鈴のない踏切
総武線沿いの古い踏切で、通行止めになった後も鈴が聞こえるという通報が続いていた。相良班長は明け方、線路管理者と一緒に現場へ入った。踏切の設備は十年前に撤去され、警報機の配線も残っていない。
「人の耳には聞こえるんですが、録音には入らないんです」
駅員は記録用のスマートフォンを見せた。車の音と小鳥の鳴き声だけが入っている。相良は録音を信用しないのではなく、録音に残らない現象として受け取った。
雨の跡が乾きかけた砂利道に、車椅子の車輪に似た細い二本の線がある。線路を渡るところで途切れ、その先に続きはない。相良はかつての道路台帳を取り寄せた。
撤去前には、踏切の南側に小さな診療所があった。診療所へ通う老人たちが使い、踏切を閉じた後は遠回りして大きな陸橋を渡るようになった。制度上は問題のない工事だった。
若い隊員の森崎は、「未練でしょうか」と呟いた。相良は反対しなかったが、肯定もしなかった。未練という便利な言葉で、誰が何に困っていたかを消すべきではない。
近くの商店は踏切があった時代の写真を掲げていた。道の真ん中に写る自転車も、今は走る場所がない。森崎が写真を撮ってもよいか尋ねると、店主は古い額を外してくれた。「ここを覚えている人が、もう少なくなったからね」。
駅員が保守車両を通すため道を横切ると、かすかな鈴が一度だけ鳴った。相良は振り返らず、耳を澄ませた。音は危険を知らせるほど鋭くなく、誰かを急がせるほど大きくもなかった。
その日の作業票には、設備の異常なしと、未解明の警報音を別々に記した。二つを一つにまとめると、どちらかが消えてしまう。




