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本隊の進軍4

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日々更新予定です。(修正の可能性もあり)

突如、まだ暗闇の夜の中、丘の向こうから、地鳴りが広がる。


騎士たちが一斉に剣に手をかけた。


クラリスは、絶望的な気持ちの中、血で汚れた手のまま、天幕から騎士たちに続いて外に出た。




すると、丘の縁に、騎馬が現れた。


先頭の黒馬が止まる。その上に、黒い外套を着た金の髪が見える。


「……ジル」


クラリスは一瞬もその姿から目を離すことはできない。


黒馬は、窪地へ駆け降りてきて、荷馬車の輪の手前で、蹄で土を抉るようにして止まった。ジルヴェスターは鞍からひらりと飛び降りる。


頬に、乾いた血が飛び散り、目の下には深い隈ができている。彼は何かを探すように窪地を見渡している。


そしてクラリスを見つけると、目を見開き、すぐに駆けだす。周りにいた兵士たちがそっと道を作った。


そして動けずにいるクラリスを何も言わずに、抱きしめた。鎧の胸に額が当たる。その瞬間、背骨を電気が走ったように痺れ、膝の力が抜ける。視界が自然に滲んだ。


「……無事か」


「……はい」


血で汚れた手を背中に回すのを、クラリスは一瞬ためらって、それから構わずに回した。鎧の上からでもジルヴェスターの汗の匂いを嗅ぐと心が落ち着いてくる。


ジルヴェスターは、顔を上げた。


「……やはり、こっちが狙われたか」


「ああ」


いつのまにか近くに来ていたチェーザレが、傷のある顔で、渋く笑った。


「先鋒隊は、もう少し早く来てくれるかと思ったがな。……こっちは夜通しだ」


「話がある。伯爵領のことも…」


「軍議で話そう」


低い声が、後ろから割って入った。


セラフィンだった。


彼は、何かがあったのか、いつものように彫刻のような無表情であったが、より無慈悲に見えた。裾に、黒い染みが、点々とついている。

そのまま、幹部たちは、セラフィンを少し心配そうに見たのち、いちばん大きな天幕へ入っていった。

ジルヴェスターは、その様子をみて小さくため息をついた。そして、クラリスの髪を名残惜しそうに触り、軽くキスをすると、先に休むように強く言うと、天幕に入った。


「……姫様」


いつのまにか隣に来ていたユアンが、小さく言った。


「聖騎士の数が、減っていますね。……十名ほど、いないようです」


クラリスは、灰色のローブの列を見る。言われてみれば、出発の朝にあの中庭に並んでいた数より減っている。


やはり聖騎士たちに何かあったのだろうか。セラフィンの背中を見て、エリザベスが重なる。そしてさらにジルヴェスターを思い出す。


多くの期待と責任を負う人の孤独さはきっと理解し切ることはできないだろう。そして、それを私は助けることはきっとできない。クラリスは、小さくため息をつき、もどかしい気持ちで負傷者の天幕へ戻った。


だが、負傷者の横にしゃがんだ途端、体が動かなくなる。移動し、天幕の柱にもたれて、座り込んだ。そして——自分の臭いに、顔を歪める。マンティコアの、あの酸っぱく腐った臭い。髪に、ローブに、肌に染みついている。ずっと嗅いでいたから麻痺していたのだ。


「...奥様、今日はもうお休みください。きっと明日はこのまままた進軍することになります」


すぐそばに立っていたディートリヒが心配そうに顔を覗き込む。


「あの、川で……体を洗っても、いいでしょうか」


ディートリヒは、一瞬きょとんとして、それから、慌てたように頷いた。


「川はいけません、冷えます。……すぐに、用意させます」


そう言って、小さな天幕に案内された。

程なくして、騎士が二人、大きな桶を運んできた。


「奥様!水をお持ちしました!すみません。……冷たいですが」


みるとニクラスだった。彼はジルヴェスターと共に先鋒隊に加わっていたようだ。

ニクラスはまた一つ成長したようで、アーモンド型の目から幼さが消えてきていた。


「ニクラス!お元気でしたか?怪我もなく?…水は十分です。ありがとうございます」


「はい、奥様の護衛ができないのは残念ではありますが、陛下とクロア卿の戦いぶりを近くでみられよかったです」


元気そうなニクラスを見て安心し、クラリスはにこりと微笑む。そんな様子を見てニクラスの頬には赤みが刺したが、すぐに立ち上がると、何かあれば言ってくださいと言って出て行った。


垂れ布が下りると、クラリスは、いそいそとローブを脱ぐ。水は、冷たかった。震えながら、髪を洗い、肌を擦った。石鹸の泡が、灰色に濁って、桶の底に沈み、臭いが、少しずつ、薄くなっていく。髪を魔法式で乾かし、布で体を拭く。用意されていた清潔な寝衣を着て、寝台代わりの毛布の上に、座った。


そして座った途端、瞼が落ちた。





——どれくらい、寝たのだろう。



ふと目が覚めると、周りはまだ真っ暗だった。天幕の布越しに、遠く、篝火の揺れる音がする。

そして、横に、ジルヴェスターが寝ていた。

毛布の上に、横向きに寝て、目を閉じている。彼も水を浴びたのか、髪が少し湿っている。目の下の隈だけが、残っていた。


クラリスはジルが風邪をひかないようにと毛布をそっと掛けた。


すると彼ははっと目を開け、そしてかすかに口角を上げる。


「……起きたか」


彼の手が、伸びてきて、クラリスの髪に触れた。そしてゆっくりと、指で梳く。


「伯爵領で何があったんですか」


クラリスは先鋒隊の戻りが遅かったことやセラフィンの様子を思い出しながら尋ねる。


ジルヴェスターは、クラリスの疲れが十分に取れているかを確かめるようにじっとクラリスを見つめた。


「伯爵領はすでに魔人...司祭というべきなのか、にやられていた」


そして、彼は上半身を起こすと、クラリスの髪を梳きながら、低く話しはじめた。


「町は焼けていて、食糧庫も壊滅だ。伯爵の騎士は、ほとんどが倒れていた。門の中に、フードを被った魔人らしきものがいて、僕らを見た途端、フェンリルを十頭だけを放って、裏門から逃げた」


十頭?とクラリスは思い眉を顰める。


そんな疑問を察してジルヴェスターは続ける。


「ああ、すでに元々伯爵領にいたほとんどの魔獣は伯爵領にいなかったんだ。生き残りの騎士に話を聞けば、もう数日前に南に大量の魔獣が向かったと。僕たちがその魔獣の大群と出くわさなかったことを考えると、こちらの行動を読んだ罠だったんだろう」


ジルヴェスターは目を黒々と光らせる。


「だが、この罠を全く予想していなかったわけではない。チェーザレの判断にも助けられたわけだが」


クラリスは、みんなが、ジルが無事でいてくれたことにほっと胸をなでおろす。そしてふと聖騎士を思い出す。


「あの...聖騎士は...クロア卿は、何かあったんですか」


ジルヴェスターは、クロア卿という言葉がクラリスの口から出るのが少し気に食わなそうな顔をし、小さくため息をつく。


「聖騎士が分裂した。僕たちは罠だと気づいたとき、すぐに本隊に戻ろうとしたが、一部聖騎士が、逃げた魔人を追うと言って勝手な行動を始めた。それに対し、クロア卿はそのまま聖騎士を除名させた」


セラフィンのあの無慈悲な顔を思い出し、まさか殺されたのだろうかとクラリスは瞳を揺らす。


「聖騎士たちはどんな強い神聖魔法を当てられたのか分からないが、気絶していたよ。馬に括り付けられ、聖国に返された。クロア卿も最低限の食糧は馬に括り付けていたから、まあ大丈夫だろう。...おかげで戻るのが遅れてしまった。」


クラリスはセラフィンとの会話を思い出す。

彼は神と聖女を別物に扱っていたが、違う考えをもつ聖騎士もいるのだろう。聖女の命を絶対視する騎士がいてもおかしくはない。八百年あれば信じるものの形など変わっていく。

聖女が秘匿してきた銀の輪の真実を公にしたセラフィンは、きっと苦難な状況にいるはずだ。



「……クラリス」

名前を呼ばれ、横に座るジルヴェスターを見上げる。ジルヴェスターは少しあきれた顔をしていた。


「誰のことを心配しているのか分からないが、クロア卿なら心配は無用だ。もともと聖騎士はクロア卿のことを信仰の対象のように見ているやつらがほとんどだ。今回除名されたことで、もうこれ以上の分裂はないだろう。人の心配はいいから、まずは自分の心配を一番にしてくれ」


クラリスはそれでもセラフィンの無慈悲な顔が孤独さを表している気がして頭から離れなかったが、大きな翠の瞳でジルヴェスターをじっとみて、「はい」といった。


そんなクラリスをジルヴェスターはぐっと引き寄せ、口にキスをした。

ジルヴェスターの舌が、クラリスの中に入り、クラリスは思わず声を上げる。

そのまま、口は一瞬離れるが、すぐにまた口を塞がれる。クラリスはもう何も考えられなくなった。


「もう僕は君を離さない。帝都の作戦は危険を伴うが、絶対に僕と一緒に行動をする」

クラリスを見るその瞳は燃えるようだった。


だが、そのあと、ふっと自嘲するように笑い、続ける。

「...まあそもそもクラリスの能力が必要になる可能性が高いんだがな」


彼は、クラリスを押し、横にさせると、今日はもう寝ろと言った。


彼の手が、寝衣の上から、背中をゆっくりと撫でている。上から下へ、また上へ。眠くなるどころか体がじんじんし頭が冴えていく。


そんな冴えた頭で、どんな理由でもいい、ジルヴェスターのそばにいたいと心から思った。...そして少しでもジルヴェスターを助けられたらいい。



天幕の外で、篝火が、小さく爆ぜる音がした。

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