空の揺り籠
深見は病院の倉庫で、古い保育器を前に足を止めた。使われなくなった機械には備品番号が残り、処分予定の札が付いていた。看護師の千田は、屋上の歌声が始まった頃から保育器のガラスが夜だけ曇ると話した。
「夜の温度差は調べましたか」。深見の問いに設備担当は温湿度計を持ってきた。倉庫は空調の効きが悪く、機械のガラスには結露が生じやすい。深見は怪異の証拠として扱わず、換気を直す方を先に頼んだ。
千田は保育器を捨てたくないわけではなかった。ただ、この中で育った子供の家族が、時々病院へ近況を伝えに来る。古い機械がなくなったことを知らずに訪ねてくる人もいるのだという。
深見は処分を止める権限がないと説明した。それでも病院が検討する時間は作れる。院内の記録担当へ連絡し、機器が使われた年代と保存の必要性を判断してもらうよう依頼した。
屋上の歌はその日も聞こえたが、倉庫のガラスは曇らなかった。条件が同じでないのだから、二つを一つの現象にまとめることはできない。千田は少し残念そうに見えた。それでも深見の説明に頷いた。
千田は展示に回す機械を手入れするため、倉庫の照明を明るくした。深見はガラスの縁に古いシールが残っていることに気づく。貼った人の名前はないが、点検日だけは読み取れた。保育器は奇妙な品になる前に、長く点検され、使われてきた医療機器だった。千田は消えかけた数字を写真へ残した。
千田は保管庫の鍵を元の位置に掛けた。
夕方、古い保育器は倉庫の隅へ戻された。隣では新しい機器の消毒が行われ、明日の入院に備えて職員が忙しく働いていた。




