見えない黒子
劇場の舞台裏で、律は人形芝居の古い台本を見つけた。館主が長年保管していたもので、紙の端に「黒子は二人」と書かれている。しかし当時の写真に写る黒子は一人だった。もう一人の顔は幕で隠れている。
衣装係の小野は左袖を引かれた役者を心配していた。役者本人は怖がりながらも、公演を休みたくないと言う。律は本人の意思を確かめたうえで、稽古の一部だけ観測させてもらった。
代替衣装で踊ると腕は引かれない。古い糸を使った衣装へ戻した瞬間、舞台の床に二つの影が増えた。役者はまだ袖口を通していない。律にはその影が人のものか、照明の具合によるものか判断できなかった。
劇場の電気主任が照明角度を変えると、影は普通の数へ戻った。主任は光の反射の説明をしたが、律は映像に残る最初の影を消去しなかった。理屈の通る部分と、まだ測れていない部分がある。
影の確認に使った映像には、舞台監督の号令と、衣装係が針を落とした小さな音まで入っていた。律は映像の前後を切り取らず保存した。不可解な瞬間だけ残せば、照明が切り替わる時刻も役者の立ち位置も分からなくなる。小野は保存方法を聞き、安心した顔を見せた。
小野は衣装をほどき直す決心をした。時間がかかるため、役者と相談して別の演目から稽古を進める。舞台監督は予定表を書き換え、道具係は転倒の危険がある床の板を修理した。
小野はほどいた糸を紙へ固定する際、針を使わず細い紐を選んだ。元に戻せる方法を大切にしていた。
稽古の終わり、小野が衣装を仕舞うと、空の袖が一瞬だけ持ち上がった。誰も悲鳴を上げなかった。布はたたまれ、翌朝の作業台へ置かれた。




