黄色い長靴
管理人の母親は、下宿屋で働いていた。娘だった管理人は、雨の日に誰も履かない黄色い長靴へ水が溜まるのを覚えていた。大家は水を捨て、靴のつま先を川の方へ向け直していたという。
「気味が悪くなかったんですか」
澪が聞くと、女性は少し考えた。「子供の頃は、知らない人の靴だって思っていたから」。彼女は棚の高さまで手で示した。
三崎は三〇七号室の壁を叩き、床の線と昔の写真を重ねた。配管工事で外された板の裏には、棚を固定していた二本の釘穴が残っていた。誰かが封印を破ろうとしたのではない。ただ壁を新しくして、古い役目が失われたのだ。
澪は試しに、管理人が保管していた黄色い長靴を床へ置いた。片足の靴は、棚を失くした子供のように落ち着かず、少しずつつま先を変えた。
「迎えを待ってるんですか」
澪の問いに返事はない。かわりに、閉まった窓のガラスが細く曇った。曇りは縦に走り、川へ向かう一本の線になった。
三崎は翌日の調査予定を管理人に説明した。すぐに退治すれば部屋は静かになるだろう。しかし怪異の正体が、かつて川へ帰る道を教えていたものなら、静けさの代わりに何かを失う。
集会所では帰宅を待つ人たちが眠っていた。仕事へ出るため着替えを取りに行きたいと訴える住人もいた。三崎はその要望を一覧にし、危険の少ない一階の部屋から、立ち会いのもとで荷物を取り出す段取りを決めた。怪異を調べる時間も、住民から借りた時間だった。
住民には三階だけの立ち入り制限が続く。管理人は申し訳なさそうに頭を下げたが、三崎は首を振った。「待つのも仕事です」。
集会所へ戻る途中、澪は自動販売機の横に置かれた小さな傘を見つけた。誰かが忘れた子供用の傘だった。彼女は触らず、落とし物として管理人へ届けた。




