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第四話 瓦版と巻き上げ機

 その瓦版は、酢漬け鰊の樽と鋳掛け道具の間に挟まって、ハルデンに上がってきた。


 王都で刷られて、ひと月と半分。クローセンの荷駄宿で二度読み上げられ、油染みと折り目だらけになった一枚である。荷駄引きはこれを、台地への上げ賃込みで、刷り値の八倍で酒場に売った。誰も高いとは言わなかった。その晩の酒場は、立ち見が戸口から溢れた。


 読み上げ役は、いつもの通り、灯堂で読み書きを習った桶屋の次男坊である。次男坊は樽の上に立ち、勿体をつけて咳払いをし、読んだ。


 ——王都に空の大異物現る。翼張ること市門の幅の如く、火を吐くこと炉の如し。セルネの丘に降り、駆逐の兵四百と交え、稜堡の砲をことごとく熔かし、飛び去る。死者百九十。大灯座は市民に灯りの祈りを呼びかけ——


「待て待て。砲を、熔かした?」


「そう書いてある。石も熔けたと」


「石が熔けるかよ」


「王都の石は柔いんだろ」


 酒場は、その一行の吟味だけで四半刻を費やした。石は熔けるか否か。精錬組合の炉番が「炉なら熔ける、外では熔けん」と職人の見解を述べ、では王都には獣の形をした炉があるのだな、という誰かの茶々で笑いになり、笑いの後に、少しの間があった。


 その間を破ったのは、隅で麦酒を舐めていた元坑夫の爺様である。


「……なあ。ありゃあ、いつの話だ」


「刷りは、二月前の日付だな」


「二月前っていやあ、お前」


 爺様は、汚れた指で、天井を——正確には、天井の向こうの、あの日の空を——差した。


「儂が断崖で見た、あのでかい鳥の頃じゃねえか」


 酒場が、今度こそ静かになった。


 あの影を見た者は、この酒場だけでも五、六人いた。西へ。山なみの上を、音もなく、鳥にしては大きすぎるものが。あのときは「でかい鳶だ」「鶴の群れを見間違えたんだ」で流れた話である。誰も彼も忙しかった。森が生え、木が伐られ、婆様が木の実を食っていた頃だ。空の鳥一羽に構っている暇はなかった。


「……おい、絵だ。絵を見せろ」


 瓦版には獣の姿絵が刷られていた。翼のある、蜥蜴のような何か。次男坊が掲げると、見た組の間でたちまち鑑定会が始まった。


「違うな。首がもっと長かった」


「翼はこんなもんだったろ」


「莫迦、お前は遠目だ。儂は崖っぷちで見たんだ」


「莫迦はどっちだ、お前あの日は谷の市に行ってたろうが」


 鑑定は紛糾し、結論は出ず、ただ一点——似ているかどうかはさておき、方角と時期だけは、どうにも合ってしまう——だけが、誰の胸にも残った。


 翌日から、断崖の夕涼みの人出が、目に見えて増えた。


 皆、森を見るふりをして、空を見ていた。もっとも、それで夕涼みの何が変わるわけでもない。子供らは早速「王都ごっこ」を覚え、一人が翼を広げて走り回り、残りが砲兵になって石ころを投げ、熔かされて大袈裟に倒れる遊びで断崖を占領した。婆様連は編み物をしながら「うちの上を通ったやつが王都でねえ」「大したもんだ」と、まるで奉公に出た村の若い衆の噂でもするような調子で語り合った。


 瓦版はその後、回し読みで町を三巡し、毛刈り市を待たずに下流へ又貸しされ、戻ってきたときには獣の絵の部分だけ、誰かに切り抜かれていた。


---


 同じ週、王都からの返書が届いた。


 ひと月半前に送った第一便への、公式の返答である。参事会の面々が居館に呼ばれ、モレン伯の書記が封を切り、読み上げた。内容は一行に要約できた。曰く——詳細を、報告せよ。


「……詳細ねえ」


 羊毛組合の親方が、唸った。


「詳細っつって、なあ。何から書きゃいいんだ。森が生えて、木がいい木で、実が食えて、狼がでかい。……書いたら、今度こそ正気を疑われんぞ」


「二便目はもう出とる。伐り出しを始めたことは、あっちに向かっとる最中だ」


「なら三便目か。で、何を書く」


 議論が例によって回り始めるのを、モレン伯は上座で黙って聞いていた。老伯が口を挟んだのは、話が「どう書けば信じてもらえるか」で三周目に入った頃である。


「——信じさせようとするな」


 一同が、伯を見た。


「信じる信じないは、あちらの仕事だ。こちらの仕事は、帳面だ」


 伯は、書記に頷いてみせた。書記が、綴じたばかりの新しい帳簿を卓に載せた。


「今日から、森から取ったものは、一本、一籠まで帳面に載せる。伐った木の数、上げた板の数、売った先、立てた小屋、雇った人足。全部だ。……いいか、お前たち。お上というものはな、途方もない話は信じんが、几帳面な帳面は信じる。役人が来た日に、こちらの台帳が綺麗なら、話は台帳の上で済む。汚ければ、話は別の場所で始まる。別の場所で始まった話は、長い」


 親方衆は、顔を見合わせた。帳面をつけろと言われて喜ぶ商人はいないが、この理屈の呑み込めない商人もハルデンにはいない。


「それと」伯は、思い出したように付け加えた。「監督府の東翼を、掃除させておけ。寝台を六つ。……いずれ、お上が来る。来るなとは言えん身の上だ。来たときに、雨漏りの下に寝かせるわけにもいくまい」


---


 巻き上げ機が完成したのは、その半月後である。


 崖の南側、傾斜の一番素直な場所に、丸太の櫓が二基。太い麻綱と、鉄の滑車と、下で牛二頭が回す轆轤。設計はヴェルナー老——測量と機械学は、鉱山の学のうちである——、鉄物は鍛冶が打ち、櫓の木材はむろん、森から出た。


 初荷の日は、ちょっとした祭りになった。


 麓で丸太に綱が掛けられ、合図の角笛が鳴り、牛が歩き、綱が軋み、そして、十丈の丸太が一本、丸太のまま、崖をゆっくりと登っていった。断崖に鈴なりの見物から、歓声とも溜息ともつかぬ声が上がった。この町の年寄りは、銀の鉱車が坑口から出てくるのを見て育った世代である。何かが大量に、機械の力で、町へ上がってくる——その眺めを、彼らは六十年ぶりに見ていた。


 勘定は、皆が算盤を弾くより早く動いた。


 薪の値が、まず下がった。板の値が下がり、次いで、下がった板を目当てに、空き家の修繕が始まった。屋根の抜けた元組合会館に大工が入ったのを見て、婆様連が「生きてるうちにあれの屋根が直るとはねえ」と言い合った。


 賃仕事も増えた。伐り子、木挽き、綱掛け、牛方、飯場の炊き婦。ズリ拾いから鞍替えする者が続き、ズリ山の人影はめっきり減った——減ったことに文句を言う者は、いなかった。鉛を拾うより、板を担ぐほうが実入りがいい。それだけのことである。


 そして、増えた人足と増えた仕事は、早くも次の面倒を連れてきていた。麓の仮小屋は寝床が足りず、崖の上り下りは毎日二刻を食い潰す。「いっそ下に寝泊まりさせろ」という声が、飯場のほうから上がり始めている。魔境から二刻の野っ原に、人を住まわせるのか——参事会の次の議題は、もう決まったようなものだった。


---


 森のほうも、顔ぶれが増えていた。


 正確には、前からいたものが、人の目に触れる機会が増えた、と言うべきか。伐採域が南北に広がり、森に入る人足の数が三倍になれば、見るものも三倍になる。


 南の与太、というのもある。伐採場のずっと南、森が深くなるあたりの、木立の上に覗く灰色の盛り上がり——遠目には低い山にしか見えないあれが「動いた」と言う者が、これまでに二人ばかりいるのである。二人とも、遠かった。一人は夕暮れで、一人は前の晩に酒が入っていた。山は動かない、目の迷いだ、というのが大方の相場で、しかし飯場の与太としては上物だから、あの盛り上がりには「背中」という冗談めいた呼び名だけが付いた。何かの背中だとしたら大ごとだが、誰も本気にはしていない。オルドに水を向けると、羊飼いは肩を竦めた。「山なら山でいい。万一、図体のでかい何かなら——あれだけでかい図体は、まず草食いだ。草食いのでかいのは腰が重い。どっちにせよ、あっちから来ることはねえよ」。どっちにせよ来ない、で話は仕舞いになり、南の深みはどのみち掟の外、誰も近寄らないままである。


 小さくて妙なのも、いた。兎に似た獣が下生えを跳ねるのを、若い伐り子が数度見ている。兎に似ているが、跳ね方がどうもおかしい。数えられた者はいないが、皆、口を揃えて「脚が多い」と言う。害はない。罠に掛かったこともない。ただ、あれを見た日は仕事の帰りに酒場で語る種ができる、それだけの獣である。


 そして、鳥の話があった。


 言い出したのは、南の伐り分けを任されている、無口で通った中年の伐り子である。曰く——昼の休みに、伐り倒したばかりの木の切り株の傍で飯を食っていたら、小鳥が一羽、近くの若木の枝に止まった。雀より少し大きい、見たこともない色の鳥で、胸のあたりが夕焼けのように光って見えた。鳥はしばらく枝で羽を休め、飛び去った。で——その枝に、実が生っていた。


「生っていた、って、お前」


「生っていたんだ。止まる前は、無かった。飛んだ後には、あった。李くらいの、赤い実が三つ」


「食ったのか」


「……食った」


「食ったのかよ」


「うまかった」


 酒場はこの話を、婆様の木の実以来の呑気な与太として受け取った。何せ証拠がない。実は食われてしまった。鳥は飛んでいってしまった。無口な男が一世一代の法螺を覚えたのだ、というのが大方の採決で、男はそれきりこの話をしなくなった。


 ただ、灯堂の老司祭だけが、この与太を笑わなかった。


 安息日の説教で、老司祭は久方ぶりに、決まり文句でない話をした。東の森について、灯堂が何かを言うのは、実はこれが初めてである。生えた朝から今日まで、司祭はあれに触れずに説教を続けてきた。触れずに済むなら、それに越したことはなかったからだ。


 だが、町の半分が森で稼ぎ、森の実を食い、森の獣と口笛で挨拶を交わすようになった今、灯堂だけが黙っているわけにもいかなくなっていた。


 老司祭の説いたところは、慎重の上にも慎重だった。曰く。灯し手は闇に秩序を与えたもうた。ゆえに、秩序あるところ、灯し手の御手の跡を疑うべからず。かの森に秩序があるか、無秩序があるか、それを見極めるのは俗人の目には余る。ゆえに——実りを恵みと呼ぶのは、まだ早い。禍と呼ぶのも、まだ早い。名を付けるな。ただ、取ったものの分だけ、灯りに感謝を灯せ。


 要するに、どちらとも言っていない。言っていないのだが、説教の帰り道、人々が口々に確かめ合ったのは「司祭様は、罰当たりだとは言わなかった」の一点だった。翌週から、灯堂の献灯が少し増えた。増えた分の蝋燭代は、板の売り上げから出ていた。


---


・ 観客席・その三


 景気がいい。


 いや、ほんとに。眼下の経済、めちゃくちゃ回ってる。丸太が崖を登るようになってから、人足は増えるわ荷は増えるわ、夜になると麓の飯場の灯りがぽつぽつ見えるんですよ。俺の森の縁に、人間の灯りが。ちょっとした港町の夜景ですよ。規模は屋台三軒分だけど。


 で、そんな好景気の観客席に、先日、時差でとんでもないニュースが届きました。


 うちのトカゲ、王都に行ってたらしい。


 トカゲっていうのは、《焼界の災竜、ヴァルガーン》。あの夜に俺が召喚した、7MPの伝説のドラゴンね。こっちにいた数日は森の外れの岩山で寝てるだけだったのが、ある朝ふらっと飛び立って、西の空に消えて、それっきりだったんだけど。


 飯場の人足たちが瓦版の受け売りで喋ってるのを又聞きしただけだから、詳細は分からん。分からんが、砲を熔かしたとか、四百人と「交えた」とか、断片だけでもう情報量が多い。おい。お前、羽休めって言ってたじゃん。いや言ってないけど。何も言わずに飛んでったけど。


 7MPも払って召喚して、俺のためには一回も殴らず、よその都で大立ち回りって、お前。……いや、うちの盤面に敵がいなかったんだから殴りようがないんだけど。えらい迷惑を……いや待て、あいつからしたら先に撃たれたんだろうな、たぶん。うちにいた間はあれだけ温厚だったんだ。撃たれなきゃ吐かないんだよ、たぶん。たぶんな。飼い主(?)としては、そう信じたい。


 あとあれだ、あいつの火、起動にMPが要るやつなんだよ。ってことは王都でぶっ放してた分、俺のオーバーフローから遠隔で天引きされてたわけで。……道理であの頃、妙に減りが良かった気がするんだよな。経費で落とすな、火炎放射を。


 まあ、元気そうで何よりだよ。


 ……何もよくはないんだけど、遠くの子の消息なんて、元気かどうかしか分かんないからさ。


 さて、気を取り直して、今週の魔境自然観察。


 まず狼。相変わらず数日おきの「検分」が続いてて、最近は伐採場の連中、口笛が鳴ると手を振るのまでいる。狼は振り返さない。当たり前だろ。でもあの距離感、ほんとに絶妙で、あれもう半分ご近所さんなんだよな。回覧板だけ回ってない。


 それから、飯場で法螺呼ばわりされてた「実のなる鳥」ね。


 あれ、法螺じゃないです。俺は何度も見てる。《楽園の導き鳥》。1MPで出る、MPを生むクリーチャー。ゲームだと初手に出したい系の、地味で偉いやつ。


 で、あの子の挙動が面白くてさ。羽を休める——たぶんあれが「タップ」なんだけど——たびに、MPが湧くのね。湧くんだけど、そのMP、俺のところに来ないで、その場でなんか、実に化ける。止まった枝に果実がぽこっと生る。使い道のないMPが、一番近くの生き物に食われてる、っていうのが俺の見立てなんだけど、正直よく分かってない。分かってないが、結果だけ見ると「立ち寄った先にお土産を置いていく渡り鳥」で、可愛さの暴力。あの伐り子さん、法螺つき呼ばわりされて気の毒に。俺が証人になってやりたい。ならせてくれ。誰か俺を尋問してくれ。


 ……とまあ、こんな具合で、俺の盤面は今日も平和です。


 人間は板を上げ、狼は検分し、鳥は土産を配り、婆様は木の実を食う。景気は良く、屋根は直り、蝋燭は増えた。プレイヤー退場後の盤面としては、上出来すぎて逆に怖いくらいの回りっぷりですよ。


 夕方になると、断崖の上に人がずらっと並んでこっちを眺めるんだけどさ。


 あっちは観客のつもりでいるらしいけど、こっちから見ると、崖の上の人だかりも大概いい見世物なんだよな。観客席、向かい合わせなの。この劇場。


 当分、千秋楽の予定はありません。

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