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第二話 木の実と勘定

 調査隊は、七人で出て、七人で帰ってきた。


 まずそのこと自体が、ハルデンの町にとって最初の報せだった。断崖の上で一部始終を見守っていた者たちは(つまり町の半分は)、豆粒ほどの七つの影が森の縁で何やら立ち働き、日が傾く前に踵を返すのを確かめてから、ようやくその日の仕事を思い出した。


 持ち帰られたのは、以下の通りである。


 枯れ枝と落ち枝、背負い籠に三杯。焦げ茶色の固い殻に包まれた木の実、袋に二つ。森の縁で掘り取った、人の背丈ほどの若木が一本。それから、ヴェルナー老の測量帳が一冊。


 町の広場に戦利品が広げられたとき、人だかりの中から誰かが言った。


「……なんだ、ただの木じゃねえか」


 その通りだった。枝は枝で、木の実は木の実だった。一夜で生えた妖異の森から持ち帰られたにしては、それはあまりにも見慣れた形をしていた。人だかりは少し安堵し、少し拍子抜けした。


 その空気の中で、材木商の親方がしゃがみ込み、枝を一本拾い上げ、折り口を親指で撫でて、ぼそりと言った。


「……ただの木じゃあ、ねえぞ。こりゃ」


 人だかりが、俄然、値踏みを始めた。ハルデンは商いの町である。恐れと値踏みは、この町では同じ口から出る。


 テオ・ラント(19)は、荷駄組合の下っ端である。調査隊の七人目——記録係の兄貴分の、そのまた荷物持ちとして頭数に入れられた口だ——として森まで往復した彼は、その晩から酒場で引っ張りだこになった。


「で、どうだった」


「どうって……遠かったっす」


 これは嘘偽りのない実感だった。崖下への道はつづら折りの羊道で、下りに一刻、登りに二刻。崖下から森の縁までは灰色の平原をさらに二刻。往復すればそれだけで日が暮れる。テオの脚でそれである。丸太を担いでではない。空身でだ。


「森ん中は」


「入ってないっす。縁だけ。爺様が、初回は縁までと決めとったんで」


「何かいたか」


「鳥。あと、なんかでかい羽虫。それと——」


 テオは少し言い淀んでから、正直に言った。


「遠くで、犬みたいな声がしたっす。犬にしちゃ、だいぶ太い声でしたけど」


---


 検分は翌日から、参事会の肝煎りで始まった。


 枝は、精錬組合の炉場で焚かれた。よく燃えた。異様なほど、よく燃えた。炉番の老職人は、火色を長いこと眺めてから「乾きがいい。何年も干した薪みてえだ」とだけ言った。灰が妙に少ないことには気づいたが、口にはしなかった。炉番というのは、燃えの良すぎる薪に文句を言わない人種である。


 木の実は、揉めた。


 割ってみれば、中身は艶のある黄色い実で、栗のような、あるいは上等の胡桃のような見てくれをしている。齧れば食えそうな気配が、袋越しにも漂っていた。問題は、誰が最初に齧るかである。


 まず山羊に食わせた。山羊は喜んで食い、翌日も元気に石を登った。次は人の番だが、ここで検分は二日止まった。参事会は「志願者を募る」と決議し、志願者は出ず、決議だけが宙に浮いた。


 三日目の朝、決着は勝手についた。ズリ山の婆様の一人が、検分小屋の番をしていた孫から実をひとつ取り上げ、その場で殻を歯で割り、食ったのである。


「……うめえな、こりゃ」


 婆様は翌日も達者だった。翌々日も達者で、小屋に押しかけてもう三粒食った。かくして木の実は「食える」と相成り、参事会の決議は誰にも読まれないまま綴じられた。後の記録で、この婆様は「ハルデンで最初に魔境の恵みを口にした者」として一行を与えられることになるが、当人の言い分は生涯変わらなかった。曰く、「腹が減ってた」。


 そして、若木である。


 これが、すべての勘定を狂わせた。


 皮を剥ぎ、鉈を入れた材木商の親方は、断面をひと目見て黙り込んだ。目が詰んでいる。素性がいい。人の背丈の若木ですらこれなら、成木は——親方は広場から断崖まで歩いていき、彼方の森の、ヴェルナー老が「外縁の並みの木で高さ十丈」と測った黒い樹冠を、改めて眺めた。


 ハルデンは、木に飢えた町である。台地の上に木は生えず、梁の一本、樽板の一枚まで、すべてが下からの上げ荷だ。屋根の抜けた空き家が直されないのは、石がないからではない。木がないからだ。その町の目の前に、地平線まで木が生えた。


 親方は断崖の上で、たっぷり半刻、算盤を弾いていたという。


---


 参事会の議事録は、その月の後半、ほとんど森のことで埋まっている。


 議論の骨子は単純だった。伐りたい。伐れるだろう。運べない。


 外縁の木を一本倒すことは、道具と人手の問題に過ぎない。だが十丈の丸太は、あの羊道を上がらない。上げるためには崖に木道と巻き上げ機の普請が要り、普請には材木が要る。材木は森にある。森から出せない、という堂々巡り。


 答えは一つしかなく、全員がそれを分かった上で、口に出すのを嫌がっていた。麓である。崖の下、平原の側に、木挽きの作業場を置く。丸太は麓で挽いて、板と角材にしてから上げる。板なら、人が背負える。


 嫌がられた理由も単純である。麓に作業場を置くとは、あの森から二刻の場所に、人が泊まり込むということだ。


「泊まらせるのか。あの、犬の声のする野っ原に」


「通いなら日に働けるのは一刻半だ。それじゃ木挽きの日当も出ん」


「柵を打てばいい」


「柵の木はどこから来る」


「……森からだろうな」


 最後の応酬には、さすがに苦い笑いが漏れた。守りを固めるためにも、まず森の世話になるしかないのだ。勘定はどこから始めても森に戻ってくる。


 モレン伯は、この間ずっと沈黙を保った。老伯が発言したのは決の直前、ただ一度である。


「王都に、二便目を出しておけ。『当該異変の縁辺部において、資源の試験的な利用を開始す』と。……忘れた頃に、忘れた顔で来られるのが一番困る」


 誰も意味を測りかねたが、老伯が「賛成」の側であることだけは伝わった。決は採られ、僅差で通った。試験伐採、外縁のみ、当面十名、麓に仮小屋一棟。期は一月(ひとつき)


 こうして、崖下に最初の杭が打たれた。


---


 伐採組は、荷駄と石工と元坑夫の寄り合い所帯で、テオも(本人の与り知らぬ人選で)そこに入った。曰く、「一度行った者は勝手が分かる」。一度しか行っていないのだが、この町では一度は零よりずっと偉い。


 仕事は、存外に静かに始まった。


 森は、近くで見ても森だった。外縁の木々は幹まわり二抱え、三抱え。鋸を入れれば木屑が飛び、押せば軋み、倒れるときは山の木と同じ向きに倒れた。切り株からは樹液が滲んだ。甘い匂いがした。


 鳥は人を恐れず、羽虫は焚き火の煙を嫌った。何もかもが、腹立たしいほど普通だった。


 狼が姿を見せたのは、六日目の昼である。


 最初に気づいたのは、見張りに立っていた羊飼いのオルドだった。オルドは口笛を短く二度吹き——羊飼い同士の「動くな」の合図である——鋸の音が止んだ。


 森の際、伐採場から百歩ほどの下生えの陰に、それはいた。


 一頭、また一頭と、数えて五頭。座っているのに、立っている男と目の高さが合う。仔牛、と誰かが後で言った。仔牛ほどもある灰色の犬が、五頭、並んで、こちらを見ていた。吠えず、唸らず、ただ見ていた。


 男たちは鋸と斧を握ったまま、微動だにしなかった。永かった。実際には百を数えるほどの間だったと、オルドは後に証言している。


 やがて、真ん中の一番大きいのが立ち上がり、身震いをひとつして、森の奥へ歩き去った。残りが続いた。最後の一頭が、去り際に一度だけ振り返った。それだけだった。


 その晩の仮小屋は、通夜のように静かで、酒だけが減った。皆が皆、同じことを考えていた——明日も来るのか。来たとき、どうする。逃げ場のない平原の真ん中で、あの脚から逃げ切れる者はいない。


 沈黙を破ったのは、オルドだった。羊飼いは五十年、狼と商売敵をやってきた男である。


「……ありゃあ、狼だ」


「見りゃ分かる」


「分かってねえ。いいか、ありゃあ、でけえが、狼だ」


 オルドは、狼という獣について、ぼそぼそと講釈を始めた。狼は無駄をしない。勝てる獲物しか襲わず、腹が減らねば狩りをしない。人間を知っている狼は、人間を最後に回す。人間は不味くて、面倒で、後が怖いからだ。奴らが昼日中に姿を見せて、黙って見て、黙って帰ったのは——


「見に来ただけだ。おれたちが縄張りで何をしてるのか。……で、獲物じゃねえと踏んだ。今日のところはな」


「明日は」


「明日も獲物にならねえことだ。群れねえ羊が食われる。おれたちは群れる。火を絶やさねえ。奥に入らねえ。奴らの飯場——水場と、獣道の交わり目——に近寄らねえ。それだけ守りゃあ、狼ってのは、隣に住める獣だ」


 でけえけどな、と誰かが言い、初めて笑いが起きた。


 翌朝から、伐採場には掟が三つ増えた。単独行の禁止。火の当番。そして森に入る深さは「切り株の見える範囲まで」。誰が決めたというものでもなく、翌月に参事会が追認したときには、もう全員が「昔からそうだった」ような顔で守っていた。


 狼は、その後も数日おきに現れた。数えるほどの距離まで来ることはなく、木立の陰や下生えの向こうからしばらく眺め、去っていく。男たちはいつしか、見張りが口笛を二度吹くと、手を止めて挨拶のように顔を上げるだけになった。


「今日も検分かよ、親方」


 誰かがそう軽口を叩くようになるまで、ひと月とかからなかった。


---


 水のほうは、そうはいかなかった。


 森の南、断崖から見れば右手の彼方に、白く光る帯がある。ヴェルナー老の遠眼鏡は、それが葦原に縁どられた広大な水面であることを早々に突き止めていた。湖である。枯れの平原に、雨も川もなしに、湖。


 伐採場からは半日の距離があり、掟の「切り株の見える範囲」の遥か外だ。誰も近寄っていない。近寄れないものは、眺めるしかない。そして眺めていると、時折、とんでもないものが見える。


 テオがそれを見たのは、夕方の帰り支度の最中だった。


 彼方の白い帯の上で、何かが、閃いた。


 夕日を弾く銀色が水面を離れて宙に浮き、一瞬遅れて、白いものが柱のように立って、崩れた。音はない。あの距離で音が届く道理もない。瞬きの間の出来事で、テオが「おい」と隣を叩いたときには、湖面はもう元の、ただの白い帯に戻っていた。


 その晩の仮小屋は、見た見ないの水掛け論で暮れた。


「跳ねたんだって。魚だ」


「波だろう。風の」


「波が縦に立つかよ。おれも見た。銀色だった」


「で、どのくれえの大きさよ」


「……そりゃあ、分からんけどよ。あの遠さで見えたんだぞ。相当だろ」


 相当、以上のことは誰にも言えなかった。半日先の水面の閃きである。魚だとして、大きさの見当をつける物差しが、そもそも無い。無いのに酒場の話は膨らむのが道理で、翌晩には「馬ほどもある」ことになり、翌々晩には牛が混ざった。誰も見ていない目方が、酒の肴として夜ごと競り上がっていく。


 話が変わったのは、数日後である。


 台地の断崖——例の、夕涼みの断崖の上から、「わしも見た」が出た。それも一人ではない。夕涼みは年寄りと子供の日課である。ズリ山の婆様がひとり、羊番の子供がふたり、それに宵っ張りの元坑夫。日も場所も別々に、口裏を合わせる間柄でもない者たちが、揃って同じことを言った。夕方、右手の白い帯の上で、銀色が光って、白いものが立った、と。


 伐採場の若い衆と、台地の年寄り連。互いの話を知らぬ者同士の見立てが符合したとなると、これはもう酒の肴では済まなかった。半日先から見えるものが、あの水にいる。ならば、よっぽどの何かだ。


「……で、確かめるか」


 参事会の空気は、そこで決まったようなものである。ひと月ののち、二度目の調査行が正式に認められた。行き先は湖。名目は「水源の検分」。台地の民にとって水はいつでも切実で、平原のただ中に湧いた大水が毒か薬かは、酒場の与太より先に確かめる値打ちがある。隊は小さく組まれた。獣を読むオルド、測るヴェルナー老、そして「行ったことのある男」がすっかり板についたテオ。泊まりがけの、往復二日。


 湖は、近くで見ると、遠くで見るより異様だった。


 枯れの平原が、ある一線からふいに葦原に変わる。葦を分ければ水である。見渡す限りの、澄んだ、静かな水。岸辺に立ったオルドは、まず水際の泥をしゃがんで検分した。獣の足跡が、幾重にも重なっている。


「……鹿もどきに、狼に、鳥。みんなここへ飲みに来てる。毒の水に、獣は口をつけねえ」


 そう言って自分も手で掬い、匂いを嗅ぎ、舐め、少し待ってから飲んだ。うまい、と言った。


 小魚は、岸のすぐそこにいた。


 指ほどの銀色の魚が、帯になって岸沿いを回っている。人影にも驚かない。テオが試しに手拭いを両手に張って沈めると、掬えた。呆れるほど簡単に、ひと掬いで五匹も六匹も。焚き火で炙ると、皮がぱちぱちと爆ぜて、白い身は淡白で、うまかった。三人は黙々と食い、食いながら、誰からともなく笑い出した。笑うしかなかった。半日歩いた先の、化け物の湖の岸で、人生で一番手軽な漁と、上等の昼飯である。


「……こりゃあ、網さえありゃあ」


 テオが言いかけたとき、沖が、動いた。


 百歩ばかり先の水面が盛り上がり、割れて、銀の背が現れた。背だけで、荷車ほどあった。それはゆっくりと水を押し分けて弧を描き——魚だ、とテオの目がようやく形を結んだときには、牛ほどもある魚体が、岸と平行に、悠然と滑っていた。取り巻きの小魚が衣のように付き従い、主の周りだけ水面が細かく沸き立っている。


 主は、跳ねなかった。三人を一顧だにしなかった。ただ通り過ぎ、沖へ遠ざかり、最後に尾で一度水面を叩いた。その音だけは、腹に響いた。


 誰も、動けなかった。オルドが口を開いたのは、水面がすっかり凪いでからである。


「……ありゃあ、獲る獲物じゃねえな」


「網があっても、っすか」


「坊主。ああいうのはな、網の側が獲られるんだ」


 帰りの道中、ヴェルナー老は珍しく口数が多かった。もっとも相手は同行の二人ではなく、手帳である。老人は歩きながら書き、休みながら書き、書きながら幾度も湖を振り返った。


 手帳のその頁には、後にこうある。


 ——森。外縁にて数週の見聞を得たり。木は木として、狼は狼として振る舞う。分からぬのは生い立ちのみ。


 ——湖。本日、初めて岸に立つ。水は澄み、獣が飲み、人が飲んでも障りなし。小魚は岸辺に帯をなし、人を恐れず、手で掬える。大魚一尾、荷車ほどの背を目視す。大魚は小魚を食わぬ様子、小魚は大魚から離れぬ様子。群れというより、行列に見えたり。ただしこれは一度見た者の言に過ぎず。


 ——ほかの土地については、何も知らぬ。遠目に在ることを知るのみ。


 ——一度では、何も言えぬ。数えに戻るべし。ただし、水に入らざること。


---


・ 観客席・その二


 いやあ、働く働く。


 人間って働くんだよな。知ってたけど。俺も先月まで働いてたし。でも眼下のあの人ら、俺の元同僚たちの三倍は働いてる。朝から晩まで鋸ギコギコよ。偉い。偉すぎて直視できない。


 というわけで観客席から近況報告です。俺は元気です。半透明ですが。


 あ、先に言っとくと、俺、台地の上の町の様子も普通に見えるし聞こえます。あの距離で。仕組みは知らん。幽霊になってから知ったことは全部「そういうものらしい」で処理してるので、これもそう。ただし、聞こえるのと分かるのは別の話でね。こっちの言葉、俺はさっぱりです。さっぱりなんだけど、検分騒ぎも参事会も酒場も、身振りと、声の大きさと、誰がふんぞり返ってるかで、筋はだいたい割れる。字幕なしの海外配信を雰囲気で観るやつ。あれを一日中やってます。


 まず伐採、始まりました。うちの《森林》、伐られてます。感想としては、別に痛くも痒くもない。土地が減った感じもしない。まあ「森」の機能はあの規模全体で担保されてるんだろうし、外縁をちょっと齧られたくらいじゃビクともしないんだろうな。むしろどんどん持ってってほしい。薪でも板でも。俺の唯一の社会貢献なので。


 で、狼。


 みんな大好き《林縁の群れ狼》。2MPの2/2。地味。デッキに入れた理由も「序盤の壁」以上のものは特に無い。だったんだけど、実体化した彼ら、めちゃくちゃいい仕事してる。


 いやほんと、見ててわかったんだけど、あいつら「ただの狼」なんだよな。でかいだけで。群れで狩って、水場で飲んで、昼寝して。カードに書いてある「群れると強い」って能力も、実物を見てると、狼の生態と区別がつかない。そりゃそうか。群れで強くなるから狼なんだもんな。デザインした人、狼のこと好きだったんだな。


 あと最初に人間と鉢合わせたとき、俺、枝の上でちょっと固唾を呑んだんだけど——考えてみたら「攻撃するたび」って誘発、あれ、誰も攻撃を宣言してないんだよな。プレイヤー不在。攻撃ステップも不在。じゃあいつ誘発すんの、って観察してた結論としては、どうも「狩り」がそれっぽい。鹿もどきを追い込むときだけ、あいつら一段ギアが上がる。宣言なき攻撃ステップ。ジャッジ呼びたい。いないけど。この世界のルール整備、全部俺の観察頼りなの、どうかと思う。


 それから湖。


 うちの問題児(体格的に)、《万尾を招く豊漁鯛》。四/五。彼について、皆さんに聞いてほしいことがある。


 こないだ、人間の視察団が岸まで来てたんだけどさ。トークンの子分たち、手拭いで普通に掬われてた。で、焼かれて食われてた。ノーガードかよ。0/1、警戒って概念が無い。まあ美味かったらしいから何よりだけど、親分は親分で目の前を素通りだし、あの一族、人間への関心が無に等しい。


 で、その親分の話。あいつ、毎ターンきっちりコストを払って、子分を増やしてるんですよ。俺の垂れ流してるMPから、ちゃっかり天引きして。


 最初に気づいたときは正直「おい」と思った。人のオーバーフローで子作りかと。でもよく考えたらあれ、MPを消費してくれてるんだよな。焼け石に水どころか、焼け石に霧吹きくらいの量ではあるけど、うちの子で唯一、親の尻拭いをしてる。召喚した記憶しかない息子だけど、親孝行なのはあいつだけだよ。


 で、ここからが本題なんだけど。


 あいつ、途中から産むのやめたの。


 群れがある程度の大きさになったら、ぱったり起動しなくなった。湖が手狭になってきたんだと思う。で、こないだ嵐で群れがだいぶ散ったら、また数日、集中的に産んで、元の規模に戻して、やめた。


 ……起動型能力って「任意」なんだよな。忘れがちだけど。やれる、であって、やれ、じゃない。やらない自由がある。ゲームだと絶対フル起動するから忘れてた。俺なら毎ターン起動する。上限まで湧かす。それが正しいプレイングだから。でもあいつは生き物だから、満腹になったらやめるんだ。


 生き物、偉いわ。


 多分これ、鯛に限った話じゃない。狼が人を襲わないのも、森の連中がやたら牧歌的なのも、みんな同じだ。カードの性能は「できること」の上限であって、彼らは生き物として、必要な分しか使わない。この魔境がまだ爆発してないのは、住人が全員、生き物としてまっとうだからだ。俺のデッキ、いい奴しか入ってなかったんだな。組んだ俺の目に狂いはなかった。性能面では狂いしかなかったけど。


 ……で、まあ、そうなると、だ。


 あれだけが、気になるわけですよ。


 森の奥で、今夜も鳴ってる、カタン、カタン。


 あいつは生き物じゃない。腹も減らないし、満腹にもならない。三枚目が欠けてるから空吹かししてるだけで、「やらない自由」なんて持ち合わせちゃいない。条件が揃ったら、揃った分だけ、書いてある通りに、全部やる。それがアーティファクトってものだから。


 いやまあ、揃わないんだけどね。三枚目、俺のデッキの中だし。俺、カード引けないし。だから大丈夫。大丈夫なんだけど。


 毎晩あの音を聞いてると、ゲームやってた頃の格言を思い出すんだよな。


 「カードを置いていいのは、そのカードを自分に使われる覚悟のある奴だけ」ってやつ。


 おっと、暗くなった。やめやめ。眼下では今日も人間が板を背負って崖を登ってる。あの崖の道、そのうち何か作る気らしくて、杭だの縄だのが増えてきた。木挽き場も二棟目が建つらしい。狼とは口笛で挨拶する仲になり、婆様は今日も木の実を食い、湖の主は今日も跳ねて酒場の話題を独占している。


 人間と魔境、思ったより、うまくやってる。


 やらかした身で言うのもなんだけど——このまま何事もなければいいなと、観客席の幽霊は割と本気で思っているのだった。

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