第五話 杭と糸
参事会の議題は、予想通りのものだった。すなわち——人を、麓に住まわせるか。
もっとも、議場に着く前から、答えの半分は麓で勝手に出ていた。仮小屋三棟には既に十六人が寝泊まりし、うち四人は先週から寝具ばかりか鍋と椅子まで持ち込んでいる。人足のひとりに至っては小屋の裏に勝手に芋を植えた。住むかどうかを議論する段階は、実のところ過ぎている。議論できるのは、住んでいる事実に、どんな枠を嵌めるかだけだった。
それでも議論は割れた。
「野っ原に寝かせるのと、住まわせるのは別だ。住むとなりゃ、女房子供が下りると言い出すぞ」
「言い出しゃせん。あんな何もない所に」
「何もないから言い出すんだ。台地の店賃は上がっとる。下は地代がタダだ」
「狼はどうする。伐採場の連中は心得とる。群れて動け、火を絶やすな、奥に入るな——毎朝叩き込まれて、それで済んどるんだ。飯場の裏で洗濯する女房や、駆け回る子供にまで、同じ心得が行き渡ると思うか」
最後の一言は、笑いにならなかった。狼が手を出してこないのは、今のところ、こちらが襲う理由を与えていないからに過ぎない——それは森に通う者なら誰でも肌で知っている。群れて、火を持ち、深入りしない人間は、狼にとって割に合わない獲物だ。だが麓に暮らしが根づけば、そこには心得のない人間——子供、年寄り、通りすがり——が必ず混ざる。混ざった一人が、いつか、うっかり、割に合う獲物になる。全員が同じ想像をして、全員が黙った。
沈黙を裁いたのは、例によってモレン伯だった。
「——柵だ」
伯は、卓の上の(このひと月ですっかり分厚くなった)帳簿を指で叩いた。
「認めるなら、柵の内だけを認めろ。杭を打って、線を引け。線の内は町の続きだ。町の続きなら、町の決まりが効く。夜警を置け、木戸を閉めろ、子供は木戸から出すな。……線の外は、今まで通り、心得のある者だけだ。線を引かずに任せておくと、暮らしというやつは、どこまでも滲む」
かくして決が採られ、麓の定住は「柵の内に限り」認められた。
柵の杭が、むろん森の木であることには、もう誰も笑わなかった。二度目だからである。
杭打ちは十日で済んだ。囲われたのは、木挽き場と飯場を芯にした、縦横二百歩ばかりの矩形である。井戸が掘られ(台地と違って、掘れば存外浅くで水が出た。ヴェルナー老はこの水位を手帳に三行使って記録した)、竈が築かれ、芋の男の畑は「もう植わっとるものは仕方ない」として柵の内に組み込まれた。
名前は、誰が決めるでもなく決まった。台地の上が町なら、下は下町である。呼び名が先にあって、実体が後から追いついた形だが、ハルデンではよくあることだった。
最初の「人足でない住人」は、ズリ山の婆様だった。あの、木の実の婆様である。婆様は柵が閉じた三日後には下りてきて、飯場の隣に筵を敷き、木の実の粥と焼き実を商い始めた。人足たちは呆れ、それから並んだ。商いは、初日から繁盛した。
商いには、名が要る。「木の実」では売り声にならぬ、と婆様は開店二日目に勝手に決めて、三日目から「メロージェ」と呼び始めた。南のベルガナで王侯の食卓に上るという、高級な果物の名である。荷駄引きの噂で聞き覚えただけの名で、婆様は本物を見たことがない。誰もない。
「婆様、そりゃ本物と同じもんなのか」
「知らんよ。見たことないもの。……けどね、あんた。王様の果物の名で売る焼き実と、木の実で売る焼き実と、どっちが銅貨一枚の味がするね」
理屈とも言えぬ理屈だったが、名は売り声に乗り、売り声は柵の内を巡り、十日もすると子供までが実をメロージェと呼んだ。帳面を検めに来た参事会の書記が「品名はどうする」と問い、婆様が「メロージェだよ」と即答し、書記が素直にそう書き付けたことで、名は帳簿の上でも正式のものになった。ハルデンの命名は、いつもこの調子である。
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漁のほうは、糸から始まった。
言い出しっぺは、例によって酒場である。小魚は手で掬える、なら網ならどれだけ獲れるか——という算段は、湖の調査行の晩から誰もが口にしていた。口にするのと、網がそこにあるのとは、別の話である。ハルデンに漁網は一枚もない。見たことのある者すら、下流暮らしの経験者を除けば数えるほどだった。
だが、糸と、糸を操る手なら、この町には有り余っていた。
羊毛の町である。紡ぐ女、編む女、機に掛ける女。網が編み物の親戚だと分かってからの話は早かった。素材は毛糸では駄目だ(水を吸って重くなり、じきに腐る)というところだけ、下流の知恵を借りた。麻糸である。巻き上げ機の綱で取引のあった下流の麻屋に注文が飛び、荷駄が上がり、毛織組合の作業場の一角に、見慣れない目の粗い編み物がわだかまり始めた。
知恵を借りた相手は、麻屋だけではない。
水車村オルベから、川漁師が一人、招かれて上がってきた。ヨストという名の、齢六十がらみの、櫂のように痩せた爺様である。ミュレ川で五十年、鱒と鰻を獲ってきたという触れ込みで、参事会が日当と宿を持って講師に迎えた。
ヨスト爺は、着いた翌日、断崖から湖を一目見て、しばらく黙り、それから言った。
「……あれを、川と同じに考えとるなら、やめとけ」
「川と違うのか」
「川はな、水が仕事をしてくれる。魚は流れに逆らって並ぶ。だから網を張る場所が決まる。あれは止まっとる水だ。止まっとる水の魚は、どこにでもおって、どこにもおらん。舟がなけりゃ話にならん」
「舟なら、こさえる算段をしとる」
「それとな」爺様は、遠い水面を目を細めて眺めた。「でかいのがおる、と聞いた」
「おる。牛ほどの」
「なら、沖には出るな。儂は川で五十年やって、腰まで浸かって死にかけたのが三度ある。川で三度だ。……得体の知れん止まり水で、儂は男稼業を張る気はないぞ。岸の魚だけ獲る。それでいいなら教える」
それでいい、ということになった。もっとも、酒場ではその晩から「岸だけとは言ってもよう」が始まっていたのだが。
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舟は、揉めた。
案は二つあった。ひとつ、下流から川舟を買い、分解して駄載で上げ、麓で組み直す。ふたつ、麓に作事場を設け、森の材で新造する。
買い舟派の言い分は「舟は素人がこさえるものではない」。新造派の言い分は「分解して上げて組み直した舟が水に浮く保証がどこにある」。どちらももっともで、どちらも自分では舟を造れない点で対等だった。
決着は、ヨスト爺の一言でついた。曰く、「両方やれ」。
「小さいのを一艘、買って上げろ。教材だ。腹の張り方、板の重ね、継ぎ目の詰め物。現物がありゃあ、大工なら読める。読んだら、でかいのを新しくこさえろ。……いいか、買うのは古舟でいい。どうせ湖に浮かべる前に、儂が半分ばらす」
かくして、オルベ村から胡桃殻のような古い平底舟が一艘買われ、四つに分かたれ、牛の背で崖下まで運ばれた。下町の作事場では、大工の棟梁が古舟の腹を撫でては唸り、ばらしては図を引き、ヨスト爺と「詰め物」の談義を始めた。継ぎ目に詰める槇皮と、その上に塗る松脂。松脂は、言うまでもなく、森の産である。伐り倒した木の切り株から滲む、あの甘い匂いの樹液が、鍋で煮詰められ、魔境の魚を獲る舟の目止めになる。
この頃になると、下町の作事場には順番待ちの札が下がるようになっていた。巻き上げ機の綱の換えが最優先。次が柵の補修。次が舟。木挽きの手も、鍛冶の手も、麻糸も、みな同じ人間と同じ荷駄の取り合いである。参事会の帳簿には「舟普請、材の割当てにつき伐採組と再協議」の一行が三度現れる。三度目の協議の席で、材木商の親方が吐き捨てた一言が、しばらく町の流行り言葉になった。
「——木は生えとるのに、手が生えん」
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網は、ふた月で三帖が編み上がった。
最初の一帖は目が粗すぎ、二帖目は詰みすぎて水で鉛のようになり、三帖目でようやくヨスト爺が「まあ、網だ」と言った。女たちは三帖目を「網」、一帖目を「鳥網」、二帖目を「毛布」と呼び分けて、毛布は解かれて三帖目の補修糸になった。
舟のほうは、古舟の写しを一回り大きくした新造が、骨を組み終えて板を張る段になっている。棟梁は当初「舟てえのは要するに屋根を裏返したもんだろう」と豪語していたが、板張りが三日で行き詰まると豪語をやめ、無口になり、無口のまま腕を上げた。ヨスト爺の見立てでは「進水までひと月。沈まんかどうかは、浮かべてからの相談」。
下町の柵の内には、いつの間にか住人が三十を超えた。婆様の隣に乾酪売りが筵を並べ、夜警の詰め所に将棋盤が持ち込まれ、井戸端には洗濯の順番を巡る、町というものに必ず湧く種類の諍いが芽生えた。台地の上から見下ろすと、柵の矩形の中に灯りが行儀よく並び、その外に、木挽き場の作業の灯りがぽつり、ぽつりと滲んでいる。
線は引かれた。そして暮らしは、伯の言った通り、もう滲み始めている。
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・ 観客席・その四
俺の盤面の縁で、人類が村を建てている。
これ、冷静に考えるとすごい話だと思うんだよな。プレイヤーのいない盤面に、盤面の外から住人が引っ越してくるの。ルールの想定してない方向から盤面が拡張されてる。エラッタ出せ、って誰に言えばいいんだろうね。
定点観測の報告としては、まず柵ね。
うちの森の木で打った杭で、うちの狼を警戒する柵を建てるの、味わい深すぎるだろ。自給自足の防衛。狼のほうは柵にまるで興味なくて、たまに検分コースの途中で遠目に眺めてるだけなんだけど、あの「新しい縄張りの印だな」って顔、俺には分かるよ。あいつら多分、柵、尊重するよ。縄張りの線引きは狼の得意分野だからな。人間と狼、実は文化が近い。
それから網。
網はいいぞ。俺は編み上がるまでの二月、作業場の軒下でずっと見てた。毛糸の町の女たちが、見よう見まねで漁網に辿り着くの、人類の底力って感じで感動する。一帖目のスカスカのやつ、あれで鯛の子分掬おうとしたら全員するっと抜けてただろうな。「鳥網」って命名も的確。人類、命名が上手い。
で、舟。
屋根裏返し理論の棟梁、好きだよ俺は。三日で黙ったのも含めて。あと招かれたヨスト爺な。あの人はいい。断崖から湖を一目見て「やめとけ」って言えるの、あれが五十年の重みですよ。オルドさんといい、この町、爺の質が高すぎる。爺で保ってる町。
ただなあ、爺さん、一個だけ言わせてくれ。
「岸の魚だけ獲る」——うん、正しい。満点の判断。岸の子分たちは無限に湧くし、無害だし、うまいらしいし、あれこそ獲り放題の恵みだ。
でもな、酒場の連中の「岸だけとは言ってもよう」、あれ、俺は毎晩聞こえてるんだよ。
人間ってのは、恵みの手前で止まれた試しがないんだ。俺は知ってる。前世(?)で散々見た。カードゲーマーってのは「あと一枚買ったらやめる」を千回言う生き物でな。俺の財布はそうやって死んだ。だから分かる。あの舟が浮いて、岸の漁が当たったら、次の年か、その次の年か、誰かが必ず沖に出る。
沖には、うちの親孝行がいる。あれは温厚だ。何もしないと思う。思うけど——あの湖、親孝行のほかに何がいるか、実は俺も全部は把握してないんだよな。なにせ最近、身に覚えのない住人が増えてる疑惑があるので。その話はまた今度。
まあ、それはそれとして。
進水式、楽しみにしてます。沈むなよ、棟梁の一世一代。俺は湖岸のいい枝を予約済みだ。
湖のあいつらは、まだ何も知らない。




