橋の上の休み
森崎は医務室で検査を受け、耳に異常がないことを確認された。水音が消えた理由までは分からない。それでも一か月ぶりに静かな部屋で眠れたと話すと、医務担当者は短く笑った。「それは大事なことです」。
相良は彼を橋の監視から外し、支所の記録整理を任せた。本人は現場へ戻りたがったが、休みを取ったからと能力が落ちるわけではない。森崎は机に座り、以前の音声記録を時刻順に並べた。
資料の中には、同じ橋の下で声を聞かなかった日も多かった。何も起こらない日が記録されていることに森崎は驚いた。異変ばかり追っていた自分には、その静けさが抜け落ちていたのだ。
昼食の席で奈央が笑いながら、相良はお茶を淹れるのが下手だと話した。三崎は「それでも現場で湯を沸かせる」と返し、井波は砂糖を渡した。森崎は仕事場に戻れたことより、普通の会話へ戻れたことを嬉しく感じた。
夕方、橋の下からの報告が入った。風の音はあったが、人の名前を呼ぶ声はない。森崎は日誌へ『聞こえず』と記し、その語尾に余計な推測を加えなかった。
森崎は朝の通勤電車で、長い間苦手だったトンネルを通った。耳の奥に水音が鳴る気がして肩をすくめたが、列車が地上へ出ると気持ちが落ち着いた。病院の担当者には、そのことも次の受診で話すつもりだ。良くなったことだけ伝えれば、また不調が戻った時に説明しにくい。
新しい耳栓を買い直す必要はもうなかった。森崎は机の引き出しへしまった。
帰宅した彼は、枕元のラジオをいつもの音量へ戻した。以前は水音を紛らわすため大きくしていた。今夜は小さな音でも、十分に眠れそうだった。




