湖畔での会話
その後、馬車で城に帰り部屋で休んでいたクラリスを、ジルヴェスターが訪ねてきた。彼は正装を脱いで、飾りのない外套姿になっている。手には、布に包んだ荷をひとつ提げていた。
「クラリス。今から馬に乗れるか?」
「乗れますけど……どこかへ?」
「少し出かけないか?……ああ、これは、さっきニクラスに頼んで買っておいた」
包みを軽く持ち上げてみせる。中から、まだかすかに温かい匂いがした。
「祭りの日にしか出ない串肉と、栗と、それから月の綿菓子。どれも、私が子どもの頃から通っている屋台のものだよ」
クラリスが目を輝かせ、そばにいたリタがすぐにご準備しますと立ち上がったのをみて、ジルヴェスターは満足そうに出て行った。
馬は二頭だけだった。門を出るとき、ハーゲンが何か言いたそうな顔をしたが、ジルヴェスターが片手を上げると、それだけで引き下がった。
街道を外れ、林のあいだの細い道を四半刻ほど黙々と進む。祭りの喧噪が、みるみる遠くなっていく。
アルダーンにて最初の冬が終わりつつあるのを感じた。
クラリスは気持ちいい静かさのなか、こっそりジルヴェスターを盗み見る。ジルヴェスターはのびのび優雅に大きな黒馬を乗りこなしていた。
やがて林が切れて、視界が開けた。
湖だった。
対岸の山影が水に落ちて、二重になっている。風がないので、水面は磨いた鏡のようだった。岸辺は葦が枯れて金色になり、その上に午後の光が低く差している。
「……こんなところが」
「城から半刻なのに静かだろう。」
ジルヴェスターは馬からひらりと下り、当たり前のように手綱を木に結んだ。慣れた手つきだった。何度も来ているのだとわかる。
「昔から、考え事があるときはここに来ていた。父が死んだ年は、ずいぶん来た。」
彼は倒れた木を払って、マントをを敷いた。ジルヴェスターはクラリスのところにいくとクラリスを抱き上げ鞍から下ろした。
山の中では自分で乗り降りしていたため、心臓がどきどきした。
串肉は冷めかけていたが、脂が強くて、噛むと顎が疲れた。おいしい、と言ったら、ジルヴェスターは「そうでしょう。屋台の肉をクラリスが食べるか心配だったが、野営の肉よりよっぽど美味いだろう」と笑った。栗はまだ暖かく冷たくなった指先を溶かしながら剥いた。
「今年の冬、城下の窓の灯が、去年より増えたと報告が来ている。きみが作った暖房の魔道具が下の工房で早速写されて出回りはじめ、寒い冬でも城下に活気がでてきている。本当に感謝しかない」
「いえ、大したことはしてないので…」
多くの助言をくれたルークや工房の職人たちを思い出しながら話す。それに、活気がでているのはジルヴェスターの昨今の繊維産業の勃興や、新たな鉱山開拓によるものが大きいとオズヴァルドにも聞いていた。
彼は、湖の向こうの山を見ていた。
「アルダーンは、山ばかりの国だ。昔から安定した鉱山産業はあったが、鉱山労働はリスクも高く、冬の寒さは厳しく農作物は育ちにくい。…最近はそれにも増して魔獣は増えるばかりだった。どうしたらもっと国民が豊かに幸せに暮らせるのかへの問いへの答えもないまま、王位を継ぐことになった」
ジルヴェスターが自分のことを話すのは初めてで、クラリスは驚きながらも知ってることを頭で整理する。
「六年前ですね」
「ええ。二十一のときだ。父が急に倒れて王位を継ぎ、その数年後に死んだ。答えもないまま相談できる人もいなく、この湖にきて一人で考えていた」
淡々とした声だった。可哀想に聞こえないように話す癖がついているようだ。
彼は、そこで初めてこちらを見た。
「そこへ、きみが来た」
クラリスは、栗の皮を持ったまま、動けなくなった。
「来て、半年で、毎年の苦渋だった寒さが緩和され、魔獣の糸口が発見された」
「わたし、そんなつもりでは」
「知っている。きみは、面白いから式を書いているだけだ」
彼は少し笑って、それからまっすぐ、灰色の瞳をクラリスに向けて言った。
「それでも、礼を言わせてほしい。……来てくれて、ありがとう。明日がより良くなるかもしれないと、希望を持てる日は本当に久しぶりだったんだ。」
風が水面を渡って、葦が鳴った。
クラリスは、何か返さなければと思ったのに、言葉がひとつも出てこなかった。式のことなら、いくらでも喋れるのに。ジルヴェスターが抱える悩みのその重さを思うと、胸のあたりが締めつけられた。
「もっとも」
ジルヴェスターは、瞬きも忘れたように硬直するクラリスをチラリとみて、栗を一つ剥きながら、口調をふいに軽くした。
「きみの兄上には、いまだに恨まれているけどね」
「…兄?」
「もうすぐ訪問されるというヴィルス王太子だよ。クラリス、自分がどういう縁組みで来たか、どこまで理解しているんだい?」
クラリスは、廊下で聞いた騎士たちの話を思い出した。人質。兄が優秀すぎたから。
「……なんとなくは。シェルナへの牽制ってことかと。けれどそれも的外れな感じはします。兄は…私のことを人質とは思わないでしょう。」
前を向いたまま話すクラリスをジルヴェスターはじっと見る。
「人質か…まあ結局はそうとも言えるのかもしれない。ただ、本当は僕たちは友好関係を築きたかっただけなんだ。だが、想定とは違ったのは、シェルナから断られたことかな」
「断った?」
「ああ。どうも僕たちは最初勘違いしていたようなんだが、どうやらヴィルス王太子はきみのことをよっぽど大切にしてたらしい」
クラリスは、ぽかんとした。
「……兄が?」
ジルヴェスターが言ったことを頭で整理して、笑いが込み上げてきた。
「それは絶対にありえません。ヴィルス兄様はとても優秀で忙しく、国の仕事をしない私には一切興味がなかったと言えるでしょう」
「そういう意味では僕も長らく勘違いをしていたわけだし、彼はそれを隠していたんだろう。王太子さわ溺愛してると分かれば狙われる可能性は十分ある。……結局は、僕たちとしては友好関係を築くばかりか、アルダーンが圧力をかけて姫を奪うという、望みもしない結果になってしまったわけだが。聞く話によるとヴィルス王太子の書斎に、妹の書いた式の写しを何年ぶんも取ってあるとか」
クラリスは、ジルヴェスターの言ってることが信じられなかった。つまり、元々は余物の姫をもらうことで友好関係を築こうとしたところ、余物ではなく、隠していたもので、圧力による強奪をしてしまったということを言っているのか。
クラリスは、膝の上の紙包みを見ていた。あらこれと考えてみたがやはりジルヴェスターの勘違いに思えた。
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