午後の階段
市営住宅の手すり工事が終わり、管理人は澪たちを点検へ招いた。住人が持参した買い物袋を使って、片手がふさがった状態で上がれるか確かめる。若い職人が実演してみせると、住民の女性は「実際にはもっと重いのよ」と笑って袋へ野菜を足した。
律は古い踊り場が現れる時間を待った。午後二時、光の差し方が変わり、壁の端へ細い影が伸びる。中学生の話では、その時間帯にだけ階段が広く感じられるらしい。律には段差も手すりも増えて見えなかった。
階段の掲示板には、工事への協力を求める紙がまだ貼ってあった。撤去しようとした管理人へ、住民が「もう少し残して」と頼んだ。自分たちの声で設備が変わったことを確認したいのだという。澪は紙が古びるまで掲示しても、誰の通行も妨げない位置だと確かめた。
三階の老人は新しい手すりを握り、途中で休まず上がった。澪が「前にあったものは使わなくなりますか」と尋ねると、老人は肩をすくめた。「お世話になったなら、そう簡単に忘れられないでしょう」。何を指しているかは聞かなかった。
建物の外では、自治会が植木鉢の置き場を移していた。車椅子の通行を妨げないよう、住民が自分たちで場所を決めたのだ。管理人は工事の請求書と住人の意見をまとめ、次の修繕計画へ添えた。
職人たちは翌日、余った金具を数えて持ち帰った。管理人はその受領書にも署名をした。
夕方、澪が建物を出る頃、階段の小窓があった壁に日が当たった。埋めた跡は残る。ところが階下から見上げると、そこだけ誰かが窓を開けたように明るい。
澪は立ち止まらなかった。古い建物にはまだ直す場所があり、手すりを必要とする人も、明日また階段を上がる。




