刻印
ワイバーンの死骸は、いつのまにか中庭から鍛錬場の隅へ移動されたようだ。血に塗れていた中庭は綺麗に清掃され、四日前の出来事がうそのようだった。
その四日目だった。
「奥様。陛下がお呼びでございます。鍛錬場の方へお越し頂けますか」
朝、オズヴァルトがそう告げに来た。公務の予定を伝える、いつもの口調ではなかった。急いで動きやすいワンピースに着替え、髪を一つにまとめると外に出た。
鍛錬場には、数人が集まっていた。そのには珍しくジルヴェスターもいた。掃討から戻って以来、まともに顔を合わせるのは初めてだった。軍議が続いていたのだろう、少し疲れて見えたが、こちらに気づくと微笑み片手を上げた。その隣にルーク。ヴィム。ハーゲン。それからディートリヒも、少し離れて立っている。皆、死骸を囲んでいた。四日も経ってまだ魔獣の死骸を処分していないことに驚きながら恐る恐る近づく。
「急に呼んで申し訳ない。ちょっと見てもらいたいものがあって。」
ジルヴェスターが、翼の付け根のあたりを指した。ヴィムが太い腕で、灰色の鱗を一枚めくり上げる。その下の、皮膚に近いところに、何かが刻まれていた。
クラリスは近づくと死骸から異様な匂いがしていることに気づき口を押さえた。胃から何かが込み上げてくるのを感じ、咄嗟に後ろを向く。
その様子に驚いたジルヴェスターは慌てて彼女の元にかけてきて肩を支えた。
「ルーク。これを直接見せなくても、お前が写しとっておけばよかったんじゃないか?」
「陛下、お言葉ですが、僕にもこの文字は分からないんです。書き写すときに何か漏れてしまったらこまるじゃないですか」
ルークは大袈裟に手を広げながらジルヴェスターに言い返した。ジルヴェスターはジロリと睨みながら、クラリスに振り返る。
「大変申し訳ないんだが、少し近づけるだろうか。ここに何か書かれているんだが、もし少しでも分かればありがたい」
クラリスはハンカチで鼻と口を押さえながら、涙目をワイバーンに向ける。
みると焼き印だった。皮を焼いて、細い線を何筋も刻んである。一見するとただの傷にも見えるが、規則があった。誰かが意図して刻んだものだった。
「ルークが、魔法式ではないかと言うんだが」ジルヴェスターが言った。「あの男にも読めないと」ルークは頭を掻きながら上を見た。
クラリスは、しばらく刻印を追った。刻印を追っているとだんだん頭が冴えてきて、気持ち悪さは引いていった。
書き癖は、たしかにアルダーンの書庫のものに似ている。母音の位置がずれた、あの古代記法。文字は追える。追ってみて、彼女は眉を寄せた。
「これ、式じゃないです」
一同が、こちらを見た。
「式なら、節があって、経路があって、始まりと終わりがあります。でも、これにはそれがない。記号が並んでいるだけ。……たぶん、数えているんです。文字の形をしているけど、意味は数字」
言いながら、クラリスは刻印の上に指を滑らせた。式でないとわかれば、あとは早かった。式は無駄がないぶん読み解くのに骨が折れるが、番号はただの符牒である。区切りさえ見つければいい。そして、区切りはすぐに見つかった。刻印は、はっきりと三つの区画に分かれていた。
「……三つに、分かれてます」
指で示す。
「ここが、たぶん番号。通し番号です。ずいぶん桁が大きい」
次の区画へ指を移す。
「ここが、時期。何年前の、何の月、というような。」
最後の区画で、指が止まった。
そこには、地名が刻まれていた。
読めた。読めたのだが、意味がわからなかった。地名のようだった
「トリムード…?」
ざわ、と空気が動いた。
「トリムードはリアンツァにある地名じゃないか」ハーゲンが鋭く言った。「間違いないか」
クラリスは彼らの反応の強さに驚きなが、もう一度文字を見る。文字を繋げるとそう読めるが確信はない。
「ちょっと改めて確認させてもらえますか」
そういいながら確認するすべがあまり見つからないため眉間に皺をよせる。
一同が、固まっていた。
「いやいい。ここに書かれてるのが何か管理する番号だと分かっただけで十分だ。シェルナの姫にこんな才能があったとは、ヴィルス王子も教えてくれなかったな」
ジルヴェスターがクラリスの横に屈み、抱き抱えるようにクラリスを立たせる。
「……あの犬どもが」
ディートリヒが、低く呻いた。手が、剣の柄にかかっていた。
「あいつらが、魔獣を飼って、こちらへ放っていたと。掃討で死んだ者は、あいつらに——」
「待て」
ジルヴェスターだった。
静かな声だった。けれど、ディートリヒの手が、ぴたりと止まった。
「リアンツァと決まったわけではない」
「しかし…」
「誰が何を企んでいるわからない時代に入っている。思い込みは捨てて、慎重に判断した方がいい」
ジルヴェスターはそう言いながらも何か考え込んでいるようだ。クラリスが早く魔獣のそばから離れたがっているのに気づき、「さて私は、才色兼備な妻を部屋まで送っていこう」といい、いつもの微笑みをクラリスに向ける。
この彫刻のような微笑みはどうも慣れない。頬が熱くなるのを感じ下を向きながら頷く。
「ヴィム。この死骸は、まだ焼くな。もっと詳しく調べる」
「はっ」
「ハーゲン。過去の掃討で仕留めた個体の、鱗の裏を確かめられるか。同じ刻印が、ほかの魔獣にもあったかどうか」
「骨置き場に、まだいくつか残っております。すぐに」
「頼む」
頭ひとつ以上背の高いジルヴェスターはクラリスを支えるように歩き出した。クラリスは一瞬血まみれの魔獣を振り返りすぐに前を見た。




