Allegro
気がつくと、さっきまでの煌めきとあの影は跡形もなく消えていた――。
目を閉じているのか、目を開けているのかさえ分からない程に果ての見えない暗闇だった。音はなく、気配もない。
静寂だけが広がっている。刺すような冷たさが、じわじわと染み込んでいく。
その時――。
暗闇の奥で、確かに何かが動いた。
視界の中に、あり得ないものが浮かぶ――巨大な“目”。
白と黒、相反する翼が、その周囲にゆっくりと広がりながら、まるで空間そのものに根を張るように佇んでいた。
それは、こちらジロリと捉える。逃げ場なんて、最初から無いみたいに。
その瞬間、胸が締め付けられた。
「汝の使命は――我に従え。」
「そして――を委ねよ」
途切れた声が、直接頭の中に響く。痛みはないのに、頭が割れそうな気持ち悪さに襲われた。
「抗うな。――の日は、満ちる」
言葉は不明瞭で、それでも確かに“命令”だった。
突然、頬に何かが落ちた。一滴、また一滴。
やがてそれは、雨のように降り注ぐ――しょっぱい。
眩い光が差し込み、暗闇に慣れた目を容赦なく焼いた。
涙でしとどに濡れている顔が、すぐ近くにあった。神聖な白い衣装を身に纏っている女性だった。
「やっと……気が付きましたか。私、心配したんです」
――綺麗な人だ。そんなことをぼんやりと考えている。意識が上手く繋がらない。
「……私、どうして……」
言葉になりきらないまま、唇だけが動く。
「危なかったんですよ!あんな……魔力濃度の高い影に1人で立ち向かうなんて……」
周りを見渡すと、遠くから何かがこちらへ向かってくるのが分かった。
一瞬――赤い光が煌めく。直後、紫の何かが視界を貫いた。視界が追いつかない程速さで駆け抜ける。その直後、最初からそこに存在していたみたいに現れた。
「やっと……見つけたわ」
“紫の何か”は、飛んできたルルだったようだ。
息が上がっているのに、それを隠すように微笑む。
「……貴方でも、さすがに無理だったのね」
額で赤く煌めく宝石が、汗に濡れてわずかに揺らぐ。その奥に、かすかな安堵が見えた。
――しかし。
「……まだ、あの化け物が残っているわ」
ルルの視線が、ゆっくりと奥へ向く。その先にあるものを見た瞬間、息が詰まった。
「あ、あの……ひとまず、作戦を練りましょう」
不安げな表情を隠しきれないまま、おずおずと手を上げる。
「……私、白鷺千弦と……言います。戦うのは、苦手ですが……援護なら任せて下さい」
恥ずかしがるように、俯いて呟く。顔がほのかに赤くなっている。
その声に、胸のモヤモヤが静かにほどけていく。何となく、力が湧いてきて口元が緩んだ。
よろめきながら立ち上がり、千弦の元へ歩み寄る。
「……ありがとう」
そう呟いて、両手をぎゅっと握った。
握った手は、少し震えていた。
私が怖くて逃げ出したいと思っているように――きっと、彼女も不安でたまらない。
胸の奥に灯る微かな光を支えに、微笑みかける。
「私、甘瀬歌恋。私も……戦うのは、得意じゃないけど……一緒に、頑張ろうね」
言葉が少しだけ詰まる。それでも、視線を逸らさずに想いを届ける。
「……感動的ね。泣けてきそうだわ」
乾いた声が、横から割り込む。
「ちょっと、ルル……!」
ムッとしたまま、戒める。すると、千弦の顔に忍び笑いが漏れた。
「ふふっ……さあ、悠長なこと言ってられませんよ」
「ええ、その通りね」
ルルが静かに頷く。
千弦はそっと手を離した。その指先は、まだわずかに震えていたけれど――瞳には、確かな意思が宿っている。
私も小さく頷く。
視線を前へ向けると、空気がわずかに歪んでいた。
「ですが……このまま行っても、返り討ちに会うだけです」
私は、先程の戦いを思い出してはっとした。
「でも……どうすれば……」
戸惑いが、そのまま声に滲む。
「影の中に入ります」
千弦は一瞬だけ視線を落とし、静かに続けた。
「核と言われる――核を破壊すればいいんです」
「ですが……」
言いかけて、言葉が一瞬止まる。
「長くはいられません。三十分が限度です」
俯いたまま、声がわずかに揺れる。
「それを超えると……戻れなくなります」
一気に不安が掻き立てられる。
「それって……」
私の不安に気づいたのか、優しく励ます。
「大丈夫です。私……これが初めてではないですから」
小石を掴み取り、コンクリートに何かを描き始めた。
描いた図を指先でなぞる。
「……これが核です。これから、そのロッドを使ってこれを浄化します。」
「核には、何があっても……耳を貸さないで下さい。どんな声が聞こえてもです。」
何かを思い出したみたいで、表情が曇る。
その表情に、胸の奥がざわつく。聞いてはいけないものに触れてしまったような、そんな気がした。 きっと、経験したことがあるのだ。
――その声を聞いてしまった誰かを。
「……分かった」
小さく頷く。怖くないわけじゃない。
それでも――引く理由にはならなかった。
ロッドを握り直し、視線を向ける。指先に確かな重みが伝わり、胸の奥にある迷いが消えた。
視線を上げるとあの巨大な影が、ゆっくりと蠢いていた。
「行こう」
小さな希望とその微かな光を胸に抱いて。
私たちは――立ち向かう。




