月の祭り
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結局討伐から戻って以来、半月以上毎日軍議と鍛錬が行われ、ジルヴェスターとまともに顔を合わせていなかった。
ただ、まともにジルヴェスターと話せない事にやきもきしていた日々は月の祭りの日が来て、あっけなく終えた。
この日ばかりは、軍議も止まる。八百年、戦の年も飢えの年も、この祭りだけは止めなかったのだと、1週間前に書庫へ向かうクラリスを捕まえてオズヴァルトが教えてくれた。
「月は、冬を司る女神とされております。冬を乗り越えられた感謝とこれからの実りの祈りを、年にいちど、月へ捧げるのでございます」
それを聞いて、ここにきてすでに4ヶ月が経ち、少しずつ暖かい季節になってきていることに気づく。
家々は窓辺に白い小さな灯をともして月を招き、街には屋台が立ち、子どもは月を象った白い菓子をもらう。そして日暮れ前、街の中心にある月見台で、王家が民の前に立つということだ。
陛下が最初の灯を点され、祝詞は王妃陛下がお読みになります、とオズヴァルドに言われたときは胃が縮む思いだった。
「……わたしが? 陛下ではなく?」
「祝詞は、古くから国の母たる方の役目でございます。月が女神であられますゆえ、声を捧げるのも女性、王は黙して灯を捧げる——そういう習わしで」
オズヴァルトはそこで、少しだけ間を置いた。
「先の王妃陛下が身罷られてからの十年以上、祝詞は読まれておりません。司祭が代読の形をとってまいりましたが……民は皆、覚えております。あれは、代読の似合わぬものでございますので」
司祭が読んでも満足されないものが、シェルナからきた部外者が読んでいいものなのだろうか。不安が募ったため、そのあと1週間、クラリスは書庫に行きアルダーンの歴史にかかわる書物を読み漁った。
どうやら数百年前の大寒波を乗り越えたときから始まった祭りで、王妃が祝辞を読むのは月の女神が女性好きと考えらているかららしい。
慌ただしい日々の中気づけば当日になっていた。
月見台は、街の中央広場にあった。
八百年前からあるという、白い石積みの円い壇だった。城のどの石とも色が違う。月の光を溜める石なのだと言われているが、本当のところは誰も知らないらしい。むしろこの祭りが数百年前から開始したものであれば、古くても数百年前のものだろうとクラリスは思った。壇のまわりを広場がぐるりと囲み、その広場が、人で埋まっていた。二千、と聞いていたが、それより多い気がした。
クラリスは淡い青の衣装に銀の細い冠で、壇の階段の下に立っていた。手の中の祝詞は十行ほどの古い文で、記法の癖が古代のものに近く、彼女にはむしろ読みやすい。読みやすいのだが、紙を持つ手は湿っていた。
先に、同じく淡い青の正装をしたジルヴェスターが壇に上がった。久しぶりに近くでみたジルヴェスターは、金の髪が夕日を集めて、そこだけ壇の石が明るく見える。絵物語の挿絵どころではなかった。挿絵の絵師が諦めて筆を置くほうの美しさだった。
言壇の中央の灯座に歩み寄り、火を移し、白い灯をひとつ点す。それだけの所作を、広場じゅうが息を詰めて見ていた。
灯が点ると、彼は振り返り、階段の下のクラリスへ、美しい笑みを浮かべ、手を差し出した。
心臓が大きく音を立てる。何に緊張してるのか分からなかったが、そのまま階段を登る。
壇の上から見る広場は、思っていたより近かった。前列の老婆の皺まで見える。皆が、こちらを見上げている。六年間、誰も立たなかった場所に立った、よその国から来た王妃が。
息を吸って、祝詞を読んだ。
古い言葉の律は式の節に似ていて、二行目からは声が落ち着いた。冬を超えた感謝。今後の実りへの願い。灯を絶やさぬことへの誓い。十行は、読んでみれば短かった。
読み終えた、その一拍あとに。
広場が、割れるように沸いた。
歓声の意味が、最初はわからなかった。祝詞はただ読んだだけだ。上手くも下手もない。わからないまま立っていると、前列の老婆が袖で目を拭っているのが見えて、それでようやく、これは自分への歓声ではないのだと気づいた。六年ぶりに、祝詞が読まれた。この国に、また祝詞を読む人がいる——皆が沸いているのは、そのことになのだった。
「——王妃様だ! 外套の王妃様!」
どこかで子どもが叫び、笑いが広がった。外套の王妃。騎士たちの暖かい外套の話が、いつのまにか城下まで下りているらしい。
みんなが嬉し泣きや笑ったりしている様子をみて、本当によかったですね、とクラリスは心から思った。
それから、その「よかった」を作れたのが今日は自分だったのだと、少し遅れて気づいて、胸のあたりが一気に熱くなった。
壇を降りるとき、ジルヴェスターがまた手を貸してくれた。その手が、一瞬だけ、儀礼に要る強さより少しだけ強く、握られた気がした。
「よく通る声だった」
すれ違いざま、彼は小さくそれだけ言った。
ほっとした、というだけでは足りなかった。歓声も、老婆の涙も、壇の下でこちらを見上げて笑っているジルヴェスターの顔も、全部がいっぺんに胸へ入ってきて、熱くなった。冠が重いふりをして、クラリスは少し俯いた。
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