刃とホウキの共闘 ㈡
青き龍の少年と赤き龍の巫女。贖罪を越え、二人は都市の呪縛を書き換える!
箱根の静寂を切り裂くように、遠くからパトカーのサイレンの音が近づいてくる。ピーポー、ピーポーという切迫した電子音が、夏の熱気を帯びた風に乗って、少しずつ、だが確実に岩瀬家の居間へと迫っていた。
すべてが終わる。自分を殺害した犯人が法の裁きを受け、岩瀬友之という人間の無念が晴らされる。その決定的な瞬間が訪れようとしているにもかかわらず、居間に漂う空気は異様なほどに重く、そして冷え切っていた。
「……ふふっ、ふふふふっ。あはははははっ!」
床に転がり、荷造り紐で全身を固く縛り上げられた工藤梓が、突然、腹の底から絞り出すような不気味な笑い声を上げ始めたのである。
乱れた黒髪の隙間から覗くその瞳は、狂気に濁りきっているはずなのに、なぜか酷く澄み切ったような、歪んだ達成感に満ちていた。
「おい……何がおかしい。何を笑ってやがる」
友之は、痛む二の腕を押さえながら梓を見下ろし、低く凄んだ。
梓は床に頬を擦り付けながら、爬虫類のように首だけを捻って友之(涼子の顔)を見上げた。
「可哀想な泥棒さん。あなた、友之さんの仇を取ったつもりでいるんでしょうけど……本当に何も知らないのね。警察にそのデータを渡せば、確かに私は捕まるわ。でも、警察の徹底的な捜査が始まれば、友之さんが隠していた『真っ黒な秘密』も、全部世間に暴かれることになるのよ!」
「秘密だと……?」
「ええ。友之さんはね、私と同じ『人殺し』なのよ!」
その言葉が居間に響き渡った瞬間、美智子が「ひっ」と短い悲鳴を上げて両手で口を覆った。香代子も顔面を蒼白にし、ホウキを握る手を震わせている。
「でたらめを言わないで! 岩瀬くんがそんなことするはずないわ!」
香代子が激しく反論したが、梓の狂った笑いは止まらなかった。
「でたらめなものですか! あの雨の夜、友之さんが高熱を出す数日前のことよ。友之さんが運転する車で箱根の山道を走っていた時、大きなリュックを背負った男の人を撥ねたの! ドォンッて、すごくいい音がしたわ。男は血まみれで、ピクリとも動かなくなった」
梓の言葉は、先ほど友之の脳裏に閃いたフラッシュバックの光景と、恐ろしいほどの精度で一致していた。
雨の音。車のワイパー。ヘッドライトに浮かび上がった男の背中。そして、生々しい衝撃と、冷たいアスファルトの上に倒れた血まみれの体。
「友之さんは震えて泣いていたわ。『俺はもうすぐ係長に昇進するのに、これで人生が終わってしまう』って。だから、私が助けてあげたの。警察なんて呼ばずに、二人で男の死体を車のトランクに積んで、山奥の土の中に埋めたのよ。……あれで、友之さんと私は永遠に結ばれたの。誰にも言えない秘密を共有した、血の共犯者としてね!」
梓の告白に、居間は完全な沈黙に包まれた。
美智子は白目を剥きそうになりながら、その場に崩れ落ちた。自分の息子が、殺人鬼に殺された被害者であると同時に、ひき逃げと死体遺棄という凶悪犯罪の加害者であったという事実は、母親の精神を完全に破壊するに十分な劇薬だった。
「嘘だ……嘘だ、おじさんがそんなことするわけない!」
良亮が涙声で叫び、友之の足にしがみついた。
友之自身は、反論する言葉を一つも持ち合わせていなかった。
記憶が、パズルのピースのようにカチリカチリと組み合わさっていく。高熱を出す前の、異常なまでの疲労感と不安感。泥だらけになっていた自分の車のフロアマット。そして、梓が自分のアパートに合い鍵で侵入した時、彼女に対して無意識のうちに抱いていた「共犯関係」という名の弱み。
もしあの事故が本当なら、工藤梓が自分の部屋に盗聴器を仕掛けていたのも、愛情や執着だけでなく、「友之が警察に自首しないよう監視するため」という目的があったからではないのか。
(岩瀬くん……嘘よね? あの女が言っていること、全部出鱈目よね? あなたがそんな恐ろしいこと、するはずないわ。私、絶対に信じないから……!)
天井付近に浮かぶ涼子の魂が、悲痛な声で友之に語りかけてきた。
混乱と恐怖の極致にあっても、涼子は友之の潔白を信じようと必死に祈っていた。
しかし、友之は涼子の声に応えることができなかった。自分の奥底にある良心が、「それは事実だ」と残酷な宣告を下していたからだ。
「……あははっ! ほら、何も言い返せないじゃない! 私が警察に捕まれば、当然あの死体の隠し場所も全部喋ってあげる。そうすれば、岩瀬友之の名前は『悲劇の被害者』から『卑劣な死体遺棄犯』に変わるのよ! お母様も、これからの余生を犯罪者の身内として世間から後ろ指を指されて生きていくのよ! あはははははっ!」
梓の哄笑が頂点に達したその時。
けたたましいサイレンの音が家のすぐ外で唐突に途切れ、赤色灯の強烈な光が、雨戸の隙間から居間の中にチカチカと差し込んできた。
複数人の慌ただしい足音が、庭の砂利を踏み鳴らす。
「警察だ! そこを開けなさい!」
ドンドンと玄関の引き戸が激しく叩かれる音が響いた。
友之は、ポケットの中にあるUSBメモリを、指に爪が食い込むほど強く握りしめた。
これを警察に渡せば、梓の犯行は証明され、自分を殺した犯人を裁くことができる。しかし、それは同時に、自分自身の隠された罪を暴き、残された家族である美智子を社会の冷たい視線に晒すことを意味している。
隠蔽するか、全てを明るみに出すか。
友之の心の中で、かつてないほどの激しい葛藤が渦巻いた。
「……内海」
友之は、振り返ることなく、背後に立つ香代子に向かって低く声をかけた。
「玄関を開けて、警察の人たちを入れてくれ」
「岩瀬くん……! でも、あの女の言うことがもし本当なら……」
「いいから、開けろ。俺は……どんなに醜くても、自分の犯した罪から逃げちゃいけないんだ」
友之のその静かな、しかし確固たる決意を帯びた声に、香代子は涙をこぼしながら一つ頷き、玄関へと走っていった。
ガラッという音と共に引き戸が開き、数名の制服警官が雪崩れ込んでくる。彼らは居間の凄惨な光景――血を流して立つ女性(友之)、縛り上げられた女(梓)、粉々に割れた湯呑み、そして怯えきった家族の姿――を見て、一瞬息を呑んだが、すぐに現場の制圧に動いた。
「凶器は!?」
「そこです! 床のカッターナイフ!」
香代子が叫ぶと、若い警官が素早くカッターナイフを蹴り飛ばして回収し、別の警官たちが梓の周りを囲んだ。
「大丈夫ですか! 怪我人は!」
「私はかすり傷です。それよりも……」
友之は警官の一人に歩み寄り、自分のポケットから銀色のUSBメモリを取り出して、その手にしっかりと握らせた。
「この女は、先日『急性心不全』として処理された、この家の息子……岩瀬友之を毒殺した犯人です。そしてこのUSBメモリには、その犯行の決定的瞬間を記録した音声データが入っています」
「毒殺……? 音声データだと?」
「はい。さらに、別室には毒物の成分が付着した証拠の品も保管してあります。それらすべてを提出します。どうか……この女を、殺人容疑で逮捕してください」
友之が淡々と事実を告げると、縛られていた梓が「ふふっ」と狂ったように笑った。
「いいわよ、逮捕しなさいな。でも刑事さん、山を掘り返すスコップも用意しておいた方がいいわよ。私も、そして被害者の岩瀬友之も……仲良く死体を埋めた『共犯者』なんだからね!」
警官たちがざわめき立つ中、梓は抵抗する素振りも見せず、薄気味悪い笑みを浮かべたまま連行されていった。
パトカーの後部座席に押し込まれる直前、梓は最後に一度だけ振り返り、玄関先に立つ友之(涼子)に向かって、口パクでこう呟いた。
『地獄で、待っているわ』
赤色灯を回しながらパトカーが去っていくのを、友之はただ無言で見送っていた。
自分を殺した犯人は捕まった。しかし、事件は終わるどころか、より深く、より暗い闇の中へと彼らを引きずり込もうとしていた。
自分が撥ねたあの男は誰だったのか。そして、本当に死んでいたのか。
真実を解き明かし、涼子に体を返すための道のりは、ここからさらに険しいものになる。友之は切られた腕の痛みに耐えながら、夏の終わりの重い空を静かに見上げていた。
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




