聞き返した声
応援に来た越智奈央は、橋の下へ入る前に古い渡し場の記録を確かめた。相良が見つけた砂採り船の名簿には、帰還した人と行方不明の人が混在している。川へ落ちた者だけが名を呼ぶわけではない。
夜、奈央は橋脚へ三本の糸を張った。音がする場所を確かめるためのものだ。相良が手を離すと、糸は一本ずつ水面の方向へ伸びた。川の流れと逆向きだった。
「誰だ」
奈央が低く問うと、声は森崎の名前を呼んだ。森崎は現場にいない。返事は無かったが、橋の下で薄い輪が揺れ始めた。輪の中に、陸へ上がろうとする人の腕が見えた。
相良は札を投げ、輪を一度閉じた。しかし次の瞬間、輪は二つに割れ、橋脚の根元から別の声が溢れた。呼ばれる名前は三人分、四人分と増えていく。
奈央は撤退を告げた。無理に封じれば橋脚の周囲ごと壊しかねない。相良は足元の糸を切り、後退する。その時、奈央が水面の暗がりへ引かれた。膝まで落ちたところで、相良が手を掴んだ。
奈央は濡れた袖を絞り、時計の時刻を確かめた。
奈央が膝まで引き込まれた瞬間、相良は反射的に結界を強めようとした。だが結界を張れば奈央の手首まで切り離す危険がある。彼は術を止め、人間の手で引き上げた。後で奈央はその判断に礼を言った。力を使わなかったことが、その夜の一番大きな決断だった。
二人は橋の外へ出た。奈央の靴には川砂が詰まり、手の甲に細い輪の痕が残っている。誰も大きな怪我はしていないが、封じ込めには失敗した。
夜明け前、現場は封鎖された。相良は失敗をそのまま報告し、救援班の増員を求めた。後ろの河川道路では、始発のバスがいつもどおり走り始めていた。




