兄の真実
次の日、ヴィルスとユアンが立つ日がやってきた。
アルダーンの春はまだ肌寒いが、クラリス、ヴィルス、ユアンで中庭のテーブルを取り囲んでいた。
「もう支度は済みましたか?」
「済んでます。……姫様、痩せましたね」
「その話、この二日で四回目です」姫様という呼び方も変えてくれないことに気づいたが指摘はしなかった。
「そりゃ四回言いますよ」ユアンは笑って、卓に紅茶のカップを置いた。「シェルナで殿下がどれだけ心配してたか、姫様は知らないでしょうけど」
クラリスは杯を受け取りながら、なんとなく言った。
「いいのに、そんな気を使わなくて。兄様は忙しい人ですから。……わたしのことなんて、そんなに」
ユアンの動きが止まった。
「……は?」ユアンが目を見開く。
「いや、あの。……姫様、まさかとは思いますけど」
彼はゆっくりとヴィルスのほうを見た。ヴィルスは横を向いて、庭の木を眺めている。あきらかに、聞こえていて聞こえないふりをしている顔だった。
「余計なことを言うな」
「言いますよ、さすがに」
ユアンは椅子に座り直した。
「姫様。おかしいと思ったこと、一度もありませんでした? 一国の王女が、夜会にも茶会にも出ないで、一日中書庫に籠もって式ばかり書いている。……それ、普通は許されませんよ」
クラリスは瞬きをした。
「それは私が期待されてなかったからよ。」今更悲しいこと言わせないで欲しいと思いながら返す。
「姉君方はどうでした? 十四、五から社交に出されて、縁談の話が始まって、隣国の名前を覚えさせられて。……姫様だけ、何もなかったでしょう」
クラリスは俯いた。私がいつも考え事ばかりしていて、王女としての役割を何もできて無かったことは言われなくても十分知っているのだ。
「全部、殿下が止めてたんですよ」
兄様が止める?クラリスはよく分からずに顔を上げる。
ユアンは指を折りながら数え上げた。
「十四のとき、南の伯爵家から縁談の打診。殿下が握り潰しました。十六のとき、大臣が姫様を夜会に出せと騒いだ。殿下が『妹は人前で喋れない』と言って、代わりに自分が全部の夜会に出ました。半年ぶん」
「え」
「魔法師の家庭教師を三人替えたのも殿下です。姫様の高い能力に気づかなかった魔法師です。」
ヴィルスはまだ庭を見ていた。耳のあたりが、少し赤い。
「アルダーンから使者が来たときなんて、ひどかったですよ」ユアンは容赦がなかった。「殿下、最初に何と仰ったと思います? 『妹は病がある』ですからね。使者の前で。しかも二度目には『あれは本当に引きこもりで、人と喋れないから外交には使えない』と。
二度目の言い訳は本当のことじゃないかと思いながら紅茶をすする。ジルヴェスターがヴィルス兄様に断られたと言っていたが本当だったようだ。
「三度断って、四度目は書状すら出させなかった。五度目でご両親が泣いて、それでようやく」
クラリスは、紅茶のカップを持ったまま動けなくなっていた。
十八年、自由だった。誰にも咎められず、机に向かって、好きなだけ式を書いていた。それが当たり前だと思っていた。三番目には用がないから、私が社交が苦手で迷惑をかけるから放っておかれるのだと。
放っておかれていたのではなかった。
「本当ですか…兄様?」
ヴィルスが、ようやくこちらを向き肩をすくめる。
「三つ違いの姉たちとお前は正直違った。文字への理解力、集中力、すべてが特別だった。その才能を伸ばしてやりたかったんだよ」
「……」
「….というのは言い訳かもな。年の離れたクラリスが可愛かったんだろう。自分が父上の作った道を進んでいた分、お前に自由にしてほしかった」
クラリスは、下を向いた。
視界が滲んで、杯の中の茶が二重になった。慌てて拭ったが、間に合わなかった。
「泣くな」
「泣いてません」
「泣いてる」
「……泣いてません」
しばらくして、ヴィルスが立ち上がった。
「今日の夕刻に、発つ。……そのままリアンツァへ向かう。動きが知られないように夜に移動することになる。」
「リアンツァに」
「王太子派の側近に会う。戦の支度をなぜ急がないのか、誰かに指示されているのか。……直接聞いてくるとしよう」
「リアンツァに行くにはあの山を越えないといけません。」
「ユアンもいるし他の騎士もいる。私も多少の剣の嗜みはある。抜けてみせるさ。たかだか五人だ。食料も最低限でいけるだろう。」
クラリスは頭をあげた。
あの山道にらゴブリンもいる。トカゲのような大きい魔獣もいた。軽装でいこうとするヴィルスたちは本当に大丈夫なのだろうか。シェルナ王国の王族は騎士ではない。貴族のトップだ。心配になり口を開きかける。
するとヴィルスは、妹の頭に手を置いた。子どものころと同じ、少し乱暴な置き方だった。
「クラリス。お前は、ここでやることをやりなさい」
そう言って、兄は笑った。
明るくて、少しだけ寂しい笑い方だった。




