五つの石
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三日後、ラウレンツとヴィムが、それぞれの砦へ発った。
中庭に馬が並び、荷が積まれ、見送りの人が集まる。この半年で、何度も見た光景だった。それでも、見送るたびに慣れない。
「奥様」
ラウレンツが馬上からクラリスを見つけると、にやっとして声をかけた。
「今度、灌漑の件で西部にいらっしゃると聞いていますよ。砦に奥様のお部屋も用意しますから、そちらをお使いください。……ただ、書庫はありません」
「西部まで行って、書庫には困りません」
そう言うと、彼はお待ちしておりますと言って、笑って手綱を引いた。
ヴィムは、いつもどおり何も言わなかった。ただ、通り過ぎるときに一度だけ、深く頭を下げていった。
門が閉まってから、クラリスは廊下を歩きながら、軍議の話を頭の中で並べ直していた。
北東の峠から、リアンツァが奇襲する可能性は弱まった。リアンツァの王太子が動員を引き延ばしているし、もし集結が始まれば、ユアンから、谷を経て報せが来る。
もし帝国がリアンツァを通って来るなら、リアンツァ王が国を開く必要がある。開けば、これもあの谷を中継地として、リアンツァからアルダーンに伝わる。
高原は、渡れない。水がない。荷馬車で一月。
——だから、西は静かだ。
そう説明されて、納得した。納得したのだが、ひとつの裏切りや失敗が起これば成り立たない、薄氷を踏むような状態なのだと気づいて、身震いした。
書庫に着いて、扉を開けながら、クラリスは思わず訊いていた。
「ルーク」
「はい」
「心配じゃないんですか。……帝国のこと」
長椅子の上で、ルークが片目を開けた。
「帝国について、僕が知っていることはほとんどありません」
少し考えながら続ける。
「長いあいだ閉じている国です。特にこの五年は、ほとんど他国との交流をしていない。……ただ、閉じる前の記録から推し量ると、軍はうちの二倍近いでしょうね。人口も、鉄も、金も向こうが上です」
さらりと言われて、クラリスは息を呑んだ。
「二倍」
「ええ。ですが、向こうにとっては遠征です」
彼は身を起こした。
「攻める側は、糧秣を運ばねばなりません。守る側は、家から出るだけでいい。……二倍程度の差なら、砦と援軍があれば、アルダーンだけでも十分に耐えます。少なくとも、耐えているあいだにリアンツァが来る」
「リアンツァは、本当に援軍に来るのでしょうか」
「わかりません」
即答だった。
「僕は、ほかの人のように過去のしがらみには縛られませんが、人を信用しませんので。……ただ」
彼はあくびをした。
「決めたのは陛下です。あの方は、戦略に関しては化け物です。あの方が耐えられると判断したなら、耐えられるんでしょう。僕はそう思っておきます」
その日から、クラリスは出発の支度に入った。
板は、工房で二十五枚が仕上がっていた。五つの村に、五枚ずつ。
村ごとに土が違うので、据える場所と、石の数と、係数を全部確かめ直さなければならない。西部で測った数値を書き写した帳面と、板とを、一枚ずつ突き合わせていく。この作業をしているあいだは、戦への不安を忘れられる気がした。
据えるのに、一つの村で二日。移動を入れて、十五日ほどの旅になりそうだった。
今年の秋の刈り入れには間に合わないが、冬を越して、来年の春の水撒きには間に合うだろう。
来年。
戦が終わっていて、豊かな実りを喜べていますように。
三日目の夜まで、そんな調子で机に向かっていた。
食事は書庫に運ばせた。リタが白い目をしたが、今回は何も言われなかった。かわりに、卓の端に果物が置かれるようになった。
四日目の夕方、長椅子のほうから深いため息が聞こえた。
「奥様」
「はい」
「あなた、この四日で何時間寝ました」
「……数えていません。いずれにせよ、不安でうまく眠れないんです」
ジルヴェスターも、連日深夜を過ぎても執務室から戻ってこなかった。長椅子で軽く睡眠をとるだけの日もあるらしい。
「そうでしょうね」
ルークは立ち上がって、机のところまで歩いてきた。
珍しいことだった。この男が自分から机まで来るのは、数えるほどしかない。
「今回は、僕は行けません。魔法師は城と砦に散らしますので」
「はい。城に残られると聞いています」
「わかっているなら結構です。……これを」
彼は、布の包みを机に置いた。
開けると、魔石が五つ入っていた。
指の先ほどの、屑石ではない。透き通っていて、内側に細い筋が走っている。追跡の石にも、暖房の板にも使ったことのない品だった。
「……これ」
「かなり上等なやつです。何かのために取っておいたものです」
クラリスは驚いてルークを見る。
「一つで、屑石十個ぶんは働きます。回復の触媒式なら、これくらいの質がないと素人には起こせません。……何かあったら、使ってください」
ルークは頭を掻きながら続けた。
「何かがあると心配しているわけではありません。ただ、奥様はいつも無理をされるので。万が一怪我でもしたら、ご自分のためにお使いください」
クラリスは、五つの石を掌に載せた。
軽い。それでいて、触れているだけで、内側に何かが詰まっているのがわかる。
「……ありがとうございます」
ルークは、クラリスが受け取ったのを見ると、さっさと長椅子へ戻っていった。
クラリスは、しばらく石を見下ろしていた。
胸のあたりが、じわりと温かかった。
この人は、絶対に優しいことを言わない。ドレスの話も、陛下の話も、いつも横から茶々を入れるだけで、まともに褒められたことなど一度もない。
それなのに、行き先の心配だけは、いつも先回りしている。
「ルーク」
「なんです」
「留守中、書庫の埃は掃かないでくださいね」
「掃きませんよ、面倒くさい」
出発は、二日後と決まった。
石は五つ、布に包んで、荷のいちばん内側にしまった。
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