第六話 舟と塩
新造の舟は、板張りを終え、松脂を塗られ、下町の作事場の日陰で艶々と乾いていた。長さ四間、幅一間半の平底。古舟の写しを一回り大きくした、不格好だが頑丈な箱である。
名前は「ホルテ」に決まった。木の鴨——子供の玩具の、あの木彫りの鴨のことである。棟梁は「暁の槍」だの「ミュレの誉」だの勇ましい候補を推したが、網を編んだ女たちが「水に浮かぶ木の鳥なら、ホルテだろう」の一点で譲らず、多数決は女たちが握っていた。網の目の数だけ発言権がある、というのが作業場の理屈である。棟梁は三日ふてくされ、四日目には舳先に自ら「ホルテ」と焼き文字を入れていた。
問題は、進水より前にあった。湖まで、舟をどう運ぶかである。
下町から湖岸まで、徒歩で二刻半。道はない。あるのは、乾いた軽石まじりの草原だけだ。四間の舟は牛車に載らず、担ぐには十六人いる。十六人が半日、水のない草原を、舟を担いで歩く——酔狂を通り越して、遭難の相談である。
答えを出したのは、またもヴェルナー老だった。老人は作事場の隅で半日図を引き、鉱山の言葉で言った。
「——石舟だ」
「舟を運ぶのに、舟ですかい」
「山で大石を曳く橇のことよ。水のない山で使う舟だから、石の舟だ。丸太の枕を並べて、その上を滑らせる。枕は通った端から前へ回す。牛が二頭おれば、平地なら日に三里は行く。……坑道から鉱車が消えて六十年、まさか儂が生きとるうちに、もう一度これの図を引くとはな」
かくして、その朝、ハルデンの断崖に鈴なりになった見物人は、生涯忘れられない眺めを手に入れることになった。
夜明けの草原を、舟が行くのである。
丸太の枕の上を、牛二頭に曳かれ、丸太を後ろから前へ回す十人の男に付き添われながら、四間のホルテが、灰色の草の海をゆっくり、ゆっくりと滑っていく。帆はないが、朝日で舳先の焼き文字が光る。断崖の上では子供が走り回り、婆様連が手を打ち、誰かが「大漁節も知らんのか」と言い出したが、山の町に大漁節を知る者はおらず、代わりに毛刈り唄が歌われた。羊の唄で舟を送る町は、世界広しといえどハルデンだけだろう。
狼が三頭、遠く森の南の張り出しの際に並んで、この行列を長いこと目で追っていたことは、丸太を回していた男たちだけが知っている。
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進水は、あっけなかった。
葦を刈り開けた岸から、ホルテは横滑りに水へ入り、浮いた。歓声が上がり、直後に「浮いとるが、染みとるぞ」というヨスト爺の声で歓声が止まった。継ぎ目から、糸のような水が三筋。爺は慌てる素振りもなく、「新造は皆こうだ。三日浸けておけ。板が水を吸って膨れりゃ、勝手に塞がる」と言い、実際、三日後には塞がった。
四日目の朝、初漁が行われた。
乗り込んだのは四人。櫂がテオともう一人、網がヨスト爺と、志願の若い衆が一人。岸から二十間ばかり、小魚の帯の只中にホルテを進め、爺の合図で網が打たれた。
打った、というより、置いた、に近かった。銀の帯は網を避けもしなかった。手繰り始めた若い衆が「お、重」と言ったきり黙り、テオが櫂を置いて手を貸し、四人がかりで上げた網の中で、銀色がひと抱え、跳ねて、光って、舟底に溢れた。
ひと網で、籠に二杯半。
二度打って、五杯。三度目は、ヨスト爺が打たせなかった。
「積みすぎだ。それに——見てみろ。獲った端から、湧いとる」
爺の顎の先、網を上げたばかりの水面には、もう次の銀の帯が回り始めていた。減った気配が、ない。五十年の川漁師は、その水面を長いこと眺め、それから、褒めるのとも呆れるのとも違う、聞いたことのない声で言った。
「……こんな水は、知らん」
岸に戻ったホルテから籠が下ろされると、岸辺は市場のようになった。同行の人足たちが魚を検分し、その場で数尾が焼かれ、回され、うまい、うまいと声が上がった。指ほどの銀の魚は、骨まで柔らかく、川魚の泥臭さがまるでなかった。籠五杯——目方にしておよそ十貫。町の一日分の菜には足りる勘定である。
初漁は、成功だった。
誰の目にもそう見えたし、実際、湖岸においては、その通りだった。
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敗けたのは、帰り道である。
夏の盛りである。魚を半日担げばどうなるか、羊を潰し、乳を扱い、塩漬けで冬を越す町が、知らないわけではない。初日の五杯は、端から試しの荷だった。濡れ筵を掛け、傷みの早いものから鶏の餌、次を肥やし、上物だけ売り物——そういう腹積もりの、歩留まりの検分である。親方衆の見立ては「半分は売り物になる」だった。渋い者でも「三割」と言った。
籠五杯の魚は、濡れ筵の下で二刻半の草原を渡り、下町に着き、巻き上げ機の順番を待ち、崖を上がり、台地の広場に並んだ——並んだときには、日が傾いていた。
匂いが、先に立った。
広場に集まった女房たちは、籠を覗き、鼻を鳴らし、値を聞く前に首を振った。売り物になったのは、上の一割ほど。次の二割は煮れば食える。残りは、鶏と畑のものである。朝には銀色だったものが、夕には目の濁った、腹の緩んだ、値の付かないものに変わっていた。
傷むのは織り込み済みだった。読み違えたのは、速さである。ヨスト爺は駄目になった魚を一尾つまみ、腹を検め、首を捻った。
「……早い。鱒より早い。夏場の川魚の相場より、まだ早いぞ、こいつは。泥臭さがねえのと、同じ話かも知れんな。何かが、儂の知っとる魚と違う」
半分の目算が一割。勘定は、成り立つ寸前で、成り立たない。
その晩の参事会は、荒れたというより、萎れた。
「獲れるのに、売れん」
「塩をすりゃいい」
「塩をして担いで上げて、それでも夏場は際どい。それにな、塩だ。専売塩で魚を漬けたら、魚より塩が高くつく。売値が立たん」
「灰塩なら」
座が、少し静かになった。灰塩——平原の塩殻から掻き集める、苦みのある、王の専売の外にある塩。貧しい家の味。黙認の抜け道。誰もが使い、誰も帳面には書かない塩である。
上座のモレン伯は、しばらく指で卓を叩いていた。それから言った。
「帳面には『塩』とだけ書け。目方と値は書け。素性は書くな。……お上の帳簿方はな、書いてないことは調べるが、書いてあることの中身までは、なかなか調べん」
几帳面な帳面は信じる、と言ったのと同じ口である。親方衆は顔を見合わせ、誰も何も言わなかった。帳面は嘘をつかないが、黙ることはできる——それもまた、商いの町の心得のうちだった。
そして、もう一つの結論は、勘定が勝手に導いた。
魚がここまで待ってくれないなら、魚の傍で仕事をするしかない。すなわち——湖岸に、加工場を建てる。
「湖の岸に、だぞ。下町からさらに二刻半だ。あの、牛ほどの魚のいる水の岸に、番小屋を建てて、人を泊めるのか」
「泊めるんじゃない。通いにする、当面は。夜明けに獲って、その場で塩と燻しを済ませて、干乾きになったものだけ担いで帰る。燻しの薪と鉋屑なら、木挽き場に山とある」
「当面は、な」
誰かの言ったこの一言が、議事録に残っている。当面は。柵のときも、仮小屋のときも、皆この言葉から始まった。線を引いても暮らしは滲む、と言った老伯は、この日は何も付け加えなかった。付け加えるまでもない、という顔だった。
半月後、湖岸の葦原の際に、石を積んだ竈と燻し棚、道具を仕舞う小屋が一棟建った。小屋の壁は森の板、竈の火は木挽き場の屑、魚を漬けるのは平原の塩。人の暮らしの出店が、また半歩、奥へ進んだ。
ヨスト爺は、燻し棚の初火を入れた日、煙の向こうの湖面を眺めて、テオにだけ聞こえる声で言った。
「坊主。ええか、儂が岸だけと言ったのは、忘れるな。……こういう水はな、くれるだけくれるんだ。くれとる間に、線の向こうを覗きたくなる。覗きたくなったら、儂の顔を思い出せ」
「覗いたら、どうなるんすか」
「知らん。知らんから、覗かんのだ」
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・ 観客席・その五
進水式、観てきました。予約しといた湖岸の枝、最高の席でした。
いやー、良かった。何が良かったって、まず草原を舟が来るの。丸太コロコロ方式で、灰色の草の海を、牛に曳かれた舟がゆーっくり近づいてくるの、なんかもう、シュールを通り越して神話の一場面みたいだった。ヴェルナー爺さんの引き出し、何段あるんだ。鉱山の技術、汎用性高すぎる。
で、初漁ね。
結論から言うと、大漁でした。そして、ここからが今日の本題なんだけど——漁が始まった日の夕方から、うちの親孝行、産みを再開しました。
《万尾を招く豊漁鯛》。例の、群れが満杯になってからは起動を止めてた息子ですよ。それが、網で子分がごそっと減った日の夕方、きっちり三回ぶん起動して、減った分を埋めて、また止まった。翌日も漁があって、また減って、また埋めた。以来ずっとその調子。
……分かります? あの湖、獲っても減らないんですよ。原理的に。
人間側は「湧いとる」って首を捻ってたけど、そうなんだよ、湧いてるんだよ。減らした分だけ、親分が経費(俺持ち)で補充してるの。乱獲って概念が成立しない漁場。漁業関係者が聞いたら泣くぞ。うちの湖、資源管理が完璧すぎる。管理者は誰も居ないのに。
ついでにルール観察の小ネタをひとつ。トークンって、死んだら消えるはずなんですよ。ゲームだと。でもあの子分たち、獲られて〆られて、いま立派な燻製になってる。消えない。状況起因処理、仕事しろ。……いや、しないでくれ。あの人らの飯なので。実体化したものは実体のまま、ってことなんだろうな。うちの世界(?)、そのへんの物理はちゃんとしてる。
あと帰り道の魚な。傷むの、織り込み済みだったのに、それでも読みを割ったやつ。ヨスト爺さんが「儂の知っとる魚と違う」って首捻ってたけど、爺さん、いい線行ってると思うよ。あの子分たち、生き物としてはだいぶ即席の作りだからな。急いで湧かした分、日持ちの造り込みが甘いのかもしれん。知らんけど。製造元(親分)に問い合わせてくれ。……で、そこから半月で湖岸に燻し場を建てるの、立ち直りが早いんだよな、この町。読み違えを悲しむ間も惜しんで勘定し直してる。嫌いじゃない。
そんなわけで、俺の盤面、ついに湖岸にまで人間の煙が立つようになりました。
森の縁に柵、湖の岸に竈。じわじわ来てんなあ、と思う。悪いことじゃない。悪いことじゃないんだが、ヨスト爺さんの「線の向こうを覗きたくなる」ってやつ、あれはほんとに、五十年の重みの一言でね。
なにせ線の向こうには、俺も全部は把握してない住人がいる。
その話、次あたりで、ちゃんとします。




