魔法式
それから数日、砦の中は慌ただしかった。
軍議は毎日、朝から夜まで開かれた。ジルヴェスター、セラフィン、チェーザレ、ラウレンツ、そしてエリザベス。司令官の間に灯りが消えることがなく、廊下を伝令が走り、侯爵領から荷馬車が着くたびに中庭がざわめいた。エリザベスとは、あの朝以来、話す機会がなかった。彼女も忙しく、クラリスも——正直に言えば、あの部屋に入って、エリザベスとジルヴェスターが地図を挟んで並んでいるのを見たくなく、呼ばれるまでは、自由に過ごすことにした。
その日の午後、クラリスは中庭にいた。
石畳の隅に腰を下ろして、膝の上に帳面を広げている。書いては、試して、消して、また書く。ここ数日、ずっとそればかりしていた。
——攻撃の式が、ほしい。
あの夜、壁の上の司祭を見つけたとき、自分には何もできなかった。攻撃魔法は早い展開力に加え魔法量が必要だ。聖国の魔石がいくら良くても、何個使っても足りない。セラフィンが来なければ、わたしはただ見ていただけだった。あの、何も届かない感じを、もう一度味わうのは嫌だった。
思いつくものはある。バリアの式の固める節をぎりぎりまで強めて、壁ではなく針の形に立てる——地面から、串刺しにする。あるいは細かい土を固めて鋭い礫にして、あの風の式で飛ばす。どちらも、紙の上では組める。組めるけれど、試すと、立ち上がりが遅い。針が伸びきる前に、人なら三歩は動ける。そして何より、魔法量を喰う。壁一枚分のマナで、針は一本しか立たない。
「……これじゃ、駄目」
消して、書き直す。針の節を細くすれば速くなるが、脆くなる。太くすれば刺さるが、遅い。土の攻撃は、そもそも「重い」のだ。水のように流れないし、火のように走らない。重いものを速く動かすには、それだけの力がいる。当たり前のことが、紙の上で何度も証明されていく。
ふと、笑い声が聞こえた。
顔を上げると、中庭の反対側の端に、ルークがいた。そして、その周りに——聖騎士が、三人。灰色のローブの、若い騎士たち。彼らが、声を押し殺すように笑っていた。
クラリスは、目を疑った。
あの、いつも黙って、いつも同じ顔をしている人たちが。ルークが何か言って、ひとりが首を振って、もうひとりが口を押さえて笑いを堪えている。
ルークが、こちらに気づいた。聖騎士たちに片手を上げて別れ、いつもの気だるげな足取りで、石畳を横切ってくる。
「いやはや」
彼は、クラリスの隣に、どさりと腰を下ろした。
「神聖魔法と普通の魔法の違いを議論していたら、盛り上がってしまって。……仲良くなりました」
「……仲良く? あの人たちと?」
「意外と、話せるんですよ。魔法の話なら。神聖魔法の使い手というのは、式を組めない代わりに、光の性質については異様に詳しいんです。僕の知らないことばかりでした」
クラリスは、まだ聖騎士たちのほうを見ていた。三人はもう、いつもの顔に戻って、塔のほうへ歩いていく。あの笑い声が、幻だったように。
「ただ、そのおかげで、面白い話も聞けました」
ルークは、声を少し落とした。
「どうやら聖騎士たちは、いま、分かれつつあるようですね」
「……分かれる?」
「はい。クロア卿が、すべてを私たちに話したでしょう。八百年、聖国が隠し続けた銀の輪のことを。いまの戦略は、それを前提に組まれている。しかも、クロア卿に劣らない戦術の天才が、こちらの陛下です。クロア卿は、陛下の意見を尊重するときもある。……その状況を、許せない聖騎士が、一部にいるようで」
クラリスは、帳面を握った。
敵地のただ中で、ただでさえ心細いのに。内側から、割れはじめている。
「……それで、どうなるんですか」
「どうなるんでしょうね」
ルークは、肩をすくめた。
「といっても、聖騎士は上下の厳しい集団ですし、クロア卿には、あの通り、圧倒的な神聖力を持つだけでなく、カリスマ性というか人を従わせる何かがある。なので、ほとんどの聖騎士は、クロア卿に従っているようです。……ただ、分かりませんね。彼は、聖女の意思を、反故にしたわけですから」
聖女の、意思。
聖騎士にとって聖女は、きっと神と同じものなのだ。その命に背くというのは、わたしたちが思うより、ずっと重いことなのかもしれない。あの人は、それを分かっていて、言ったのだろうか。
「ところで」
ルークが、急に軽い声になって、クラリスの膝の上から、帳面と、散らばった紙を、ひょいと取り上げた。
「何をしてるんですか。ずっと」
「あ……攻撃の式を、作ろうと思って。でも、うまくいかなくて」
「攻撃、ですか」
ルークは、紙を一枚ずつ、眺めていった。針の式。礫の式。風の式との組み合わせ。ふーん、と言いながら、指で節をなぞって、ときどき、小さく首を傾げる。
「……重いですね、全部」
「……はい」
「土で攻撃するなら、速さは諦めたほうがいいかもしれません。速さは、風か火に任せて」
そう言いながら、次の紙をめくって——ルークの手が、止まった。
「これは、なんですか」
クラリスは、その紙を見て、血の気が引いた。
土煙の式の、変形だった。粉を、風に乗せて広げるのではなく、ひとりの人間の周りに、薄く、まとわりつかせる式。対象の輪郭を、少しだけ、ぼやかすための。——ジルヴェスターの、あの日に日に増していく色気を、他の人に見せないために、夜中に思いついて書いたものだった。
「な、なんでもありません!」
慌てて、取り返そうとした。ルークは、すっと紙を高く上げた。
「……ああ。隠れるための式ですか」
彼は、紙を眺めたまま、感心したように言った。
「面白いですね。姿を消すんじゃなくて、目立たなくする。土煙の応用で、これは……敵地で使えますよ、姫様」
「……」
クラリスは、顔を両手で覆った。
敵地で使う気は、なかった。まったく、なかった。
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