同盟と戦略3
ラウレンツは、しばらく黙っていた。
やがて、椅子の背もたれに体を預けて、天井を見上げた。
「……まいりましたね。不満ですが、反論が思いつきません」
「では、我らはこれからどうしますか」
一同が一定の納得に至ったところで、ハーゲンが口を開いた。
「同盟といっても、あちらの王が頷いていないのでは、リアンツァが攻めてくる話は消えていないことになりますが」
「そうだな、消えていない」
ジルヴェスターは、あっさり認めた。
「だが、遠のいた」
彼は、地図の北東を指した。
「これまで、リアンツァの動員が遅いことを、我々は不気味に思っていた。……いまは違う。あの王太子が、わざと引き延ばしていることが確認できた。あれを続けている限り、軍は仕上がらないだろう」
「引き延ばしが続けば、でございますが」
「続かなければ、集結が始まる。……シェルナのユアンがリアンツァに潜り続けることを、チェーザレは認めた。身柄も守ると。集結が始まれば、すぐにこちらへ伝わるように手配済みだ」
彼は、指を峠に置いた。
「北東は、奇襲されない方角になった。……砦は維持する。だが、張りつめる必要は当面なくなった」
ハーゲンが、ふと気づいたように言う。
「帝国が痺れを切らして、リアンツァを攻めた場合は」
「これは同盟だ。谷を中継地として、リアンツァから帝国襲撃の報せが入れば、北東の砦の百名に加え、城から三百名を送る。……逆も同じだ。アルダーンが攻められれば、向こうから四百が来ることになっている。ただお互いの戦線はそれなりに遠い可能性はあるが…」
「帝国がリアンツァの動きを不審がり、こちらへ直接攻めてくる可能性は」
ハーゲンが続けて訊いた。
ジルヴェスターは、指を北西へ滑らせた。
ラーゲン高原。地図の上では、ただ茶色く塗られただけの、広い空白。
「帝国が自分で来るなら、道は二つしかない。リアンツァを通るか、ここ、ラーゲン高原を渡るかだ。……リアンツァを通るには、あの王が国を開く必要がある。開けば、王太子派から谷を経て、すぐに伝わる。支度の時間は取れる」
「ラーゲン高原は」
ハーゲンは、アルダーンの北、北山脈を超えたところに広がる砂漠地帯を指す。そこをそのまま北に進むと帝国が広がっている。
「帝国はおそらく、渡れないだろう」
短い答えだった。
「水がない。荷馬車で一月。軍が渡った記録は八百年ない。……商隊ですら、この三年で四つ消えている土地だ」
「では、北西の砦は縮小ですか」
「いや。……あそこは残す。元々あの高原を超えて帝国が攻めてくる可能性を考慮して設置していたものだ。…百を、百五十に増やす。」
ハーゲンが、わずかに眉を動かした。
「増やされるので? 渡れんのでしたら」
「渡れないと断言したが…悪いが、これは直感だ」
ジルヴェスターは、地図から目を上げなかった。
「それに、過去に渡れなかったからといって、いま渡れないとは限らない。……もし帝国が魔獣を増やしている当人なら、あの国の力は底が知れない。何があるか断定できない」
ジルヴェスターは続ける。
「ただ可能性としては、帝国はリアンツァが動かないのを見て、リアンツァ経由で攻め込むだろう。それをアルダーンとしてはいち早く把握し、リアンツァとの挟み撃ちに持ち込む。…これがこちらが予想する動きだ。」
クラリスは、隣に座る夫をちらりと見た。
これだけの短い日数で同盟を組み、各国の動きと思惑を読み、細かい配置まで立てている。それが同じ人間のすることだとは、正直、信じられなかった。
「しばらく臨戦であることに変わりはない。だが、同盟のおかげで多少の余裕はできた。張り詰めたまま時間を潰すのも愚かだ。……国力を高めることも、同時に進めたい」
ジルヴェスターは、そう言って幹部たちに向き直った。
「ラウレンツは北西の砦、ヴィムは北東の砦を任せる。ハーゲンは城に留まり、城の軍備のほか、残る橋の復旧と、止めていた鉱山開発の再開を進めてくれ」
そして、クラリスに目を向けた。
「それから……クラリス。灌漑のほうも進められるか。いまから据えれば、来年の収穫に間に合うだろう」
クラリスは、はっとして夫を見た。
その瞳には、さっきまでの強い光がなかった。不安で、揺れていた。
「ミラをつける。ニクラスもだ。……北東が本命である以上、西はこの国でいちばん静かな方角だ。据えるなら、いまのうちがいい。砦にはラウレンツもいる」
クラリスは、彼を安心させたくて、強く頷いた。
軍議が終わりかけたとき、クラリスはようやく、もうひとつのことを訊いた。
「あの……兄は」
ジルヴェスターが、こちらを見た。
「無事だ。……会談のあとは、シェルナへ戻った。あそこまで奔走してもらって、返しきれん借りができたな」
クラリスは、ほっと胸を撫で下ろす。
ジルヴェスターは、そこで少し困ったような顔をした。
「シェルナのためだと言っていたが……きみがいなければ、あの人がどこまで手を貸してくれたかは、わからないな」
その夜、ジルヴェスターが部屋に戻ってきたのは深夜だったが、クラリスは起きて待っていた。
「ごめんなさい。今日帰ってきて、疲れてるとは思ったんですけど……その、会えたのが嬉しくて」
扉のそばに立っていた彼は、その言葉に一瞬目を丸くした。
それから、ふっと笑って、大股で寝台に近づいてきた。
隣に腰を下ろすなり、ジルヴェスターの口がクラリスの口を塞ぐ。舌が差し入れられて、そのまま押し倒された。
思わず、声が漏れる。
「クラリス。きみは、どれだけ僕を夢中にさせれば気がすむんだ」
そう言って、彼はまた口づけ、首筋を吸った。
九日ぶんの距離を埋めるように、二人は抱き合った。




