持ち主のない一本
区の遺失物倉庫から、保管期間を過ぎた傘の処分日が通知された。越智奈央は業務として立ち会うことになり、番号札を読み上げた。ほとんどはビニール傘で、持ち手に名前のあるものは返却が済んでいた。
最後に一本、骨の曲がった黒い傘が残った。傘の裏側には船の絵が薄く描かれている。倉庫の係員は、この傘だけ引取人の欄が毎月書き変わると話した。字形はいつも同じで、『渡しの番』と書かれている。
「誰かの悪戯ですかね」
奈央は答えず、控え用の紙を一枚借りた。傘を処分せず資料として保管する許可を取り、旧船着き場の記録とともに協会へ持ち帰った。
夕方、渡し場で祖父を偲んでいた女性が訪ねてきた。祖父の遺品の写真に、同じ傘が写っていたという。傘の柄には、濡れた手が滑らないよう布が巻かれていたはずだった。
現物を見ると、柄には布が残っていない。女性は受け取ることをためらった。「祖父が置いてきたなら、持ち帰らない方がいい気がして」。奈央は返すかどうかを急がせなかった。
展示箱の設置場所は、住民との話し合いで決めた。河川敷の通行を妨げず、洪水時には撤去できる高さにする。奈央は傘の来歴を断定する説明文を避け、旧渡し場の道具としての歴史だけを記した。怪異を知らない人も見に来られるようにするためだった。
その後、傘は橋脚の脇の小さな展示箱へ移された。箱は河川管理者が設置し、保守員が毎週点検する。雨の日には曇るが、内部へ水は入らない。
奈央が最後に見た時、黒い傘の先は川とは反対の、いまの歩道へ向いていた。彼女は箱の扉に鍵をかけ、鍵番号を台帳へ記した。




