前の住人の庭
高層住宅の管理人が、改装前の図面を見せてくれた。今の食堂は以前、二つの小部屋に分かれていた。その一室で暮らした高齢の女性が、ベランダに小さな鉢植えを育てていたという。澪は現住人の了承を得て、ベランダの排水溝を確認した。
鉢植えの跡は残っていなかったが、手摺の根元に土が少し詰まっていた。管理人は普通の清掃で取れると話し、澪も異常扱いしなかった。鏡に映った皿や椅子との関係は分からないままだ。
管理人は前の住人の連絡先を持っていたが、澪はすぐに尋ねなかった。個人の生活へ踏み込むには理由が弱い。まず施工会社に問い合わせ、鏡と採光口の位置が工事でどのように変わったか調べた。
旧図面では、鏡を置いた壁に棚が一つあった。棚には食器を並べる設計だったらしい。作業員は配線を見ながら、壁の内側へ固定金具が残されている可能性を示した。澪は家具の記憶と怪異をすぐ結びつけず、工事上の事実として図へ記入した。
午後、住人の母親が娘の友達を招いて菓子を出した。玄関に掛けた花の絵は好評で、娘は得意げに説明していた。
管理人は前の住人が育てた植物の名を思い出せず、植木鉢の色だけをよく覚えていた。澪は無理に記憶を掘り起こさず、管理棟に残る修繕台帳を借りた。いつどの壁が直されたかなら、持ち主の私生活を調べなくても分かる。遠い昔の人を探す前に、今ある書類を丁寧に読むことにした。
工事記録は管理人が紙のまま残していた。澪は記載年を確かめた。
澪が帰ろうとすると、管理人が「前の人も花を好きでした」と小声で言った。澪は笑顔で頷き、その言葉を無理に証拠へ仕立てなかった。




