言えない相談
橘が担当したのは、古い商店街の理髪店からの電話だった。鏡の中の客が、時々口を開いても声を出さないという。店主は妖怪の仕業と思ったわけではなく、客が体調を崩しているのではないかと心配していた。
来店客の承諾を得て、橘と澪が店を訪ねた。鏡は数年前に取り替えられ、背面の壁には剥がした壁紙の跡が残る。店主は昔から同じ場所で髪を切り、近所の人々の顔を見続けてきた。
理髪店の店主は、客の体調に気づけなかったらどうしようと悩んでいた。橘は医療の判断を肩代わりする必要はないと話し、緊急時に使える連絡先を渡した。店主は鏡の前に置く椅子の角度を少し変え、息苦しさを訴える人がいたらすぐ席を替えられるようにした。
問題の客は二日前から声が出にくいと話した。鏡の前に座ると喉が締まる感覚があるらしい。橘は医療機関の受診を勧め、症状の原因を妖怪と決めつけなかった。
店主の母親は、昔ここが伝言所だったと教えた。電話のない家が多かった頃、遠方へ行った家族から届く話を理髪店が預かったという。知らせを待つ人が鏡を見ながら何時間も座っていたことがある。
鏡へ観測紙を貼ると、紙には何も反応しなかった。代わりに、店の奥に置かれた古い伝言帳の頁だけがゆっくり開いた。風はない。澪が近づくと、一枚に「伝えず」と薄く書かれた文字が見えた。
店主は帳面を閉じようとして、手を止めた。名前を見られたくない人がいるかもしれない。橘は店主の許可が出るまで内容を読まないと約束した。
翌日、客の声は少し戻った。診察を受けたことが確認でき、理髪店にはいつもどおり鋏の音が響いた。




