夜学の机
準備室の机を動かす工事が始まる前、律は夜間学級の卒業者に会う機会を得た。八十歳を越えた藤倉は、教室の配置を図面なしで説明した。黒板の左に先生の机、窓側に足の悪い生徒の席。誰かが遅れて来たら、入口に近い席を空けたという。
藤倉は黒板の写真を眺め、「これ、出欠じゃないかな」と言った。三本、五本、二本は班ごとの人数だった。夜間学級では働く時間がばらばらで、同じ顔が揃う日などほとんどなかった。教師は人数だけを板書し、来た者を叱らず授業を始めたという。
律は校長へその説明を伝えたが、怪異の正体が確定したとは言わなかった。写真に映る線がいつ誰によって描かれたか、証明はできない。藤倉も「昔の癖は残るかね」と笑っただけだ。
藤倉の話を聞いた校長は、夜間学級の歴史を学校の行事で扱うか迷っていた。律は当事者の承諾が得られた範囲に限るよう勧めた。若い教員は、生徒に昔の勉強道具を見せる展示ならどうかと提案し、まず黒板消しや古い定規の所蔵先を調べることにした。
藤倉は教室へ来る前に家族へ連絡しており、長く留守にできないと話した。校長は帰りの車を手配し、聞き取りを予定より早く切り上げた。
学校では机の脚が床を傷つけるため、工事業者が下に保護材を敷いていた。藤倉はその様子を見て、当時は靴の泥を落とすため新聞紙を畳んだものだと話した。今の生徒には別の苦労がある。
帰る時、藤倉は卒業式の写真の提供を断った。隣の席の友人に事情を聞かず、顔を公にしたくないのだという。律は封筒を返し、それ以上頼まなかった。
準備室の黒板に線は増えなかった。放課後の廊下には、試験の点数を言い合いながら帰る生徒の靴音だけが響いていた。




