ジルとの会話
短い夏が始まりつつあったが、春先に発ったヴィルスからの音沙汰はなかった。
橋は完成しつつあり、着々と、戦に備えた準備だけが整えられていく。
灌漑の式が形になったのも、そのころだった。
土の抵抗値を読ませる係数は、結局、七通り目でようやく落ち着いた。砂の多い村でも、粘土の村でも、同じ板が同じように働くはずだ。あとは村ごとに石を置く数を変えるだけでいい。
書庫の前で暇そうに立っていたニクラスを見つけて、クラリスは遠慮がちに声をかけた。
「ジルヴェスターは忙しいかしら。少し時間をもらえると嬉しいんだけど……」
ニクラスはぱっと顔を明るくし、少しお待ちくださいと言って走っていってしまった。
しばらくして、オズヴァルトを連れて戻ってくる。
「陛下は執務室でございます。……お通しして差し支えないかと」
「今、大丈夫でしょうか」
「大丈夫でございます」
妙に断言するので、少し不思議に思いながら向かった。
執務室の扉を叩くと、返事があった。
入ると、ジルヴェスターはラウレンツとハーゲンとともに、高い机に広げた地図を覗き込んで立っていた。こちらを見ると、にこりと笑って、おいで、と手招きする。
執務室に入るのは初めてだった。
天井が高く、壁の三面が棚で埋まっている。奥の書き物机には書類が山のように積まれ、その脇に、封を切ったものと切っていないものが分けて置かれていた。窓を開けているせいで、紙が飛ばないよう、あちこちに文鎮が載っている。石の文鎮、鉄の文鎮、なぜか馬の蹄鉄まで載っていた。
部屋の隅には、剣が立てかけてある。
「あの……お忙しければ、またでも」
ラウレンツとハーゲンの様子をうかがいながら言うと、ジルヴェスターは首を振った。
「いや、彼らはもう出ていくから大丈夫だ。僕の妻がわざわざ訪ねてくれたんだ。優先しても、誰も何も言わないだろう」
そう言いながら、いとおしそうにクラリスの髪に触れる。指がときどき耳に当たって、くすぐったくて、思わず目線を落とした。
「……はぁ。陛下、話は終わりましたっけ。まあいいです。邪魔者は退散するとしましょう」
ラウレンツがわざとらしく頭の上で手を組み、あくびをしながら言った。
「では奥様。また騎士たちの食堂にも来てくださいね。みんな楽しみにしているんですよ」
最近はジルヴェスターも忙しく、一人で夕飯を食べることも多かった。今度また食堂行こうと思い、クラリスが小さく頷くと、ラウレンツは満足そうに、何かジルヴェスターに言いたげなハーゲンを引っ張るようにして出ていった。




