乗車しなかった人
律は終バスの停留所を昼間に歩いた。トンネル手前には小さな病院があり、夜は付き添いを終えた家族が利用する。交通会社の担当者は、以前ここに別の停留所があったと教えてくれた。道路の拡幅で移設され、古い待合小屋は撤去済みだ。
沿道の喫茶店で、律は店主から昔の停留所の写真を見せてもらった。小屋には長椅子が一つあり、屋根の下へ複数の傘が寄り添っている。店主は終バスが通るたび、乗らずに見送る女性がいたと話した。誰を待っていたのかは知らないという。
律は女性の身元を追うことを急がなかった。待つ人が必ず怪異になるわけではない。写真の撮影年を確かめ、運転士から聞いた人影の服装だけを比較した。時代も形も一致していなかった。
夜の営業を終えた店主は、道路の反対側に新しいベンチを設けてほしいと相談した。病院帰りの高齢者が立ったまま待つのは辛い。律は市の担当窓口を紹介し、停留所の移設資料と一緒に要望を送った。
その夜、律が終バスへ乗ると、一人の若者が後ろの席で眠っていた。人影を探すためにじろじろ見るべきではない。律は自分の席から静かに窓を見た。
喫茶店の店主はバス待ちの人へ、雨の日だけ庇の下を貸していた。律は店内を見回して、濡れた傘を置くための古い壺を見つけた。店主は廃待合所の柱にあった傘立てを譲り受けたのだと言う。取り壊された建物から、役に立つものだけが今も残っていた。
トンネルを抜けたころ若者が目覚め、停留所を間違えたと慌てた。運転士は次の安全な場所を案内した。怪異の話を知らない夜にも、車内には誰かの困り事がある。




