消えた子守歌
区立病院の小児病棟では、消灯後に一つの部屋から子守歌が聞こえるという。病棟師長から連絡を受けた退魔師の久我千鶴は、音の出る時間帯と入院児の睡眠記録を先に確認した。
部屋にいる七歳の少年は、手術を控えて眠れない夜が続いていた。見舞いの家族は遠方に住み、週に一度しか来られない。歌は少年が泣き出す直前に始まり、落ち着くと止まる。
「いま止めてしまうと、彼が困るのでは」
若い看護師が言った。千鶴は頷いたが、音の出所が分からないまま放置もできない。病院には、優しく近づくものほど厄介な怪異がある。
天井裏を調べると、紙に包まれた古い鈴が一本見つかった。三十年前の建て替え時、院内の小さな慰霊室から移されたものらしい。鈴は一度も鳴っていないのに、千鶴が近づくと小さな歌声が聞こえた。
少年には何も説明せず、窓から見える公園の木の話をした。落ち葉の季節になったら、退院して見に行けるかもしれない。少年は初めて手術の日を指折り数えた。
師長は廊下の時計を見て、次の巡回へ向かった。
師長は病室の前に立ち、夜勤の看護師へ特別扱いをしないよう頼んだ。少年が歌を聞くことを知れば、他の子供が羨ましがったり怖がったりする。千鶴は師長の判断に従い、観察記録の閲覧者を絞った。異常を調べることと、子供の安心を守ることは同時にできるはずだった。
千鶴は鈴を持ち帰らなかった。夜ごと天井裏に張った細い封じ糸が切れていないか、看護師と別に点検することにした。
病棟を出る頃、少年の部屋から歌が聞こえた。千鶴には優しい声に思えた。だがその優しさが誰のものなのか、まだ知ることはできなかった。




