川底の地図
古い川を調べるため、澪は区の土木資料室へ出向いた。閲覧机の向こうでは、定年を過ぎて再雇用された職員が縮尺の違う地図を三枚揃えてくれた。協会の肩書きは『建物調査協力員』で通してある。
地図に描かれた小川は、昭和四十年代に暗渠となり、現在の車道の下へ移されていた。水の通り道だけでなく、人が歩くための小さな橋も消えていた。
「ここには雨の日だけ渡れる石橋があったそうです」
職員は郷土史の注釈を開いた。洪水の時には渡れず、増水が収まると川面から現れる。子供を学校へ送るのに使われた、名前もない橋だったという。
澪は黄色い長靴と、雨の夜に階段を降りる足音を思い浮かべた。怪異が下りようとしているのは一階ではなく、川のあった場所かもしれない。
支所へ連絡すると、三崎は水路の断面図を頼んだ。澪は許可を取って複写し、失われた橋を赤鉛筆で記した。図面の端に『昭和五十二年、通行停止』とある。橋が壊れたのは、下宿屋の改築より前だった。
「何か分かったか」と資料室の職員が問う。澪は説明できる範囲で答えた。「道に迷っている人がいるのかもしれません」。職員は笑わなかった。
昼休み、資料室の職員は弁当の包みを広げながら、埋めた川の名前を教えてくれた。今ではバス停の名前にしか残らないという。澪が手帳を開くと、職員は漢字の書き方を丁寧に教えた。地名を間違えれば、次に調べる人が別の場所へ行ってしまう。
夕方、地下にしまわれていた橋の写真がもう一枚見つかった。欄干には小さな木札が掛かっている。裏側に『雨の子はここから』と読める文字があった。
澪は書き写したあと、写真の利用申請書を出した。昔の誰かの工夫を、名前の分からないまま持ち去るわけにはいかなかった。




