帰る人の灯
東部支所の窓から商店街が見えた。夕暮れ、井波は受付の電灯を一つ早めに点けた。雨雲が厚く、来訪者の足元が暗かったからだ。篠原澪は配達された資料を受け取り、島岡へ返す乗車券の封筒を確認した。
茶舗からは石畳の修理が終わったと知らせが来ていた。木戸は閉まり、宮野は新茶の注文で忙しいという。河川橋では歩道の案内板が新しくなった。海辺の倉庫は夜の荷役を再開している。どこも完全に片付いたわけではなく、それぞれ別の事情で人が働いていた。
三崎は支所の入口で、休日に入る森崎へ鍵を渡した。森崎は鍵の本数を確かめ、受領簿へ署名する。去年まで当たり前にできなかった手順が、今では静かな習慣になっていた。
澪は帰りがけに、木戸の右の石を思い出した。東雲があの石を避けろと言った時、理由は何も分からなかった。今も全部は分からない。それでも石工が木枠を置き、宮野が配達道を変え、危険な場所を誰も踏まない日が続いている。
通りの向こうで、傘を差した人が立ち止まり、落とした手袋を拾った。別の人が道を譲る。澪はその短いやり取りを見て、記録用の手帳を鞄へ仕舞った。仕事を終えた今、すべてを調べる必要はない。
受付には、夜間に電話を掛けてよいか迷う人のための案内カードが置かれていた。井波が新人と作ったもので、症状や場所を正確に説明できなくても構わないと記されている。澪はカードを手に取り、知らない誰かが助けを求める時に、最初から正しい言葉を持っている必要はないのだと思った。
支所の電灯はまだ消えない。次の当番が受付に座り、夜の電話を受ける準備をしていた。澪は一度だけ振り返り、雨の降り始めた街へ歩き出した。




