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第九章:素直な気持ち

 ゆっくりと目を開ける。

 ぼやけた視界が次第に鮮明になり、見慣れた姿が見えた。


「操くん……」


 震える手でぼくを抱きとめ、息を切らしながらこちらを見ている。

 そこで、操くんの胸に顔を埋めていることに気付く。

 心臓が跳ね、甘い匂いが鼻孔をくすぐる。


「優音、大丈夫か……?」


 肩に手を置いて、顔を覗き込んでくる。

 大好きな人の顔が間近にあり、顔が熱くなる。

 だけど、泣いていたことを思い出し、慌てて顔を逸らした。


「ご、ごめん……」

「ったく、本当に危なかったぞ。まぁ、何もなくてよかったけどよ」


 聞こえる優しい声。

 できれば、いつもみたいにその腕を抱きしめたい。

 でも、今のぼくにそんな資格はない。


「あ、ありがとう。じゃあ……」


 俯いたまま、操くんから離れようとする。


「待て待て……」


 だけど、数歩踏み出したところで、すぐに腕を掴まれた。

 手首に感じる指の感触。普段なら、それだけで舞い上がっていたと思う。

 でも今は、操くんの優しさと魅力が辛い……。


「な、なに……?」


 とても相手の顔を見ることができず、前を向いたまま答える。

 ふとした切っ掛けで、また泣いてしまうかもしれないから……。


「なんで突然、家を飛び出したんだよ」


 心がチクリと痛む。

 頭をよぎるのは、下着姿の桜屋敷さん。


「なんでもない……」


 口をつくのは、素直じゃない言葉。

 桜屋敷さんのことを聞けばいいのだろうけど、答えは知りたくなかった。

 心が、張り裂けそう……。

 そのまま歩いていこうとするけど、掴まれた手は振りほどけない。


「あのなぁ……なんでそんな不機嫌なんだよ。俺にはさっぱり分からねぇ……」


 無神経な言葉。

 だけど……


「でも、お前がそんな顔をするくらいだ。何かあんだろ?」


 きゅんと胸が鳴る。

 やっぱり、操くんはよく見てる。

 だからこそ、好きになった。


「もう……関係ないよ」


 俯いて、唇を震わせる。

 そう、ぼくの恋はもう終わった。

 今更思いを伝えたところで、迷惑になるだけ。


「関係なくねぇよ。だって俺たち、マブだろ」

「……!!」


 特別な存在であることを示すその言葉。

 本当の『友達』を意味するもの。

 嬉しい。嬉しいけど……

 それじゃ足りない。

 欲しいのは、そんな言葉じゃない――

 ぼくがなりたいのは……恋人だ。


「ふえっ……」


 いろんな思いがこみ上げてきて、涙腺をくすぐる。

 操くんを好きという気持ち。桜屋敷さんに対する嫉妬。

 そんな醜い自分に覚える、情けなさ。

 そして何より、失恋による喪失感。


「う……ぇ……」


 心の中はぐちゃぐちゃになって……


「ぼくは……」


 絞り出すように、吐露とろする――


「ぼくは操くんのことが、好きなのぉ……」


 涙と一緒に、言葉は自然と口からこぼれ落ちた。


「男だけど、好きになっちゃったんだよぉ……」


 せきを切ったように、涙は流れていく。


「だから……頑張って、かわいくなったのにぃ……」


 住宅街だということも忘れ、声をあげる。

 ずっと自分の中に留まっていた、素直な気持ち。


「でも、操くん……彼女いるじゃぁん……」


 今更口にしたところで、何かが変わるわけじゃない。

 ぼくが恋に落ちた時点で、結果は決まっていた。

 勝負にもならない、一人で空回っていただけの、まぬけ……。

 こうやって泣くことすら、おこがましく思えてしまう。


「優音……」


 ひくひくと喉を鳴らしていると、操くんはぼくの前に出て、振り返る。

 その顔を見ることが出来ず、ただ泣き続けた。

 「ごめん」なんて言葉は、聞きたくない……。

 逃げ出したい……。

 操くんは、ジッとこちらを見つめて……

 何も聞きたくないと耳を塞ごうとして……


「俺、彼女なんていないけど?」

「え……?」


 ぴたりと、ぼくの中で時が止まる。


「え……いや……?」


 予想外な言葉に、頭の中にあった思いが一気に吐き出され、涙が引っ込む。


「えぇ……?」

「あ?」


 お互いに、首を傾げる。

 いや、ぼくは確かに見たはずだ。下着姿で立っている桜屋敷さんの姿を。

 もしかして、気を遣ってくれているんだろうか……。


「で、でも……桜屋敷さんと一緒に家に入っていくの、見ちゃったんだけど……」

「那月? ああ……」


 見上げると、操くんは何か合点がいったのか、左手を受け皿にして、ぽんと右手を叩く。


「那月は従妹だけど?」

「普通に従妹だった!!」


 あまりにも拍子抜けする答えに、目を丸くして声をあげる。


「で、でも!! 苗字違うし……おじさんって、弟さんしか兄弟いないよね……!?」


 そう、そこが矛盾している。


「それは、私のお父様が桜屋敷家に婿入りしたからですわ」


 疑問に思っていると、制服姿の桜屋敷さんが、黒くて長い髪を揺らし、小走りでやってくる。


「これって、修羅場ってやつかしら?」

「うるせー……」


 口元に手を当てて笑って見せる桜屋敷さんを見て、操くんは舌打ちして顔を逸らす。

 状況がさっぱり呑み込めず、呆然と二人を見つめる。

 つまり二人が仲がいいのは、従妹同士だからで……昔から仲がよかっただけ?


「みさの言う通り、私たちは従妹同士ですわ」


 桜屋敷さんがぼくを見て、にこりと微笑む。

 背を伸ばし凛とした佇まいで、その独特な口調は不思議と鼻につかない。


「あの……下着姿で居たのは……?」


 少し聞くのが恥ずかしくて、もじもじする。


「普通にお風呂に入ろうとしていただけですわ。たまに、みさの家には泊まりに来ていますから」


 みさというのは、操くんの愛称なんだと思う。

 辻褄は合っている気がするけど、やっぱり腑に落ちない。

 いくら従妹同士だとしても、年頃の男女が一緒に家にいるというのは……何と言うか……。


「え、えっち!!」

「何が!?」


 顔を赤くしながら叫ぶと、操くんがこちらに顔を向けてくる。


「そ、そうだ!! 従妹同士って結婚もできるし……え、えっち!! スケッチ!! ワンタッチ!!(死語)」


 二人が恋人説は、完全にはぬぐえない。


「あほか!! 俺にそんな趣味はねぇ!! お前もそうだろ、那月!!」

「それはまぁ」


 怒って叫ぶ操くんに対し、桜屋敷さんはどこか面白がりながら頷く。

 くくっと喉を鳴らして笑う姿は、本当にこの状況を楽しんでいるだけのように見える。

 マウントを取っているとか、そういう雰囲気でもない。


「そんなことより、水面みなもさんの気持ちには答えてあげませんの? せっかく告白してくださいましたのに」

「ふえっ!?」


 そうだった!!

 場の雰囲気にのまれて、すっかり忘れてた!!

 ぼく、勢い余って……操くんに好きって言っちゃった!!


「あわ……あわわわわ!!」


 どうすればいいか分からず、右往左往する。

 失恋したと思い込んでたから、思いを口にしてしまったけど……。

 と、とんでもないことしちゃってない!?


「優音」


 頭を搔きながら、操くんはこちらに向き直る。


「ひゃいっ!!」


 ぼくは目をぐるぐるさせながら、背をぴんと伸ばした。

 真剣な表情をして、こちらに近づく操くん。

 そうされるだけで、身体の熱は急激に上がってくる。


「優音……」

「は、はい……」


 名前を呼ばれるたび、胸は高鳴る。

 そんな胸に手を置いて、どきどきしながら操くんの顔を見上げる。

 一歩近づいて、更に顔を近づけられる。

 大好きな甘い香りがして、心臓はますます早くなっていく。


「いいか優音。よく聞けよ」

「う……ぁ……」


 答えようとするが、言葉は喉に引っかかり、目をつぶって必死に頷く。


「あのな」


 再び目を開けると、その綺麗な唇が微かに動いた。


「俺……」


 一瞬、言葉を選ぶように視線を逸らして――


「俺、女だぞ?」


 世界から、音が消える。

 あれだけ高鳴っていた胸の音も、突然聞こえなくなった。

 静寂が訪れた住宅街に、そよそよと風が吹く。


「え!? ええええええええええええええええ!?」


 その刹那、ぼくは天に向かって叫んでいた。

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