鏡に残る席
高層住宅の一室で、食卓の椅子が一脚だけ鏡に映らないという相談があった。篠原澪は管理組合から許可を得て訪問した。住人の父親は娘が怖がって部屋へ入らないと言い、母親は鏡を処分しようか迷っていた。
鏡は玄関横の大きな姿見で、向こうの食卓が斜めに映る。澪が角度を変えると、椅子は普通に映った。しかし元の位置へ戻すと、座面だけがぼやけて消える。光の反射にしては奇妙だったが、鏡の裏を確かめるには家具を動かさなければならない。
家族の了承を得て調べると、壁の内部に古い小窓が埋め込まれていた。改装前は廊下へ通じる採光口だったという。澪は工事図面を取り寄せ、姿見を設置した時期と重ねてみた。
娘はまだ小学生で、鏡の前へ行きたくないと言っていた。澪は無理に見せず、台所で家族と話した。娘は「座っている人が消えるんじゃなくて、椅子が置かれていないように見える」と説明した。大人たちが使っていた言葉とは少し違っていた。
母親は食卓の位置を替えることにした。毎日使う椅子を怖いまま置いておく必要はない。澪は作業を手伝い、鏡を安全に壁へ固定し直した。
娘が学校へ出る前、澪は母親から家族の写真を見せられた。以前は椅子の位置が逆で、食卓の中央には小さな花瓶がある。家具の置き方は家族の人数や生活時間で変わってきたらしい。澪は写真の中の人へ視線を合わせすぎず、鏡の設置場所と撮影時期だけを確かめた。
娘の靴が玄関できちんと揃えてあることに、澪は気づいた。怖くてもいつもの朝は続く。
食事の時間、娘は新しい場所の椅子へ座った。窓の外では隣の棟の明かりが順番に灯り始めていた。




