地下書庫の水跡
東部支所の地下書庫で、井波は床に細い水跡を見つけた。水道管も空調も異常がなく、雨漏りの形ではない。水跡は棚の間を進み、古い路地の記録を入れた箱の前で止まっている。
篠原澪が棚を開けると、真鍮の鍵の封筒だけが湿っていた。木製の楔と鉄の鍵は乾いたまま。井波は手袋を替え、濡れた封筒を新しいものへ入れ直した。
「橋の報告が来てからですか」
澪の問いに井波は頷いた。河川橋の現場と茶舗の木戸は離れているが、どちらも古い水路の地図に印がある。同じ怪異だと判断するには材料が足りない。
三崎が戻り、床の水跡を見て眉をひそめた。結界の異常ならすぐに出入口を閉じる。しかし水跡は箱の前で止まり、外へ広がろうとはしていない。
井波は保管庫の古い入館記録を調べた。二十年前に同じ鍵を持ち込んだ隊員の名前が残っている。隊員は退職して地方へ移っており、連絡先は変わっていた。
「生きている人から聞けば分かることもあるかもしれませんね」
書庫の鍵には新しい管理番号を付けた。封じ札の交換は、設備点検の後で行うことになった。
地下の窓には薄い曇りが残っていた。
井波は濡れた封筒と乾いた封筒を別々の棚へ置いた。並べたままでは湿気が移り、証拠になる紙の傷みも進む。鍵の異常を調べるために、保管庫そのものを傷めてはいけない。澪は地下の換気装置を点検し、設備担当へも連絡した。
澪は職員名簿を閉じた。故人の記録を辿るより、まず話せる人を探す。支所長へ照会の許可を求めることにした。
夜、水跡は乾いた。鍵の封筒には薄い泥の縁が残り、井波はそれをこすり落とさず、透明な袋に封じた。




