暖簾の向こう側
律は銭湯の調査報告を榊へ持参した。原因は確定していない。三分間の時計の異常と三番の靴箱の水滴は事実として残したが、同じ存在が起こしたとは書かなかった。榊はその説明を聞いて、書類を丁寧に折り畳んだ。
設備業者の点検では、封じられた配管の周囲に漏水はなかった。浴場へ入る人を危険に晒す兆候もない。律は経過観察を提案し、榊は営業時間後の異常だけを日誌へ記すと決めた。
営業前、近所の高齢者が銭湯の階段で足を滑らせた。怪異とは無関係だが、律と榊は手摺の低さに気づいた。補修には時間がかかるため、ひとまず滑り止めを敷き、区の補助制度を調べた。
午後、最初の客が暖簾をくぐった。親子連れだった。子供は番台にある小さな砂時計を見つけ、榊に何のためか尋ねた。榊は「昔、髪を洗う時間を測ったんだよ」と教えた。子供は砂を返して喜んだ。
律はこの店の古い時間が一つの意味だけを持つわけではないと感じた。三分を待つ人もいれば、急いで帰る人もいる。どちらも毎日ここを使う暮らしの中にある。
店に新しい滑り止めが届くと、榊は常連客に使い心地を尋ねた。濡れた足で試すのは危ないので、営業時間前に職員だけで確認する。律は邪魔にならない場所で見ていた。見慣れた階段でも、手を掛け続けなければ少しずつ傷む。湯屋を守ってきたのは、特別な術だけではなかった。
榊は補修に来る職人の休業予定を聞き、店の貼り紙に日付を大きく書いた。毎日来る客ほど、変更に早く気づいてほしかった。
店を出た律は、支所の記録に手摺工事の連絡先を添えた。浴場の中で何かが待っているとしても、その前に今の客が安全に上がれる階段が必要だった。




