灌漑作業
朝は、鎧戸の隙間から入る光で目が覚めた。
城の部屋なら、リタが先に起きていて、湯と着替えを用意してくれている。ここにはそれがない。
寝台から下りて、自分で服を着る。リタが、一人で着られる服を選んでくれていた。
髪は、諦めて低い位置で束ねた。城で結い上げていたような形は、どうやっても再現できない。北山脈への遠征のときからの髪型である。
「奥様、おはようございます」
扉の外に、ミラが立っていた。
「早いですね」
「習慣ですので。……髪、直しましょうか」
「え」
「妹が三人おりましたので」
そう言って、ミラは手早く結び直してくれた。三十数えるあいだに終わった。城でリタが四半刻かけていたものと比べれば、はるかに簡素だったが、走っても崩れない結び方でありがたかった。
朝食は、厨房から布に包んで渡してくれる。
焼きたてのパンと、茹でた卵と、腸詰めを切ったもの。それに桃がひとつ。
「今朝のパンです。麓から届きましたので」
厨房の下働きの娘が、そう言って包みを渡してくれた。
「毎日、麓から?」
「二日に一度、荷が上がってきます。百五十人ぶんですから、そりゃもう大量で。……昨日は羊が三頭来ました」
砦の暮らしは、緊張感はあるものの、想像していたよりも明るく心地よく、クラリスはほっと胸を撫で下ろした。
包みを開けると、パンがまだ温かかった。
五つある村のうち、第一村までは、砦から半刻ほどだった。
村の入口で待っていたのは、六十がらみの男だった。前に来たとき、上が枯れて下が腐ると教えてくれた人である。名をハインツといった。
「お待ちしておりました」
「今日から据えます。問題なく終われば、今日設置して、明日様子を見て完成です」
畑は、ゆるい斜面に沿って伸びていた。上から下まで、見渡すかぎり、麦畑が続いている。クラリスは土を見て目を光らせた。
二百メートルほど馬で移動し、畑の斜面のいちばん上まで来ると、土に手を当てた。頭の中で魔法式を組み替える。
細く、編み目のように土魔法を流すと、地下水の量と、水源の位置が見えてくる。
灌漑の魔法式を考えたとき、水を吸いすぎては地下水そのものが枯れる恐れがあることに気づいた。だから、あくまで範囲内での水の移動に留めるべきだと思っていたのだ。
その後も馬で何度も移動しながら、土地の水の量を見ていく。前に見たとおり、粘土質の土が時折まじり、そこに水が不要に溜まっている。
板一枚が届く範囲は、地下水がどこまで繋がっているかで決まる。水脈が広く繋がっていれば、遠くの水も引ける。岩盤で切れていれば、近くても届かない。だから、まず地中を読まなければ、置く場所は決められなかった。
何度も場所を移動しながら、地図に印をつけ、魔法式が刻まれた板を置く場所を決めていく。
地図に記した水分量と、灌漑の魔法式を見比べて微調整をしていたところ、後ろから黙ってついてきていたニクラスが、遠慮がちに声をかけてきた。
「何かお手伝いできることはありますか」
そこでクラリスは、誰にも何の説明もせずに、朝から四時間も移動し、考え、書き込むという作業をひとりで続けていたことに気づいた。
恥ずかしさで顔が赤くなるのを誤魔化すように話す。
「あ、はい。……それでは、この地図の印がついているところに、この板を置いてもらえますか」
板は、手のひら二枚ぶんほどの鉄の薄板だった。表に触媒式が刻んであり、中央のくぼみに魔石を嵌める。この式なら、この魔石で三年は保つだろう。
ニクラスが張り切って板を五枚とも持っていってしまったので、クラリスは麦畑の端に座り、持参したパンとハムを鞄から取り出した。
明日、状態を確認して、同じ作業をあと四つの村でやれば完了だ。予定どおり、十日で終わるだろう。
ジルヴェスターの姿を思い出すと、待ちきれない思いだった。




