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終戦3

ジルヴェスターについていくと、砦の三階の、角の部屋に着いた。


司令官級の来客用らしく、石の壁に厚い織物が掛けられ、寝台はふたり寝てもまだ余るほど広い。窓からは、高原の縁が見えた。昨日まで、あちら側からこの砦を見ていたことを思い出す。


「ここが……わたしの部屋ですか?」


ジルヴェスターは、クラリスをちらりと見た。


「いや。僕の部屋だ」


「……」


続き部屋の扉が、開いていた。石造りの浴場から、湯気がもくもくと上がっている。誰かが、もう湯を張ってくれていたようだ。白い湯気を見た瞬間、ごくり、と喉が鳴る。遠征に出てから一ヶ月ぶりの湯は相当魅力的だった。


「洗ってあげるよ」


「え」


振り返る間もなく、腰のベルトに手がかかって、するりと抜き取られた。ジルヴェスターは事も無げに、ローブのボタンを上からひとつずつ外しはじめる。


「じ、自分で、できます」



彼はにっこりと笑った。笑っただけで、手は止まらなかった。


結局、最後は自分でささっと脱いで、逃げるように湯に入った。




——天国だった。


熱い湯が、三日分の冷えと強張りを、指の先から溶かしていく。思わず、声にならない息が漏れた。後ろで動く気配がして、浴室にジルヴェスターが入ってくる。大きな手が、クラリスの髪を掬い、湯をかけ、丁寧に洗いはじめる。髪から、首筋へ。首筋から、背中へ。


触れられたところが、じりじりと熱い。湯の熱さとは別の熱で、肌の下を細い電気が走るようだ。恥ずかしいのに——肩を揉みほぐされ、腕を取られ、手のひらを親指でゆっくり押されているうちに、瞼が重くなってきた。魔石の形が赤く残った掌を、彼の指が、いたわるようになぞる。


「……眠い?」


「……ん……」


まどろみの中で、湯から上げられ、大きな布で体と髪を丁寧に拭かれ、きれいな木綿のローブを着せられた。抱き上げられて、運ばれて、広い寝台に、枕を背に座らされる。その一つ一つの手つきが、大事な壊れ物に触れるようで、目が覚めているのか夢なのか、分からなくなりそうだった。


「……あの、自分で……」


「今ぐらい世話させてくれ」


ジルヴェスターの声が、途中で遮る。


「いっただろう。次危ない目にあったら、僕の庇護下におくと」


顔を上げると、彼は冗談を言っているわけではなく、苦悩に満ちた目で、クラリスをみていた。


「……ごめんなさい」


「……ああ。いや」


彼は首を振って、クラリスの手を取った。


「ありがとう。……きみのおかげで、戦がすぐに終わった。死傷者も、最小限で済んだ。そうでなければ、いまごろ倍の兵を失っていただろう。……それに、これでアルダーンに取って重要な帝国の拠点は押さえた。もう、あの高原を越えて、うちに兵がなだれ込むことはない」


ジルヴェスターは、寝台の縁に腰掛けた。


「しばらく、この砦に留まり、帝都がどう出るかを見る。……この砦を失って黙っている帝国ではないだろうが、今日明日では動かない。その間にこちらは傷を癒やして、侯爵と話を詰める。エリザベス殿の父上が、数日のうちに砦へ来るそうだ」


クラリスは、枕に沈みながら頷いた。まだアルダーンに帰るのは遠い。




「それから——あの魔人だが」


彼の声が、少し低くなった。


「あれは、魔人ではなかった」


「……魔人じゃ、ない?」


言われて、思い出した。壁の上の、あの薄い光の膜。ルークが張るのと同じ形の、普通の防御の式。魔人の技にしては普通すぎる、と、あのとき場違いに驚いたことを思い出す。


「……帝国の、神殿の司祭だったようだ。黒いローブの下に、祭服を着ていた。帝都の総本山の印もあった」


「司祭……?」


クラリスは、目を見開いた。



「ああ。帝国の本山の司祭だ。……もしかすると、魔人に繋がっているのは、帝国の王族ではないのかもしれない。」


神殿が。


訊きたいことが、いくつも浮かんだ。浮かんだが、言葉にする前に、ジルヴェスターの指が唇に触れた。


「今日は、ここまでだ。……考えるのは、明日からでいい」


彼は身を屈めて、ゆっくりと、キスをした。深く、長く。離れたあと、額と額を合わせたまま、小さく笑う。


「……このまま抱きたいが。今日は、ゆっくり休め」


寝かされて、上掛けを顎まで引き上げられた。布団の上から、お腹のあたりを、大きな手のひらが、ゆっくりと撫でる。規則正しい、あたたかい重み。何か言おうとしたが、言葉になる前に、瞼のほうが先に落ちた。三日分の疲れが、彼の体温に溶かされて、押し寄せてくる。最後に覚えているのは、髪に触れる唇の感触と、窓の外の、明るい光だった。


戦のあとの朝は、腹が立つほど、晴れやかだった。

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