幕の裏の名前
古い人形芝居の関係者を探していた律は、河名館主の紹介で元操り手の女性・葛西と会った。小さな公演の記録なら残しているという。葛西は台本を見て、黒子が二人だったのは確かだと語った。「一人は、舞台に立てなかった人の代わりだったの」。
若い操り手が怪我をして、人形を動かせなくなった時期があった。仲間は舞台に出る位置を空け、袖から見守る役を頼んだ。名前は番付へ載らず、後で写真を見ても誰が立っていたか分からない。葛西はそのことを悔やんでいた。
葛西は台本に折り目を付ける癖があり、古い公演の合図の場所がすぐ分かった。若い頃の仲間がそれぞれ別の仕事へ就き、もう集まれないこともあるという。律が寂しいか尋ねると、葛西は「ちゃんと暮らしているなら、それでいい」と答えた。返事のあと、手紙を一枚丁寧に畳んだ。
葛西の家の玄関には、かつて使った人形の小さな足袋が飾られていた。律は触れずに眺め、その縫い目が驚くほど細かいことに気づいた。
律は話を急いでまとめず、葛西が持つ手紙の日付を確かめた。記憶は温かくても、年月を経れば混ざるものだ。手紙には公演の出演料と稽古場の家賃が書かれ、怪異を証明するものは一つもない。
館主へ戻って伝えると、河名は当時の演目を復活させたいと言い出した。だが律は勧めなかった。古い誰かを慰めるために今の役者が危険な衣装を着る理由はない。
葛西は代わりに、破れた台本の補修を申し出た。読み上げる会を開くなら、今の子供たちにも芝居の仕事を知ってもらえるという。館主は椅子の数を考え始めた。
夕方、律は稽古場の出口で左袖を引く風を感じた。衣装は保管室にある。律は扉を施錠し、鍵を小野へ返して劇場を出た。




