立体の網
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出発は、翌朝の早くだった。クラリスは女性用の騎士服をきて、髪は高く結んでいる。リタはどうしてお嬢様が魔獣などと目に涙を溜めていたが見ないふりをした。
選抜された騎士は五十騎ほどで、掃討のときの二百騎に比べれば、ずいぶん少ない。仕留めるのではなく追うのが目的だから、大軍は要らないという話だった。ハーゲンとラウレンツの知っている顔も見える。
クラリスは、城を空にして大丈夫なのかとルークに訊いた。ワイバーンのことがあったばかりだ。
「大丈夫ですよ」ルークは、あくびをしながら答えた。「魔法師を二人残しました。それから、僕が張ったのと同じ規模のシールドを、魔道具に落とし込んで置いてきました。二人がいれば稼働できるでしょう。」
ルークの行動の速さとそれだけの魔道具をすでに作成したという事実に驚きつつクラリスは続ける。
「じゃあ、ルークは行くんですね」
「行きたくないんですけどね。今回のは選抜隊です。数は少ないが、精鋭を出す。……こういうときに残されるのは、たいてい僕なんですが、今回は、あなたがいるので」
「わたし?」
「陛下が、あなたのサポートになればと。僕は本当に忙しいのに。…いずれにせよ僕は戦闘側に回りますのであまり世話はできませんよ」
その場でどれだけ魔法を改善できるかの懸念もあったためルークが来てくれるということで、クラリスはほっと溜息をついた。
そこから2日ほど馬を進めた。アルダーン国の北部は山に面しており、魔獣は多くがそこから現れるらしい。深い山を越えると東にはリアンツァ王国、さらにその北西にはヴァルガリア帝国が広がる。帝国もリアンツァもアルダーンよりもさらに北に位置することから冬はかなり厳しく、過去八百年間、肥沃な土地を求めて南への侵略も目論んだとのことだが、この深い山を越えるのは難しかったようだ。
クラリスに用意された馬は栗色の馬で、クラリスの髪の毛と同じ色だった。途中の街で休みながらもほぼ休まずに馬を進めてきた。
クラリスは、馬にだけは幼いころから慣れていた。シェルナでは、村を回るのに馬が要ったからだ。畑から畑へ、土を調べて歩くのに、馬車の入らない畦道ばかりだった。そういう乗り方しかしてこなかったので、隊列の速さについていくだけで太腿が痛くなってきたが、遅れはしなかった。
だが、太腿は2日目になると赤く腫れ上がったため、休憩の宿屋に入るとすぐに氷をもらい冷やした。こういった旅のときにはジルヴェスターと別の部屋で良かったと思った。
次の日いよいよ山の麓にたどり着き、細い小道を進んでいく。何度も掃討に来ているのか馬の通れる道ができている。
すぐ横を、ハーゲンが離れずに進んでいる。約束どおり、片時もそばを離れない、というのを、この大男は文字どおりに守るつもりらしかった。
昼を過ぎて、隊列が緩やかな丘を登りはじめたころ、先頭にいたジルヴェスターが、大きな黒馬を寄せてきた。
「馬は、平気?」
「平気です。シェルナもよく乗っていたので」
「それは意外だ。深窓の姫だと聞いていたんだが」
「その噂、どこから来たんでしょうね….。山道はないですが、畦道ではよく乗っていました」
「きっとヴィルス王太子が、常識はずれの姫を誤魔化すために深窓の姫だなんて噂を流したんでしょう。」ルークが悪びれずもせずに口をはさむ。
ジルヴェスターは、ルークを横目で見ながら「ずいぶんルークと仲良くなったんだね」と言い、それから、思い出したように訊いた。
「畦道で、何をしていたの?」
「土を調べていました」
その一言で、クラリスの口は止まらなくなった。
畑の水はけを調べる式を、最初に作ったこと。土のなかへマナを流して、水の通り道を読んだこと。どの畑がどんなふうに水を溜めるか、村を回って調べたこと。それをもとに、この土地にはこの作物が向いている、というのを、農民たちと決めていったこと。今回の追跡の網は、その水はけの式を、水ではなく重さに反応させたものだということ。
気づけば、丘を半分登りきっていた。
「——だから、あの網は、もとは畑の式なんです。人を追うために作ったものじゃない。ただ、地面の下を読むという意味では、同じで」
そこまで一気に喋って、クラリスは、ようやく息をついた。
ジルヴェスターが、こちらを見て、笑っていた。
「……なにか、変なこと言いました?」
「いえ。魔法式のことになると、きみは、本当によく喋るね」
クラリスは、口をつぐんだ。頬が熱くなる。
「すみません。つい」
「謝らなくていい。初めて聞いたよ、きみがそんなに喋るのを。ふだんは、ずいぶん静かな人だと思っていたから」
「静かというか、話すことがないだけで」
「式の話なら、いくらでもある、と。残念だな。僕ももっと話してもらえるように面白い話をしないと」
「……いえ、そんな。」
口数が少なくなったクラリスをみてジルヴェスターが、また少し笑った。それから、ふと、考えるようなしぐさをした。
「三年前、と言いましたね。その、水はけの式を作ったのは」
「はい」
「シェルナの収穫が、急に増えたのが、たしか三年前だよね。うちの商人が驚いていた。あの小さな国が、どうやって、と。……あれは、もしかして」
クラリスは、彼が何を言いかけているのか、うまく掴めず、質問をしようとした。
そのときだった。
「止まれ!」
ハーゲンの声が、丘の上から降ってきた。
ジルヴェスターの顔から、さっきまでの柔らかさが、瞬時に消えた。
「どうした」
「前方、二百歩。ゴブリンの群れです。……こちらに、気づいています」
クラリスは、丘の上を見た。
雪をかぶった稜線の向こうに、いくつもの黒い影が、ゆっくりと動いていた。
ハーゲンの号令で、隊列が動いた。
「ゴブリンは強くはないが、集団で動いて頭がいい。勝手に動かないように」ジルヴェスターがクラリスに言いながら前へ出て離れていく。
騎士たちが二手に分かれ、丘を回り込むように広がっていく。ルークの馬が前へ出た。だるそうな気配が、跡形もなく消えている。彼が片手を上げると、空気が薄く鳴った。魔獣たちの前に、うっすらと光る壁が立ち上がる。逃げ道を、ひとつずつ塞いでいくのだ。
「王妃様」ハーゲンがクラリスの隣に来ていう。「こちらで魔法を。」
クラリスは馬を下りた。膝が少し震えたが、周りに気づかれないように慎重にかがむ。
追跡の石を、懐から取り出す。ここが、最初の一個を置く場所だった。地面に埋め、マナを通す。手のなかの板が、じんわりと温かくなった。網が張られた印だった。
目を閉じて、網の反応を探る。
すぐに、かかった。ちゃんと魔法式の通り5km先までの追跡ができているようだ。魔獣が地面を踏むたび、その位置が、指の下で光るように感じられた。
「……拾えてます。全部で、七頭」
うまくいっている。クラリスは、その手応えに、思わず口の端が上がった。
けれど、次の瞬間、板の上から、反応がひとつ、ふたつと消えていく。周りをみるとゴブリンは木の上に登っているようだ。クラリスはこの網目が地面の上だけで上の空間をカバーできていないことに気づいた。
クラリスは手元を見て網の式を、書き換える。横だけでなく、縦にも張る。土のなかを流していたマナを、地面から上へ、薄く立ち上げるように。魔法式を紙に書き、それに触媒式を足す。すると魔道具がまた動き出し、最初の七頭の居場所を捕まえた。ただ、騎士たちの攻撃のため、いくつかは遠くに逃げてすでに5km以上離れようとしていた。クラリスは立ち上がり、魔道具をもって、遠く離れていくゴブリンを追いかけ森の中にはいっていく。
「クラリス殿!」
ハーゲンの声がしたが、耳に入らなかった。
指の下で、消えた反応が、戻ってきた。
早く追いかけないとどこへ行くか分からなくなる。今の円形じゃなくて放射線状にしたらもっと遠くまで探れるだろうかとクラリスは考えながら森の先を行く。
「クラリス!」
その声ではっと顔を上げた瞬間、視界の端で、黒い影が動いた。
木の上の一頭ではない。地面の、すぐ近く。網の反応が消えていたもう一頭が、いつのまにか、丘を回り込んで、彼女の正面にいた。大きく血走った目がクラリスをとらえていた。牙が見えた。饐えた獣のにおいが、鼻を突いた。
体が、動かなかった。
魔獣が、跳んだ。
そのあいだに、割り込んだものがあった。
白い光が、横合いから走った。剣だった。ジルヴェスターの剣が、魔獣の首を、下から撥ね上げていた。獣が彼女のすぐ横で、雪の上に落ちる。黒い体液が、クラリスの頬に、点々と飛んだ。
しん、と、あたりが静かになった。クラリスは魔道具をもったまま座り込み、背中に冷たい汗が流れているのを感じた。ゴブリンの血が頬を伝わって落ちていく。
木の上の一頭も、いつのまにか、ルークの光の壁に阻まれて、ほかの騎士に囲まれていた。群れは、片づいたらしかった。
ジルヴェスターが、剣を下げて、こちらを向いた。
いつもの微笑みも、晩餐のときの柔らかさも、道中のあの困ったような笑いも、何ひとつなかった。彼は、ただ、まっすぐにクラリスを見ていたが、灰色の目が、これまで見たことのない色をしていた。
「……勝手に動くなと、言ったはずだ」
低い声だった。
「ハーゲンのそばを、片時も離れるな、と。私が退けと言ったら、理由は訊かず、退く、と。……約束したはずだ」
「あの、わたし、網が、あと少しで」
「網の話をしているんじゃない」
一喝、ではなかった。声は、むしろ静かだった。静かなのに、クラリスは、それ以上、何も言えなくなった。
「いま死にかけたんだぞ」
ジルヴェスターは、それだけ言うと、目を逸らした。逸らして、剣の血を拭い、鞘に納めた。その動作の、ひとつひとつが、怒りを抑えているのが、わかった。
クラリスは、うつむいた。
「……ごめんなさい」
小さく言った。
ジルヴェスターは、答えなかった。
ただ、ハーゲンのほうを向いて、「陣を張れ。番号の有無を確かめる」と短く指示を出し、それきり、クラリスのほうを、見なかった。
その、見ない、という一事が、どんな怒鳴り声よりも、こたえた。




