休憩室の茶碗
篠原澪が遅番を終えると、休憩室に茶碗が一つ余っていた。洗い籠に伏せられた青い茶碗で、普段は三崎が使っているものではない。井波も相良も心当たりがなかった。
井波が茶碗を持ち上げると、底に古い支所の印がある。「備品なら番号があるはずなのに」。棚の奥の台帳には、現在の茶碗が六客と書かれていた。数えると七客ある。
澪は術具で反応を調べようとしたが、井波が止めた。最初に洗い場の当番を確認する。前日の当番者は、一つ増えた記憶などないと答えた。翌朝の当番表も同じだった。
「幽霊でも、お茶くらい飲むんですかね」
若い事務員が笑うと、三崎は「分からんものを笑うのはまだ早い」と言った。怒っているのではない。事故が起きると、軽口が一番長く人の耳に残ることを知っているのだ。
井波は古い写真帳を持ってきた。十数年前の支所の慰労会に、青い茶碗が写っていた。使っていたのは長く病休を取った女性の職員だった。本人は健在で、今は別の県で暮らしている。
茶碗の底をよく見ると、青い釉薬の一部が欠けていた。澪は欠けた箇所を指で触らず、写真に撮った。誰かが持ち帰るたびに欠けたのか、最初からそうだったのかは分からない。井波は茶碗を食器として使わないことにした。思い出の品が危険を招かぬよう、暮らしの棚とは別に置いた。
「返してもらうほどの品じゃないわ」と電話の向こうで女性は笑った。「でも、みんなでお茶を飲んだことを覚えていてくれたのね」。
茶碗は翌日から洗い籠ではなく、棚の一番上へ置かれた。誰も怪異として報告しなかった。澪は茶碗の青い縁を見て、忘れていた名前を思い出せる場所も必要なのだと思った。




