山道の道標
多摩の旧街道で、夕暮れになると道標の矢印が変わるという報告があった。石に彫られた文字は動かないのに、手をかざすと別の方角を示す影が落ちる。多摩連絡所の退魔師、深見岳はその影を地面に写し取った。
山道は散策路として整備されており、平日でも人が歩く。深見は立ち入り制限を急がず、観光協会の巡回員から迷子の件数を聞いた。大きな事故はないが、道標から先で同じ道を何度も歩く人がいるらしい。
古い地図には、道標の先に二本の道があった。現在使われるのは尾根の道だけ。もう一本は谷へ下り、昭和の初めに崩落して閉じられている。
「影は古い道の方を指しています」
助手の堀田が言った。深見は頷き、石の根元を調べた。そこには新しい登山靴の跡が残っていた。誰かが誤って谷へ下りたのなら、影の正体より救助が先だ。
地図を広げると、谷へ下りる道の名前だけが赤く塗られていた。深見は理由を店主へ尋ね、古い遭難記録と照らし合わせた。山で噂が先行することの危うさを、堀田も身をもって知った。
登山口の売店には、昔の山道を描いた手作りの地図が貼られていた。深見は店主から、矢印が変わる噂が観光客の間で広がっていると聞いた。面白半分に谷へ行く者を増やさないよう、店主は噂を否定も肯定もせず、危険区域の案内だけをしていた。
山岳救助隊に確認すると、前日の捜索では該当者はいない。深見は日没まで巡回し、道標の影がどの時刻に変わるか記録した。
西日が木の間へ差し込んだ頃、石にかかった影がひとりでに谷へ伸びた。風が止み、鳥の声も遠のいた。堀田が無線を取ろうとすると、谷の方から「こちらだよ」と幼い声がした。




