濡れた報告書
森崎の報告書は、乾かしても端だけ湿っていた。支所の医務担当者は健康状態に異常がないと確認したが、右耳にかすかな水音が残っているという。相良は翌日の現場復帰を見送り、事務作業へ回した。
「足手まといになった気がします」
森崎が言うと、相良は「自分で戻ってきた。それで十分だ」と返した。叱るよりも、何を聞いたのか一緒に整理することが必要だった。
川砂を調べると、上流の土とは成分が違っていた。古い地図をたどると、橋の下には昔、川底の砂を採る船が集まっていたという。河川敷の資料に、過去の水運と労働者の記録が残されていた。
相良は日暮れに一人で橋へ戻ることを避け、外部班へ応援を求めた。しかし人手が足りず、翌日まで待つことになった。焦りがないわけではない。森崎の耳の中の水音は、夜になると強くなる。
窓の外では朝の通勤電車が動き始めた。森崎は人の生活音を聞きながら、少しだけ眠れた。
井波が森崎へ差し出したのは、新しい護符ではなく紙の耳栓の包みだった。「試してよければ」とだけ言う。森崎は使ってみたが、水音は変わらなかった。それでも耳を塞いだまま眠れない夜より、原因をひとつずつ確かめられる方が気持ちは落ち着いた。
井波は古い医療記録を探し、似た症状の報告が数件あったことを見つけた。どれも水のある場所で人名を呼ばれた後に起きている。治療の記載はないが、無理に聞き返さないよう指示があった。
森崎は紙を読んで、耳を塞ぐのをやめた。音は残るが、聞き返さなければ少し遠のく。朝まで眠れないのではと心配していた彼に、井波は休憩室の照明を一つ落としてやった。




