていないらしく、ただ、通り過ぎる一行を目で追ってくる。
自分がもたらしたものである事からの罪悪感なのか、それとも人の死を目の前にみて動揺しているからなのか、クラリスは胃が縮こまり、膝が震えた。
ただ、ラウレンツ達は一瞥するのみで駆け抜けていくため、クラリスもそれ以上は今は見ないようにしあたふたと後を追う。
戦場だった場所は、すでに音が少なかった。
呻き声。馬の鼻息。武器を集めて回る兵の足音。昼間あれだけの音で満ちていた平原が、いまは囁きほどの音しか立てていない。土と、血と、煙の匂いがした。
すでに多くの血を流し、息を引き取った兵士と、呻き声をあげる負傷者を見ると、頭がくらくらして吐き気が込み上げてきたが、何とか我慢をした。
その静けさの真ん中に、ジルヴェスターがいた。
馬を下り、剣を手にしたまま、白銀の一団と向かい合っている。
約二週間ぶりに近くで見る姿だった。
甲冑は泥と返り血で汚れ、髪は額に張りつき、汗が首筋を伝っている。疲れ切っているはずなのに、立ち姿のどこにも崩れがない。夕闇の中で、そこだけ輪郭がはっきりして見える。額から首へ流れる汗の筋さえ、妙に美しかった。
生きている。
その実感が、いまさら膝に来た。ミラがそっと肘を支えてくれた。
ジルヴェスターは、こちらに気づくと、一瞬だけ、目に熱がこもった気がしたが、すぐに白銀の騎士に目を向ける。
そして、口を開いた。
「——どういうことだ」
低い声だった。
怒鳴ってはいない。怒鳴らないぶん、怒りが声の底で押さえつけられているのがわかる。剣の柄を握る籠手が、軋んだ音を立てた。
「アウレリア聖国が、何の権利があって、他国の戦に割り込む」
白銀の騎士は、答えるかわりに、兜に手をかけた。
外された兜の下から現れたものに、クラリスは思わず目を見張った。
銀の髪が、肩まで流れ落ちた。
滑らかな、傷ひとつない肌。左耳に、黒い石のピアスがひとつ。戦場に立つ者というより、吟遊詩人と言われたほうが頷ける、華やかな美しさだった。歳の頃はジルヴェスターと同じくらいに見える。纏う静けさも、どこか似ていた。
ただ、青い瞳はどこまでも冷たく、暗い。どれだけ覗いても底の見えない、凍った湖のような目だ。
「アウレリア聖国教皇の令により」
抑揚のない声で、騎士は言った。
「帝国軍の将は、生け捕りとする。……これは八百年前に定められた協定に基づくもの。各国は、これに従う義務がある」
「協定」
ジルヴェスターの声が、さらに低くなった。
「あの協定は、魔人が絡んだ場合の話だ」
灰色の目が、黒く光った。怒りが、抑えの下から滲み出していた。
「これは国と国の戦だ。帝国が攻め、我々が退けた。それだけのことに、聖国の出る幕はない」
「魔人が絡んでいると、我々は考えている」
あっさりと、無表情のまま騎士は言った。
まるで天気の話でもするような、平坦な言い方だった。
クラリスは、前から可能性は聞いてたものの、信じられない気持ちで、息を飲み、思わず、敵将を見た。
聖騎士たちに囲まれて立つ、その男は——どこから見ても、ただの人間だった。五十絡みの、日に灼けた、疲れ果てた男。血の滲む布を腕に巻き、肩で息をしている。角もなければ、牙もない。御伽噺の挿絵とは、何ひとつ重ならなかった。
「……魔人とは、また、たいそれた話になってきましたなあ」
場違いなほど暢気な声がした。
濃い茶の髪を短く刈った男が、馬を寄せてきていた。眉から頬に古い傷。日に灼けた顔に、人懐こい笑みが浮かんでいる。
「俺はてっきり、国と国の潰し合いに間に合ったと思って駆けてきたんだが。……着いてみれば魔人ときた。八百年前の御伽噺が、揃いも揃って動き出す日とは、今日は厄日か祭日か、どっちですかね、アルダーンの王よ」
ジルヴェスターは男の方に向き直ると、少し息を吐いた。
「今回は遅刻はしなかったんだな、チェーザレ。」
「遅刻どころか、ジルヴェスターの予想よりもだいぶ早いはずだが?」
クラリスは、この野蛮な雰囲気の男がリアンツァの王太子であることに気づいたが、ジルヴェスターとずいぶん親そうなことに少し驚いた。
その後、沈黙を破ったのは、ジルヴェスターの後ろに控えていたディートリヒだった。
「……陛下」
彼は、一歩進み出た。
「立ち話で片づく話ではなさそうです。場を移されては。……それに」
彼は、沼のほうへ目をやった。
泥の中に取り残されたままの、何百人かの敵兵たち。日は落ちきって、夜の冷えが下りはじめている。




