右の石
古川律は石畳の右端へ置いた温度計が、触れる前に零度近くまで下がるのを見た。周囲は初夏の蒸し暑さなのに、石の上だけが薄い霜をまとっている。三崎は避けて歩くよう指示し、篠原澪は結界糸を張った。
東雲と名乗った青年は、石に近づかなかった。彼が見ていたのは、石の向こうから広がる細い影だった。影は足の形を取らず、人が一人ぶん立つほどの幅で道を横切っている。
「踏めばどうなりますか」
律が尋ねると、東雲は「数えられます」と答えた。それが何を意味するのか説明はない。律は続けて問うことをやめ、測定値を紙に写した。
澪は足音を聞いた。三人の足音の間に、もうひとつ遅れて鳴る音がある。三崎がその場で名を呼び、澪、律が順に返事をした。返事が三つ揃った瞬間、石の上の霜が溶けた。
東雲が何かをしたようには見えなかった。しかし、影が石の隙間へ引き込まれると同時に、遠くの寺の屋根から鐘の音が響いた。律の計測器は動かなくなったが、壊れてはいない。
三崎は戻った後、東雲の助言を記録する前に自分たちの測定値を整理した。何を見て判断したのかを確かめなければ、次の者は助言だけを信じてしまう。名前の知られた退魔師がいたとしても、通常の安全確認を省いてよい理由にはならなかった。
三崎はそれ以上進まない判断をした。「今夜は撤収する」。東雲は頷いた。帰り道には余分な足音がしなかった。木戸を越える直前、東雲は足を止め、「風やみて、石の道には、影ひとつ」と呟いた。澪は意味を問わなかった。戸の外で名を呼ぶと、三人とも答えた。
茶舗の老女は待っていたように湯を沸かしていた。三崎は礼を言い、澪は右の石が冷たくなる条件を記録した。青年の名前は特記事項へ書き添えただけで、報告書の中心にはしなかった。




