袖を引く芝居小屋
旧市街の小劇場から、舞台袖で衣装が引かれるという相談が届いた。担当の古川律は、稽古中の若い劇団員へ話を聞いた。引かれるのは衣装の左袖だけ。転んだ者はいないが、客席に出る直前に腕が重くなるという。
劇場の館主・河名は戦後の建物だと説明したが、裏手の基礎には古い木材が使われていた。かつて人形芝居の小屋があり、舞台装置を保管する場所だったらしい。資料には火事による建て替えが記録されている。
道具係は舞台で使う梯子の脚を測り直し、滑り止めを貼り替えていた。律が何をしているか尋ねると、「芝居の最中に見えるのは役者だけでも、支えるのはもっと大勢です」と答えた。館主は稽古場の床が傷んだ箇所に印を付け、休演日の修理を手配した。
館主は舞台袖の通路に、新しい蓄光テープを貼った。暗転時にも出口が分かるようにするためだった。
律は舞台袖の縄を点検した。衣装の裾が絡むほど低い場所ではない。照明のケーブルは新しく、つまずき防止の養生もされていた。稽古が始まると一人の役者が足を止めた。左腕の先が何かを押さえているように見える。
演出家はすぐ稽古を中断し、衣装を脱がせた。律が布地を調べると、縫い目に古い糸が一筋混じっていた。衣装係は修復用の糸ではないと言い、以前の寄贈品から布をほどいたことを思い出した。
公演までは一週間。衣装を丸ごと捨てる余裕はないが、役者の安全を危険にさらす必要もない。館主は代替の上着を手配し、律は古い糸を切らずに外して保管することを勧めた。
幕の奥から小さな拍子木の音が聞こえた。舞台監督はまだ合図を出していない。律が振り返ると、客席の一番後ろで照明の点検が始まっていた。




